東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記 | |
#第1日目|日本橋−川崎 平成13年(2001)2月3日(土)
平成13年(2001)2月3日(土)天気:晴/曇 東海道:日本橋−川崎 |
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6時半に目覚めた。6時にセットしておいた目覚まし時計は鳴らなかった。いや、鳴ったのかもしれないが、いつの間にか消してしまったのかもしれない・・そんなことを思いながら朝御飯を軽く食べ、仕度をし始めた。 今日からいよいよ東海道を日本橋から京都まで歩くのである。いささか緊張をしていたが、ここまで来たからにはやるしかないという決意は持っていた。 準備が終わり、7時前に家を出た。そこから電車を乗り継いで、東海道の起点・・というよりも五街道の起点である日本橋に到着した(写真上)。いよいよ旅の始まりである。万歩計をセットし直した私は、第一歩を踏み出した。出発した時刻はジャスト8時30分であった。 まずは、日本橋を写真に収め、橋横にあった説明版を読んだ後、一路京都に向かって歩き始めた(写真右)。 土曜日というのと朝早いためか、あまり人影は見られない。街が活動を始めるには、まだ時間が必要であった。 足の感触を確かめながら歩く。特に問題はないようだ。まずは順調な滑り出しであった。ところが、快調すぎて最初に見ようと思っていた『広重住居跡』を通過してしまった。ここから先は、まめに地図を見ながら歩くことにした。まず『京橋の擬宝珠』を見る。さらに先へ進むと『銀座発祥の地碑』、そして新橋近くの『銀座の柳の碑』などを見た。この辺りは見知らぬ地ではなく、何度か来たことがあったが、こうした歴史を感じることが出来たことは新しい発見であった。 生活の半分以上居る新橋を過ぎ、さらに南下をする。だいぶ日も高く上がってきており、ビルのすき間から光が射し込んでくる。今日は、絶好の旅日和である。そうしているうちに田町が近くなり、『西郷・勝会見の碑』を見る。ここで、西郷・勝両者が会合し江戸城無血開城が行われたのである。そうした歴史を回顧してみると、感慨もひとしおだ。 さらに南下し、『札の辻』を通過し(写真上)、次は『高輪大木戸跡』を見るつもりだったが、ちょっとした勘違いから見ることが出来なかった。仕方なく泉岳寺でお参りしていこうと思ったが、なんとこんな地元で迷ってしまったっ!地元の人に道を聞きようやく寺に着いた。『泉岳寺』は、大石内蔵助と浅野家四十七士の墓などがあるためか、観光客が何人か訪れていた。(写真上) お参りをした後、『東禅寺』に行こうとしたが、なんとここでも道に迷ってしまった・・・なんともはや・・。とりあえず道行く人に聞いてようやく着くことが出来た。東禅寺はひっそりとしており、人が一人も居らず寂しい感があったが、落ち着いた佇まいを醸し出しているのが良かった(写真左)。 そうしているうちに品川駅にようやく到着した。さらに先に進んでいき、いったん第一京浜から外れて旧東海道に入った。旧東海道に入るとまず北品川商店街がある。ここが昔の第一の宿場である『品川宿』があったところだそうであり、商店街もこうした歴史背景を生かして、街並み整備や休憩所の設置、イベントの開催など、意欲的に活動しているようだ。この辺は見所が多く、本陣があったという『聖蹟公園』、品川寺、そして見に行かなかったが板垣退助の墓があるという品川神社など・・・。なおも旧街道を進んでいく。北品川の次は南品川商店街があった。この周辺の商店街は活気が感じられ、歩いていて楽しかった。 ところが、この辺りから足の様子がおかしくなってくる・・・どうやらマメが出来ているらしい。厚い靴下を履いてくれば良かった・・と後悔しつつも、次回への教訓にすれば良い、と前向きに考えることにする。 だんだん南下を続けると『泪橋』があった。この先に鈴ヶ森刑場があり、そうした罪人を見送るため、ここまで来て別れる(時に涙をこぼす)ことからこの名が付いたという。そこからしばらく歩くと『鈴ヶ森刑場跡』があった。見せしめのために東海道沿いにあったというから、なんとも言えない気分になる。ここで再び第一京浜とぶつかった。 しばらく第一京浜を歩く。車がたくさん横を通っていったが、歩道が広い上に天気が良いため上々の気分であるはずが、さらに足の痛みが悪化しており、すでにお昼近くになっていることから、そろそろ休憩にしたかった。ここまで無休憩であった。しかし、良い場所がなかった。とりあえず、梅屋敷駅近くに梅屋敷公園があるということを知り、そこまで頑張って行くことにする。 一体何分歩いたのだろうか・・・ようやく見たことのある梅屋敷駅に着き、さらに先に進みようやく公園を発見。お昼を食べる前に、まず足の状態を調べてみる。うげっ・・・片足にそれぞれ2ヶ所ずつ大きなマメが出来ていた。とりあえず何もしないよりはましだと思い、途中で買った絆創膏を貼り、応急処置をした。お昼を食べた後、少し休憩して再び歩けるか状態をチェックしてみた。うん、とりあえずもう少しは歩けそうだ。最低でも川崎までは・・・と当初から思っていたので、この日は川崎まで行くことにした。それでもそこまで行けるか不安だった。 とりあえず気を取り直して歩き続ける。この辺は見所が特になく、ただひたすら南下を続ける。しばらく歩いていると橋が見えてきた。その奥には川崎のマンション群も見えてきた。少し元気が出てきた。橋を渡り終わった所に『六郷の渡し跡』があった。昔は、一時橋が無かったときもあったそうで、この辺りの宿場、すなわち二番目の宿『川崎宿』も栄えていたらしい。そこから少し歩き、ようやく川崎駅に到着。 多くの課題が残った一日だったが、充実感もあった一日でもあった・・・(つづく) |
→第2日目 川崎−新子安 |
歩数計 | 30,484歩 |
カロリー | 1、266.1kcal |
距 離 | 18.26km |
時 間 | 8:30〜14:58 |
支 出 (交通費) |
交通費|160円 飲食費|1,079円 その他|176円 |
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