日光街道を歩く(日光道中) | |
#第1日目|日本橋−草加 平成16年(2004)10月10日(日)
■ざわついた街・南千住へ 街道復帰後、ようやく見所満載のところから単調な道をゆく。まずは、第一の宿場・千住を目指す。 |
泪橋跡 |
道路標識に名残が |
歩道橋を使って南千住へ |
石首切り地蔵 |
■千住回向院は有名人物が眠る場所 石首切り地蔵のすぐ先には、千住回向院。ここには、有名人物のお墓がある。まずは、入口すぐ右手に橋本左内のお墓。奥に行き、鼠小僧のお墓、さらに奥に吉田松陰のお墓。安政の大獄で刑死したのは橋本、吉田など。なぜだかわからないけど、橋本だけお墓の扱いが違うように見えたが・・。ちなみに、解体新書を翻訳した杉田玄白は、前述の刑場の刑死者の解剖を行っていた。 |
千住回向院 |
橋本左内のお墓 |
一番左が鼠小僧のお墓 |
吉田松陰のお墓 |
■芭蕉関連〜奥の細道の旅立ち 再び街道をゆく。道は、南千住の商店街を抜け、国道4号に合流。正面に交番を見つつ右折。交番の裏手には、素盞雄神社。境内に芭蕉旅立ちの句があると言うが、見つからず。ここから500m弱国道沿いをゆく。 |
突き当たりを右折 |
素盞雄神社 |
千住大橋 |
芭蕉句碑 |
■日光街道第一の宿場・千住宿 足立市場入口交差点で国道を離れ、右の道へ(方向としては直進)。うぉ・・狭い道なのに車通りが激しいぞ。車に注意しつつ先に進む。京成本線の高架下をくぐると左手に千住歴史プチテラス。手持ちの資料には、「地元住民団体が運営する蔵を利用した施設で、街道や宿場に関する展示がされている」と書いてあったが、私が訪れた時は、個人アーティストの作品発表の場となっていた。どちらにしても、昔の歴史的遺構を情報発信の場として活用しているのは素晴らしいことだ。 |
狭い道で車多し |
千住歴史プチテラス |
かつての屋号 |
大師道追分 |
徐々に賑やかな通りとなってくると、そろそろ千住宿の中心部、そして現在の北千住駅近くの商店街だ。所々に古そうな家屋が見られるものの、通りの賑やかさにかき消されてしまっている感じだ。かくいう私も、その活気に飲み込まれ、一里塚跡石碑や高札場跡石碑を見逃してしまった。 |
千住宿 |
見番跡 |
本陣跡 |
歴史的公園 |
■今昔入り交じる街・千住 さらに進むと、徐々に賑やかさが消えてくる。それを待っていたかのように、横山家や絵馬屋、金町屋の蔵などの古い建物や行列ができているだんご屋、そして、それらの古い建物をスケッチしている人々など、歴史風情の感じられる空間が残っていることに、ホッとしたのだった。 |
■大河・荒川を渡る
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荒川 |
荒川 |
真福寺 |
善立寺 |
■一気に見所の減る街道をゆく 荒川を越えてから、途端に見所がなくなる。とりあえず、先を目指してテクテク歩く。善立寺から約700mくらいのところのY字路に、旧日光道中と書かれた石碑。この辺りから、往来する人の数が徐々に増えてくる。石碑から約400mくらいで東武伊勢崎線梅島駅。梅島駅から200m先の街道から少しはずれたところにあるベルモント公園で休憩。ここで30分ほど休憩し、身体も十分休まったので再出発!しかし、今日は晴れるという天気予報の話はどこへ?あれから雨は幸いにも降ってきていないが、今日はもう太陽が見える感じがしない。 |
石碑 |
梅島駅 |
環七を横断 |
御成橋跡 |
旧道沿いのせんべい屋 |
一里塚跡 |
■あな嬉し〜予想外の日光街道の証に感動
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■見所ない道の中の見所4点 さて、ここから草加まで見所がほとんどない道が続くが、その割に交通量は多い。イヤになっちゃうなぁ・・。 |
ホテル |
巨木 |
小学校と煙突 |
地主宅 |
■いよいよ埼玉県に突入! 国道バイパスの高架下を通過した後、大通りにぶつかるのでそこを左折。左折して200mも歩かないうちに毛長川に架かる水神橋を渡る。ついに1都1県目となる埼玉県に突入。最初の都市は、草加市。おせんべいで有名な街で、次の宿場町でもある。 |
国道バイパス高架下を通過 |
大通りに合流し左折 |
水神橋 |
埼玉県突入 |
浅間神社 |
火あぶり地蔵 |
Y字路を左折 |
屋敷神 |
■意外に古い建物の残る草加宿で終了
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駅は左折 |
草加駅前の放置自転車 |
JR草加駅 |
→第二日目|草加−春日部 へ |
歩数計 | 32,508歩 |
カロリー | 1,629.7kcal |
距 離 | 22.75km |
時 間 | 7:30〜15:14 |
支 出 | 交通費|450円 飲食費|692円 その他|0円 |
2004.10.21update