東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記 | |
#第14日目|高塚−二川 平成13年(2001)9月23日(土)
平成13年(2001)9月23日(日) 東海道第14日目:高塚−二川 天気:晴 |
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どうも近頃朝が弱くなってしまった気がする。以前は、旅に出てホテルに泊まった時などは、6時台に起きるのが常だったにもかかわらず、この日は、7時半頃にようやく目覚め、まだ寝ぼけ眼のまま支度を始めたのだった。 そうしているうちに時間は過ぎ、結局ホテルを出て前回旅を終えたJR高塚駅に着いたのは9時過ぎであった。そうして、そのままスタート。時間は9:15であった。 まずは、前回旅を終えた旧東海道に戻るべく、住宅地の中をクネクネと歩いていると、前方に若者の集団を発見。何やらざわついている模様・・・。何かあったのか・・もしやケンカ?と思ったのもつかの間、どうやら山車を倉庫から出しているのであった。今日はお祭りでもあるのだろうか。そんなことを思いながら、その脇を通り、再び旧東海道に合流。さっそく旧東海道を歩き始めた(写真上)。 前日も秋晴れの快晴で、絶好の旅日和であったが、この日はそれをも上回った。そう、真っ青な空、雲一つ無い「BEST of 快晴」だったのである!心も体も軽やかに歩く姿は、外目に見てもさぞかし・・まぁ、普通の姿だったろう(笑) その気持ちを維持したまま国道1号を外れ、裏街道に入る。ようやく車も少なくなり、ホッと一息つく。やはり、車の通行量が多いところは、自然足も早まってしまうようだ。 この辺は、歩くのに苦痛ではないが、特に大きな見どころがないことと、次に控える宿場の松並木が気になってしまって、少し早歩き気味になっていたかもしれない。それほど松並木を心待ちにしていたわけではないのだが、少なくとも車の行き交う道より断然良いのは言うまでもない。 そうこうしているうちに、いくつかの寺社を横目に、松並木の訪れの目印としていた春日神社が見えてきた。この辺りにJRの舞阪駅もあるはずだ。気持ちが先走りそうになるが、体は平静を保っていたのが、今でも不思議に思うことでもある。 そこからどのくらい歩いただろうか・・ほどなく遠くに松並木が見えてきた。うぉっ!・・あれが『舞阪の松並木』・・・それがだんだん近づいて来るにつれて、自分の中でも気持ちの高ぶりを感じていた。 「なんて素晴らしいんだ〜」思わず口からこぼれてしまいそうなほど、見事な松並木がそこには存在していた(写真右、写真館)。距離にして700メートルほどの並木だったが、これらを十分に堪能した時間を過ごすことができた。これまでの歩くペースがウソのような速度で、ゆっくりとゆっくりと、その松並木を目に焼き付けるかのごとく歩いた。途中、何人かの旅人らしき人とすれ違った。みな一様にカメラを片手に歩いている。この魅力にとりつかれた人ばかりに違いない。 ここの松並木の良いところは、歩車分離が為されていること。つまりは、歩道がきちんと整備されていることに相違ないのだが、それでもまずは身の安全を確保できるのが嬉しかった。しかし、そうした安全だけでは満足できなかった私は、車が来ないことを見計らって、道路のど真ん中に立ちつくし、空を見上げ、松を見て、そして写真を撮ったりした。まさに、田舎者丸出しである(笑) もうこれでもかというくらい松並木を堪能私は、ここを後にして、先を目指すことにした。この先、まだまだ見どころは続く・・・。 国道1号を横切った後、そのまま裏道を進む。途中、『見附の石垣』をみる。これは、昔の宿場の入り口にはどこの宿場にもあったのだが、今はほとんどのところで見ることができない。だから、ここに残っているものは貴重なのである。そして、これがあったということは、『舞阪宿』に入ったことを意味している。 その後、少し歩いた先に、『舞阪の一里塚』に併設してポケットパークが整備されていたので、この先の確認も含めて軽い休憩をしていくことにした。 この休憩時間というのが、実は非常に重要かつ楽しみな時間なのである。もちろん、疲れた体を休ませることはもちろんなのだが、それ以外に、これまでに見てきたお寺などを資料で再確認すること、そしてこれから見たいと思っているお寺等の予習と、普段家で見ているだけでは終わらない、実際の空気に触れることの喜びが感じられる瞬間なのである。この感覚、分かる人と分からない人とに別れると思うが、それはそれで各人の考えがあると思うので、特に何も言うつもりはない。そうして、十分休憩をとった私は、さっそく本格的に舞阪宿を歩くことにした。 舞阪宿は、国道の裏に当たっているためか、昔ながらの家がところどころに残っていた。そうしているうちに、脇本陣に到着。 