東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:川崎宿〜神奈川宿
朝もやの川崎宿 川崎宿
六郷の渡しを控えた宿場であり、かつては名物の奈良茶飯でも知られた宿でもあります。江戸から数えて2番目の宿場にあたります。
現在は、川崎駅前の繁華街として開発が進み、本陣跡などの案内板などがあるほかは、宿場の面影は残していません。しかし、旧東海道沿いに道標を掲げているなど、川崎市として、ある程度の取り組みは行っているようです。

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六郷の渡し跡・・今はその当時の姿の影も形も見られず 六郷の渡し跡
今は新六郷橋がありますが、昔は舟で川を渡りました。
左の写真は、その渡し跡の碑です。この碑のある下手の土手下に当時の船着場があったと推定されていますが、その痕跡は見あたりません。
左の碑の奥には、明治天皇の渡御碑があります。

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市場の一里塚跡 市場の一里塚跡
日本橋から5番目の一里塚であり、京浜方面では唯一残っている史跡です。現在は片側のみ保存され、「一里塚碑」と塚上に小祠があります。
近くには、地元の中学生が書いたと思われる東海道五十三次の絵が飾ってありました。

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鶴見橋関門旧蹟 鶴見橋関門旧蹟
鶴見川にかかる鶴見川橋を渡った少し先のところにあります。
この関門は、横浜開港後に警備のために設けられたものです。
なお、鶴見川橋は、平成8年に新しく竣工されており、近代的で立派な橋になっています。
(→放浪日記2日目のところに写真が載せてあります)

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生麦事件の碑〜歴史的事件の発端の地 生麦事件の碑
文久2年(1862)、島津久光の行列前を、川崎大師へ行く途中のイギリス商人リチャードソンら4人が馬に乗ったまま横切ろうとしたところ、薩摩藩士に斬りつけられ殺傷事件となった場所です。
ただ、別の箇所にも殺傷事件の場所となったところが存在しています。
(→放浪日記2日目
(→写真館

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オランダ領事館跡 オランダ領事館跡
現在、神奈川東通公園となっている場所に、昭和40年(1965)まで長延寺がありました。この寺が、横浜開港当時にはオランダ領事館にあてられていました。
この辺りは、神奈川宿の江戸川の入り口にもあたり、「神奈川宿歴史の道」の起点でもあります。

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良泉寺〜きれいなお寺でした 良泉寺
浄土真宗大谷派のお寺です。
横浜開港当時、諸外国の領事館に充てられることを快しとしないこの寺の住職は、本堂の屋根をはがし、修理中であるとの理由を口実にして、幕府の命令を断ったと言われています。
非常に綺麗なお寺で、当時の住職から現住職に至るまでの「こだわり」みたいなものが感じられました。

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「東海道分間延絵図」モニュメント 「東海道分間延絵図」モニュメント
小学校の壁に書かれた東海道の絵図です。この神奈川宿が当時あった現・神奈川区ではこのような絵図を縮小したものを用いて、「神奈川宿歴史の道」なるものを設定しており、東海道に対する取り組みが嬉しい限りです。

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2001.4.1update


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