東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:草津宿〜大津宿
草津宿〜東海道と中山道との追分にあたる宿場は、今では自転車の往来する街になっていました 草津宿
東海道52番目の宿場です。
東海道と中山道との追分にあたる交通の要衝であり、東海道沿いでも最大規模の繁栄を誇っていました。
現在では、すっかり現代風の街並みになっていますが、草津宿本陣が残るなど、昔の面影を見いだすことができます。

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天井川である草津川 草津川
草津川は、川床が周囲の地盤よりも高いところにある「天井川」です。かつては、雨で水が溢れると旅人の足を止め、困らせていたそうです。しかし、私が訪れた時は水がまったくありませんでした。ふだんからこうなのかな?

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追分道標〜左が中山道、右が東海道になります 追分道標
東海道と中山道の分岐点に建つ追分道標です。多くの旅人がこの分岐点で別れて、それぞれ別の道で江戸を目指したのです。そして、それぞれ別の道から来た旅人は、同じ道を通って京へ向かいました。

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高札場跡 草津宿高札場
追分道標の対面に位置している高札場跡です。小さいものですが、昔の高札場のように復元されています。

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草津宿本陣 草津宿本陣
草津宿は、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠70軒あまりを有していました。その本陣の一つが、当時の姿を残す全国で唯一のものとして存在していました。
現在は、施設内部を自由に見学することが可能になっており、歴史を肌で感じることができるようになっています。また、平成8年に改築されています。
国指定史跡です。
(→写真館1

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脇本陣跡 脇本陣跡
脇本陣跡です。現在は、草津市観光物産館として利用されています。

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草津宿街道交流館 草津宿街道交流館
東海道・中山道の街道や宿場の情報を模型やマジックビジョンを通して知ることができます。また、自ら旅装束の格好ができるなどの体験コーナーもあります。
私は、大名が乗っていた(と思われる)駕篭に乗ってみましたが、ごっつ狭かったぁ〜。

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草津政所跡 草津政所跡
太田家は、幕府の命を受け、草津問屋場を預かり、また隠し目付を勤めるなど、草津宿の権限をまかされていたため、政所と呼ばれていたそうです。

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立木神社 立木神社
草津宿中心部から少し離れたところにあります。
境内には、樹齢400年のご神木ウラジロガシ、かつて東海道と中山道の追分にあった県内最古の石造道標などがあります。

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光伝寺 光伝寺
承平年間(931〜938)に創建されたと伝わる古刹です。応仁の乱で全焼し、明暦年間(1655〜1658)に再建されました。
もとは、釈迦堂と呼ばれていましたが、廃寺となった金勝山狛坂寺の観音像が盗まれ、立木神社に捨てられた時、そこから夜ごとに釈迦堂へ光が射したということから、光伝寺と呼ばれるようになりました。

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矢橋道標 矢橋道標
街道名物「うばがもちや」のあった古い建物の前にあります。この道標は、寛政10年(1798)に建てられました。ここを右折すると、琵琶湖畔に出る矢橋道が続いています。

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野路一里塚跡 野路一里塚跡
江戸から119番目の一里塚跡です。周辺は、公園になっていました。

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2002.10.22update


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