東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:日本橋〜品川宿
東海道の起点−日本橋の図 日本橋
東海道をはじめとした五街道の起点となった場所です。「お江戸日本橋七つ立ち」と申しまして、昔の人は朝の4時頃ここを出発したそうです。
現在は、橋上を高速道路が走っており、当時の面影はあまり見られないかもしれませんが、やはりこの地に立つと、気持ちが引き締まる気がしました。
(→写真館

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京橋の擬宝珠〜東京の3大橋を追うの図 京橋の擬宝珠
京橋は、日本橋と同時期に架けられた橋だそうですが、昭和34年に京橋川が埋め立てられた際に撤去されてしまいました。
京橋と聞いて頭に浮かんでくるのが、星新一氏の父である星一氏のビルが建っていたということです。興味がある方は、星新一氏の小説「人民は弱し、官史は強し」をご覧下さい。

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銀座発祥之地の碑〜銀座の由来を辿るの図 銀座発祥之地の碑
ここが銀座発祥の地で、現在の銀座2丁目に当たります。
慶長17年(1612)、駿河の銀座にあった銀貨鋳造役所が移転して、町名を銀座としました。なお、当時は新両替町と呼ばれており、銀座として使われるようになったのは明治に入ってからのことです。

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銀座柳の碑〜銀座には柳がよく似合うの図 銀座柳の碑
銀座に煉瓦街ができた当時、街路樹として松、桜などを植えたがすぐに枯れてしまったそうで、そこで柳を植えると、柳の緑が一面を覆ったそうです。
碑には、西条八十作詞「銀座の柳」の歌詞が刻まれています。

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西郷・勝会見之地の碑〜英雄相まみえるの図 西郷・勝会見之地の碑
かつての薩摩藩蔵屋敷跡で、西郷隆盛と勝海舟による、戊辰戦争の戦火から江戸を救った歴史的な話し合いが行われた場所です。
この碑は、ビル横にひっそりと建てられていましたが、誰も見向きもすることなく行き来する様を見て、時代の移り変わりを感じました。

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泉岳寺〜にぎわいを見せるお寺の図 泉岳寺
赤穂城主浅野家代々の墓と大石内蔵助をはじめとする四十七士の墓があります。
観光名所らしく、境内にはお土産屋さんがあったり、朝早くから訪れていた人が多かったのが印象的でした。

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東禅寺〜落ち着いた佇まいを見せるの図 東禅寺
幕末にイギリス公使館が置かれていたお寺で、水戸浪士による襲撃事件の舞台にもなったところです。玄関の柱に当時のままの傷が残っているそうですが、私は見つけることが出来ませんでした。
上記の泉岳寺と違って、こちらは人が居らずにひっそりとした佇まいを見せていました。

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品川宿−川崎宿→

2001.3.26update


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