東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:吉田宿〜御油宿
吉田宿は、現在でもこの地方の中心地として賑わいを見せています。 吉田宿
東海道34番目の宿場です。
同宿は、吉田城の城下町でもあり、飯盛り女(ex.花魁)が多いことでも知られている賑やかな宿場でした。
現在の豊橋市に位置しており、昔と変わらずこの地方の中心として栄えていますが、往時の宿場の面影はほとんど見られず、街道沿いに説明板等があるのみとなっていますが、豊橋公園内には吉田城が復元されています。

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清寳寺 清寳寺(せいほうでら)
旧東海道と間違えて歩いていた道沿いにあったお寺です。
四国八十八ヶ所霊場御本尊だそうです。ちなみに、写真には写っていませんが、この門を入ったすぐ右側にたくさんのお地蔵さんがいました。

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史蹟曲尺手門跡 史蹟曲尺手門跡
吉田城内に入る入り口として、関屋口・外天王口・本町口・大手口などの門がありました。そのうちのひとつ、曲尺手町口のあった場所に、この石碑が建てられています。
私は、ここにたどり着く直前まで一部の区間を旧東海道とは違う道を歩いていました。この曲尺手門蹟があるはずの場所になかったので、道を間違えていることに気づいたのです(笑)

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吉田城〜写真には写ってませんが、私が訪れた時はこの周辺は人がたくさん居ました 吉田城址の隅櫓(すみやぐら)
吉田城は、永正2年(1505)牧野古白が築城された今橋城に始まり、後に天正18年(1590)、池田輝政によって拡張整備されました。天守閣は建てられず、本丸御殿が城の中心の占めていました。
昭和29年に、本丸西北隅の鉄櫓(くろがねやぐら)が復元されました。豊橋公園内の豊川沿いにあります。

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安久美神戸神明社 安久美神戸神明社
2月10・11日に行われる鬼祭りは、国の重要無形民俗文化財に指定されている奇祭だそうです。

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藩校時習館址 藩校時習館址
豊橋市公会堂の前庭に建つ、藩校「時習館址」の石柱です。
この藩校は、宝暦2年(1752)の創設という古い歴史を誇っていました。現在は、石碑が残るのみです。

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吉田神社 吉田神社
7月第3金・土・日に行われる祇園まつりは、ここが発祥の地と伝承されています。
三河地方独特の手筒花火や打ち上げ花火の他に、今川義元が寄進したといわれる御輿渡御、笹踊、頼朝・乳母・饅頭配りなどの行列などが行われ、豊橋市の三大祭りのひとつとして親しまれています。

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問屋場跡 問屋場跡
吉田宿内の問屋場跡です。

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本陣跡 本陣跡
吉田宿内の本陣跡です。
享保2年(0802)の書上によると、宿の中央部にあたり、東海道筋でもっとも賑わった札木町のこの地に、二軒並んであったそうです。
現在は、碑が残るのみです。

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豊橋 豊橋(とよばし)
豊川に架かっている橋です。
かつては吉田大橋と言われ、幕府著勝つの五大橋の一つでした。冬至は、現在の橋の約70メートル下流に架かっていました。
ちなみに、「豊橋」と書いて「とよばし」と読むんですね。「は」に「゛」と濁るんですね。でも、この橋に書かれている文字は「とよはし」・・・はて?(笑)

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豊川 豊川(旧吉田川)
吉田城下の西入口にあたり、信州に水源を発し、長篠の裾を流れて、豊川の里に至ります。
三河三大河川の一つだそうで、残りの二つは何なのでしょう?

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下地の街並み 下地の街並み
下地町の道筋には、古い家並みが残されています。
しかし、ここは車の抜け道と化しており、ちょっと歩くのが恐かったなぁ・・。

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瓜郷遺跡〜火事が起こり、復元住居が焼かれてしまいました 瓜郷遺跡
瓜郷遺跡は、弥生時代に属する土器、石器、骨角器、木製の農具等が多数出土しており、西大和の唐古、東静岡の登呂とともに、全国の三大低湿地遺跡として有名だそうです。
しかし、2001年に、原因不明の火事があり、焼けてしまい現在は跡のみとなっています。近くに住んでいる友人の話だと、また復元するように色々と検討しているとのことで、また復元されることを祈ります。

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菟足神社 菟足神社
菟上足尼命を祭神とする延喜式内の旧社です。

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伊奈立場茶屋跡 伊奈立場茶屋跡
かつての伊奈村には、「良香散」と名付けた薬を売る店があり、「良香散立場跡」とも言われています。
隣には、芭蕉が門人の加藤鳥巣方に泊まった時の句が刻まれた句碑があります(手前側)。

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伊奈一里塚跡 伊奈一里塚跡
江戸から数えて75番目の一里塚跡です。この石碑は、まだ出来たばかりのようで新しく見えました。
ちなみに、この隣(奥に見えている家)には、太鼓屋さんがありました。珍しい・・・。

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2002.5.11update


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