『舞阪宿脇本陣』は、1838年建築の建物の一部がそのまま現存しているとても貴重な建物であり、平成9年に建物が復元されている。そして、この中を見学することが可能になっており、しかも無料で(!)歴史に触れることができるという貴重な空間である。ご主人の許可を得て、中を撮影する。こういうところは、なかなか写真撮影ができないものだが、快諾してくれたご主人に感謝せねばなるまい。そうして中を一通りみた私は、大満足しつつ脇本陣を後にして、先を目指すことにした。 しかし、今日はのんびりと街道歩きを楽しんでいる。そう、なぜなら今日は新居宿で歩くのをやめようと思っているからだ。まだまだ時間はある・・たまには時間に追われない旅も良いものだ・・と思っていたのは、実はこの時だけで、いつしかその気持ちが変わっていこうとは、この時は思いもよらなかったのであった。 まだゆとりを持っている途中・・・脇本陣を出た私は、すぐに浜名湖にぶつかった。この湖のたもとに雁木があった。昔は、ここから船に乗って次の宿場である『新居宿』に向かったのだ。 湖を眺めてみる。中央にいつも新幹線の窓から見ていた弁天島の鳥居が見える。そして、左手には海沿いを走っている浜名バイパスの浜名大橋がよくみえる。こうした広大な景観が広がっているのを目の当たりにすると、自分の心も広くなったように感じられる。自然にふれることにより、人間はいつでも自分のちっぽけさを認識することができるのである。 昔は、ここから船で湖を渡ったのであるが、現代では船はないため、そのまま湖に沿って陸地を歩くことにする。 そのまま湖沿いを歩いていると、釣りをしている人を多く見かける。何を釣っているのかと気になって、なにげなく釣り人の近くに行ってみると、ハゼとかを釣っているようだ。釣り師としての胸がさわぐ・・。そのまま湖沿いを歩くこと数十分、次第に湖から逸れて、国道沿いを歩くことになる。 周りに見るものがなくなってくると、ふと自分の置かれた状況に気づく。すなわち、苦痛が訪れるのである。街道歩きは、良いことや楽しいことばかりではない。大変なことや辛いことだってある。その後者がこの時訪れていたのだ。しかし、これまで200q以上歩いてきた私は、こんなところでへばってしまうほどやわな体をしているわけではなかった。しかし、ひたすらテクテクと歩き続け、ようやく前方にJR新居町駅が見えてきたのを見た時は、さすがにホッと一安心であった。 新居町駅で、JR東海が主催している企画のハンコを押した後、迷いが生じ始めていた。当初の予定では、この後新居関所跡を見た後、再びこの新居町駅まで引き返して旅を終えるつもりだった。しかし、時間にしてまだお昼を過ぎたばかり・・・あまりにもったいなさすぎる。が、しかし、ここを離れてしまうと、次にぶつかる駅は二川駅・・・かなり距離はある。途中でバス等に乗ることは、どうもダメなのである。 結局・・・歩くことにした。根っからの街道ウォーカーとでもいうべきだろうか・・・と自画自賛してもしょうがない(笑)。そうと決めた私は、さっそくこの先の第一の目的地である新居関所跡に向かって歩き始めたのであった。 駅を出てから、1qほど歩いただろうか・・・前方に'らしき'ものが見えてきた。案の定、『新居関所跡』であった。跡と言っても、実際に建物などがあり、全国で唯一現存する関所建物なのである(写真館)。今日は、舞阪宿の脇本陣に続き、見どころが満載だ。さっそくワクワクしながら入場料を払い中に入ることにした。 この建物の手前で工事を行っていた。どうやら、まだ何かを整備するようだ。ちょっと何を作ろうとしているのかわからなかったが、もしかしたら何かを発掘しているのかもしれなかった。 そんな風に思いながら、さっそく中に入る。割と観光客も来ている。「入り鉄砲に出女」と言って、ここの関所では厳重に取り締まったようである。そのため、この難を避けるべく、浜名湖の北側を通っている姫街道を使った旅人も多かったようだ。 建物に上がり、ぐるっとまわる。中には、当時の様子をうかがい知ることができるように、等身大人形などが置かれている。こうして取り調べを行っていたのかと思うと、これまた感慨深いものがある。 建物を十分堪能した私は、次に隣接している関所資料館を見学。ここには、当時の品物が置かれており、当時の旅人の様子などを知ることができる。 その後、関所を後にして、さらに先を目指す。『本陣跡』を示す石碑を見つつ、道は左へ曲がる。トコトコ歩き続ける・・・が、いい加減お腹が空いてきた。この辺りは店がない・・。しかもいつも非常食を何も用意してないものだから、だんだん足取りが重くなってくる。まったく単純な男である。 その後『一里塚跡』、『棒鼻跡』などを見た後、そろそろ限界が来ているのを感じる・・・。もうダメだぁ〜と思った頃、国道にぶつかった。「はっ・・・もしや・・」と周りを見回してみると、ちょっと先にコンビニを発見!