日光街道を歩く(日光道中)

 #第1日目|日本橋−草加 平成16年(2004)10月10日(日)


2004年10月10日(日)日光街道第1日目:日本橋−草加 天気:曇一時小雨

■思い立って日本橋〜最後の旅立ち〜

 東京・日本橋。10月3連休の中日早朝、私はこの地に三度(みたび)やってきた。「日本橋」というところを、初めて特別な場所と意識して訪れたのは東海道を歩き始める2001年2月、二度目に訪れたのは甲州街道を歩き始める2002年9月、そして今回日光街道及び奥州街道を歩き始めるために、三度やってきた。

 ここを旅立つのは、おそらく今回が最後であろうという思いから、三度目にして初めて日本国道路元標を撮影した。旅立つのは最後だが、あと一度間違いなく訪れる機会がやってくる。中山道終焉の地として・・。
 そんな様々な万感の思いを胸に、北に向かって歩き始めた。これまでより1時間早い7:30のスタート。

日光街道のはじまりは、お江戸・日本橋なり

コレド日本橋 日本橋を南から 日本橋を東から 日本橋から東を
道路元標から北方面(中山道・日光街道・奥州街道)を望む 全ての道路はここから始まる〜日本国道路元標 全ての道路はここから始まる〜道路元標日本国 道路元標から南方面(東海道・甲州街道)を望む
ルネッサンス様式の装飾 全ての道路はここから始まる〜道路元標日本国 全ての道路はここから始まる〜道路元標日本国 三条大橋横のスターバックス(右)&菓子屋
橋脚には日本橋の文字が 道路元標から東方面を望む 日本橋魚河岸跡 日本橋



■大都会・東京をゆく
三越前交差点から北方面を望みます
【デパートの並ぶ通り】
 これまで日本橋を発って歩き始めた東海道と甲州街道は、南に向かって歩いたので、北に向かう景色はとても新鮮だ。三越デパートを左に見つつ、東京のど真ん中の中心地をのんびり歩く。
 そういえば、直前に見てきた天気予報によると、今日は昨日の大型台風一過の秋晴れとなっていたが、空を見上げてみるとどんよりとした曇が。大丈夫かな〜と思うと同時に、東京って空狭いな〜とあらためて思ってしまった。

 日本橋から約450m歩き、UFJ銀行を右手に見つつ右折。そのまま東の方に向かって歩く。約300mほど歩くと道が分断されているので、地下道を使って反対側へ渡る。
歴史のある三越デパート
三越
空が狭いなぁ・・・
狭い空〜東京
UFJ銀行を右手に見つつ右折
UFJ銀行を右手に右折
道が跡切れるので、右に見える地下通路を使って反対側へ
ここで地下連絡通路へ


■十思(じっし)公園
十思公園
【十思公園】
 地下道を抜けた後、さらに約300mほど歩き、四隅のうち三箇所が銀行である小伝馬町交差点で左折。一旦街道を逸れて十思公園へ。

 十思公園は、かつて江戸時代に伝馬町牢屋敷があったところで、現在は公園となっている。また、公園内には時の鐘(日本橋石町にあったもの)や吉田松陰終焉の地碑(下田で米国艦に便乗しようとして失敗してここに留置されるも謹慎のみで萩へ帰郷。しかし、その後安政の大獄に連座し、再びここの牢獄に繋がれ処刑)などがあり、公園前の大安楽寺には、江戸伝馬町処刑場跡とかかれた石碑が見られる。
時の鐘
時の鐘
吉田松陰終焉の地碑
吉田松陰終焉の地碑
大安楽寺
大安楽寺
江戸伝馬町処刑場跡
江戸伝馬町処刑場跡


■眠っている街をゆく・・・
 再び先ほどの交差点で街道に復帰。復帰して1本目の道の先に、かつての元吉原があったという。元吉原に至る道は、大門通り。その先すぐの辺りがかつての地本問屋跡。地本とは、江戸で出版された小説や草双紙などをさすそうだ。

 まだ朝早いため未だシャッターの閉じた眠る街をゆく。ところが、前方がなにやら騒がしくなってきた。なんと、こんなところで衣服の朝市を行っているお店だ。全品3割引だと。こんなところで朝からすごい人が居て二度ビックリ。確かに格安だったので、購入したかったが、荷物になるので断念。そのまま道なりに進み、大通りに合流
道の先にはかつての吉原跡が
大門通り
何もありません
地本問屋跡
ここだけ賑やかでした
朝市の店
大通りに合流。ここを左折
ここを左折


■ぼちぼちと浅草の文字が
 大通りに合流後、進路を北に変える。国道14号と6号が交わる変則交差点を横切り、そのまま国道6号をゆく。屋形船が多く係留されている神田川に架かる浅草橋を渡ると、左側に浅草見附跡の石碑。ちなみに、浅草橋は江戸城門の石垣を使って作られたのだそうだ。

 見附跡から約150m歩いたところにJR総武線の浅草橋駅。朝早くにもかかわらず結構な人を見かける。そんな人々に交わりながら鉄道高架下をくぐり、約400mほど歩いた後右折。ほどなく榊神社である。この神社、当初私は勘違いして、北国街道高田宿にあった榊神社と同様に、徳川四天王の榊原康政関連の神社だと思っていたら、全然違っていた。ハズカシイ・・。(じゃあ、ここに書かなきゃいいのに)。ちなみに、厄除神として知られているそうです。
下には神田川浅草橋 浅草見附跡
浅草見附跡
JR高架下を通過
浅草橋駅付近
榊神社
榊神社


