東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:新居宿〜白須賀宿 |
新居宿 東海道31番目の宿場です。 新居の関所を控える重要な宿場ですが、地震や津波のため3度も移転を余儀なくされました。 現存する関所跡のほか、宿場付近には現在も連子格子の民家が続き、往時の面影を見ることができます。 今来たところへ戻る△ |
|
|
|
新居関跡 当時の建物が現存する唯一の関所です。慶長5年(1600)に設置され、特に「入り鉄砲に出女」を厳重に取り締まり、特に「出女」に関しては、箱根よりも厳重であったそうです。 隣接する関所資料館では、様々な関所手形を中心に展示しています。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
|
本陣跡 新居宿の本陣跡は3ヶ所あり、左の写真は飯田武兵衛本陣跡(中本陣跡)です。 今来たところへ戻る△ |
|
寄馬跡 助郷として寄せ集められた人馬の継立所の跡です。助郷制度は、寛永12年(1635)の参勤交代制の頃より始まり、宿駅制度を維持するため、周辺の郷村に応援の人馬役が課せられました。 今来たところへ戻る△ |
|
新居一里塚跡 江戸から数えて69番目の一里塚跡です。 新居宿の中心部から少し外れたところにポツンと佇んでいました。 今来たところへ戻る△ |
|
棒鼻跡 棒鼻跡です。宿場のはずれを言います。道の両側より土塁が突き出して、一度に大勢が通れないようになっていました。 今来たところへ戻る△ |
|
教恩寺 正安2年(1300)創建。山門(鐘楼門)は江戸期のものと言われています。山門を入ったすぐ左に幹周り4.3メートル、樹高17.5メートル程、樹齢450年以上と推定された大きなイチョウの木がありましたが、私が訪れた時は、伐採されていました・・・。 今来たところへ戻る△ |
|
立場跡 旅人が休息する施設を立場と言い、江戸時代、東海道の各地に設けられていました。 ここは、新居宿と白須賀宿の中間にある立場で、代々加藤家が務めてきました。 立場では、旅人を見ると、濁茶をすすめたので、ある殿様が「立場立場と水飲め水飲めと鮒や金魚じゃあるまいに」という歌を詠んだという話が残っています。 今来たところへ戻る△ |
←舞坂宿−新居宿 | 白須賀宿−二川宿→ |
2002.4.29update
トップページ>東海道を歩く(東海道五十三次)>歴史探訪>新居宿−白須賀宿