渡りに船とはまさにこのこと!さっそくコンビニに立ち寄り食料をゲット!次は食べるところを探すべく、東海道を歩き続ける・・・お腹が空いた時、トイレに行きたくなった時などは、本来の趣旨とはずれる傾向がある。人間の生理現象とは面白いものである。 そうして、紅葉寺跡というところ見つけ、東海道を少しはずれ、さっそく階段を上ると、そこはとても見晴らしの良い高台であった。昔はお寺があったようだ。その名のごとく、モミジがたくさん植わっている。紅葉時期は、さぞかし綺麗な景色を堪能できることだろう(写真館)。しかし、この時はまだ青々とした葉がまぶしかった。 その後、お腹もふくれたのでさっそく先を目指すことにした。この辺りは、松が植わっており、歩いていて気持ち良い・・はずなのだが、強烈な日差しが突き刺すように肌を刺激して、ちょっとバテ気味だった。そして、さらに見どころがないところが続く・・・。 ここはホントに辛かった。先ほどの新居町駅に着くまでの道のりよりもさらにきつかった。何しろ、見どころがない区間の距離が長いのだ。それだけバテもくるというものだ。しかし、なんとかかんとか切り抜け、写真でよく見ていた『潮見坂』にさしかかる。なかなか急な坂だ・・・しかし、そんな坂に負けずにエッチラオッチラ登り、ある程度登った後、後ろを振り返ってきた。 「おお〜絶景かな!」坂の遙か先に遠州灘が見えた。水平線が非常にきれいに、まるで定規でひいたかのように一直線に横に伸びていた。この日は、雲一つ無い快晴だったのでよく見ることができたのだ。その感動を維持したまま坂を登りきり、東海道歩きは続く。 さらに歩き続ける。そうしてようやくたどり着いたのが『白須賀宿』。もともと、先ほどの潮見坂の下にあったのだが、地震や津波によって、こちらに移らざるを得なかったのだ。ここは、鉄道開発の影響を受けなかったためか、昔ながらの街並みが残っている、とっても懐かしげな景観を形成している宿だった。周りをきょろきょろしながら歩く様は、地元の人から見たら、「なんだ、あれは」と思われたことだろう。そうして、宿を堪能した私は、同宿を後にした。 この先、今日はまだまだあるのだ。そのため、再び体力を回復すべく、宿を抜けたところにあった笠子神社というところで休むことにした。十分な休憩をとった私は、再び荷物を背負い、歩き始めた。 そこから歩くこと10分ほどだろうか・・・長かった静岡に終わりを告げる「愛知県豊橋市」という看板が見えてきた。そして、ついに看板を通過・・これで、東京・神奈川・静岡に続いて愛知県に突入。思えば遠くに来たもんだ・・・やはり感慨深いものがある。しかし、感傷に浸っているまもなく、さらに先を目指す。 ここからしばらく国道1号沿いを歩くことになる。今日は、めちゃくちゃ日差しが強いため何も遮るものがない国道沿いはつらい。しかもかなり長い・・・。途中、事故をおこしたばっかりの車を目撃する(写真上)。やっぱり車は恐いものだ。気をつけねば・・とあらためて誓うのであった。 そうしてようやく国道歩きも終わりに近づいてきた。鉄道のガード下をくぐり、『二川宿』に突入。狭い道の両側にお寺や昔ながらの建物を見ることができる。なかなかよさげだ。そして、本陣を復元した『二川宿本陣資料館』を見学しようと思い受付に行くと・・・ぎゃ!なんと見学できるのは16時半までで、入場は16時まで・・・今は16時10分・・もうダメかなぁと思いつつも、受付のお姉さんに問うてみた。「出来れば見学させてもらいたいんですけど。なかなかここには来れないので是非お願いします。」「どこから来たの?神奈川・・そう・・それじゃしょうがないわね。」と無事見ることが出来た。良かったぁ〜聞いてみるもんだ。 さっそく中に入り見学する。あまりゆっくり見れなかったので、記憶に残っているものが少ないが、それでもこうしたものは直接肌で歴史を感じることができるので、とっても嬉しかった。 本陣を見学後、資料館も見て、ホッと一息ついた私は、同資料館を後にした。 今日はここまで。と、二川駅に向かって歩き始める。しかし、なんとか無事ここまでたどり着くことができて良かった。そうして、ようやく二川駅に到着(写真右)。終わってみれば、予想以上の街道歩きができて、当初の不安がウソのようであった。 次は、ここからだ・・・と思いつつ、建設中の二川駅舎を見上げたのだった。(つづく) |
→第15日目 二川−御油 |
歩数計 | 37,774歩 |
カロリー | 1,571.4kcal |
距 離 | 22.67km |
時 間 | 9:15〜17:10 |
支 出 | 交通費|5,940円(新幹線は片道分) 飲食費|1,315円 その他|7,215円(宿泊代、施設見学料等) |
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