 街道復帰した後、次の信号(交差点)で再び街道を逸れて右折。首尾の松跡を見に行く。首尾の松とは、将軍・家光の御前で阿部忠秋が馬で首尾よく隅田川を乗り切ったからとか、吉原帰りの連中が昨夜の首尾を語り合うところだったとか言われているそう。こんなんで今に名を残して良いのか?ちゃんと案内石碑も建てられている。
 首尾の松跡のすぐ先には、蔵前橋。派手な色をした橋だな〜と思いつつなにげに辺りを見渡していると、国技館の頭がひょっこりと。おお〜!
 ついでに、街道復帰帰り途中に浅草御蔵跡石碑を撮影。この辺りは、かつて米蔵があったのだ。つまりは、酒田の山居倉庫みたいな風景を見ることが出来たのだろうか。
首尾の松跡
首尾の松跡
蔵前橋
蔵前橋
奥には両国国技館
蔵前橋
この辺りは、幕府の米蔵がありました
浅草御蔵跡


■駒形どぜう
 再び街道に復帰し国道6号沿いを歩く。道の両脇には、相変わらずビルが建ち並んでいるものの、徐々に浅草という薫りが漂ってくる。そうしたものの代表格の一つに、駒形どぜうのお店がある。その名の通りどじょうの老舗である。実は、私も一度だけ来たことがある。しかも大学生の頃。まったく貧乏学生が良くこんなところに来たものだ。しかし、めちゃくちゃ美味かった記憶がある。また、機会を見て訪れてみたい。

老舗です


 しかし、この辺りも新たな開発の波が訪れており、いつ出来たのか駒形どぜうの隣にはバンダイの社屋が。建物前には、キャラクター人形がずらりと。子供が喜びそうな空間が拡がっている。
 信号を渡った反対側には、うなぎの前川、信号を渡った先には駒形堂。さあ、いよいよ本日のメインディッシュのスポットが近づいてきた。
 ちなみにこの近辺は、資料によって旧道の辿るルートが異なっている。私が採択したのは、今井金吾氏の今昔三道中独案内。
キャラクター人形がずらりと。
バンダイ社前
前川
前川
駒形堂
駒形堂
遠方に雷門
遠方に雷門が


■雷門と浅草寺
 そして到着したのは、ご存じ雷門。ビックリしたのは、朝早くからものすごい人混み!はっきり言って甘く見てました。雷門訪問は何年ぶりだろうか。中央の巨大な提灯は、まさに浅草寺のランドマークであり、一番人気のスポットです。
 雷門をくぐると、140mほど続く仲見世通り沿道に商店街が軒を連ねており、雰囲気を盛り上げてくれる。そして、肝心の浅草寺はと言うと、歴史を重ねてきたものだけが持つ重厚さと懐の広さが感じられる、立派な寺院でした。

 浅草は、日本人のみならず、いやむしろ外国人に人気の高い名所であり、当日も半分以上は外国人だったと思う。そのうち、大半がアジア系。ビジット・ジャパン・キャンペーン効果かどうかわからないが、浅草ならば、外国人にお勧めしても恥ずかしくない場所だな、と感じられるところだ。

 っちゅうか、雨降ってきたよぉ・・・。

雷門〜立派です

雷門遠景 雷門 どアップ
仲見世通り 仲見世通り 仲見世通り 仲見世通り
宝蔵門 宝蔵門 宝蔵門どアップ 宝蔵門〜大きな草鞋
五重塔 浅草寺 浅草寺 浅草神社



■そして、もう一つの名所へ
 傘をさすほどでもない小雨なので、もう少し我慢して傘はささないでおく。浅草寺を後にして、五叉路へ。東武あさくさ駅を左手に見つつ、人混みをかきわけて信号を渡る。隅田公園、そしてその横を流れる隅田川(台風の影響で濁っていた)を見て、もう一つの名所・アサヒビールを見上げる。
 その色と形から、あるものを形容して言う人もいるが、今では浅草の名所ともなっている(と思われる)オブジェである。ちなみに、この黄色い物体を頭に載せた建物は、アサヒスーパードライホール(商業施設・多目的ホール)。また、その左隣はアサヒビール吾妻橋ビルで、外壁をビール色のハーフミラーで覆い、頂上部を白い泡に模した、ビル全体をビールに見立てた傑作。

 そんなこんなで、雨もやんだぞー!<曇天は変わらず
駅であり松屋でもある
東武あさくさ
春の〜うらら〜の〜
隅田公園
水上バスも発着します
隅田川
お目当ての建築物
アサヒビール

■浅草を過ぎるも、まだまだ見所は続く
 再び街道に復帰するも、最後にもう一箇所立ち寄る。鉄道高架下をまっすぐ進めば旧道だが、ここを左折し、向かうは観音堂。ここには、時の鐘や芭蕉句碑などがある。しかし、浅草はにぎわいの中心を一歩外れるとガラの悪い街なんだなと強く感じた。おじさん達が新聞片手に、タバコを片手に皆同じ方向に向かっていた。ギャンブル系の施設があるのだろうな。

 ようやく街道復帰して、滞在時間の長かった浅草を後にする。鉄道高架下をくぐって約400mほどで五叉路にぶつかる。ここで二本街道を逸れたところに、かつて芝居小屋が並んでいた猿若町という地区。今は石碑があるのみのようだが、未確認。
 さらに少し先に行ったところで街道を逸れて右折。浅草寺の子院である待乳山聖天。ひっそりとした佇まいを見せつつも、参拝客はかなり多し。
東武鉄道高架下
鉄道高架下
時の鐘
時の鐘
今は地名が残っているのみ
猿若町跡
浅草寺の子院
待乳山聖天
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2004.10.13update


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