東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:二川宿〜吉田宿 |
二川宿 東海道33番目の宿場であり、三河国に入って最初の宿場でもあります。 旅籠38、家数328と比較的小さな規模の宿場でした。 現在は、宿場時代の町割りや枡形がそのままの状態で残されており、宿場の中ほどには資料館として本陣跡が現存しています。 今来たところへ戻る△ |
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二川一里塚跡 江戸から数えて72番目の一里塚跡です。 この一里塚跡は、二川宿の東側の入り口付近にあります。 今来たところへ戻る△ |
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妙泉寺 寛政10年(1798)に建立され、明治12年に隣の十王院から移された芭蕉句碑があります。 今来たところへ戻る△ |
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二川八幡神社 永仁3年(1295)、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮から勧請したと伝えられる二川村の氏神で、境内には二川宿の人々の寄進による灯篭2対が今でも残っています。 今来たところへ戻る△ |
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松音寺 康永から貞和年間(1342〜50)の創立と伝えられ、のち明暦年間(1655〜58)に白須賀の蔵法寺和尚により再興されました。 江戸時代、大通行の際の休泊所や、本陣休泊者の避難所に指定されていました。 今来たところへ戻る△ |
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脇本陣跡 二川宿内の脇本陣跡です。 文化4年以前は、ここに本陣があったのですが、その本陣が別の場所に移ったあと、ここに脇本陣が移りました。 現在は、写真の通り、説明板が残っているのみです。 今来たところへ戻る△ |
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二川宿本陣資料館 文化4年(1807)から明治3年まで本陣をつとめた馬場家の遺構です。現存する建物は、享保3年(1718)から宝暦3年(1753)にかけて建てられたものです。 平成3年、書院などを復元し、往時のままの姿で蘇りました。隣接する資料館では、本陣の一日を再現しています。 ここは、豊橋市の史跡でもあります。 今来たところへ戻る△ |
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高札場 幕府・大名が法令や禁令を板札に墨書きした高札を掲示した所です。二川宿では、二川と大岩境の街道にありました。 今来たところへ戻る△ |
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大岩寺 もとは、岩屋山麓にあって、岩屋観音に奉仕した六坊中の一坊だったと伝えられています。 正保元年(1644)現在地に移転しました。岩屋観音に(この近くにあります)寄進された絵馬・黄金灯篭等の文化財を所蔵しています。 今来たところへ戻る△ |
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大岩神明社 文武天皇2年に岩屋山の南に建てられたのが最初と伝えられています。 境内には、寛延4年(1751)の灯篭、文化4年(1807)の秋葉山常夜灯、文政6年(1823)の手水鉢があります。 今来たところへ戻る△ |
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渥美奥郡道の道標 二川駅から火打坂方面に向かうと、左側に「伊良湖阿志両神社道」と刻まれた石碑がありますが(左写真)、これは明治になってから建てられたものだそうです。 今来たところへ戻る△ |
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飯村一里塚跡 江戸から数えて73番目の一里塚跡です。国道沿いにひっそりと石碑がありました。しかし、ちょっと新しめだったような・・・。 ちなみに、飯村は「いいむら」じゃなくて「いむれ」と読むんですね。難しい・・・。 今来たところへ戻る△ |
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2002.5.10update
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