#第5日目|初狩−勝沼ぶどう郷 平成15年(2003)3月30日(日) 天気:快晴


放浪日記第五日目MAP|初狩−勝沼ぶどう郷


■甲州街道5日目スタート!
甲州街道放浪5日目のはじまりは、この初狩駅から。 前回の放浪から2ヶ月半が過ぎていた。その間、移ろいゆく季節は冬から春へと変貌を遂げていた。自宅を出たのが5:30・・冬ならコートを着てても凍えるくらいの寒さなのに、今の時期ならパーカーだけでも大丈夫だ!と思っていたのもつかの間、電車の中では震えっぱなしだった。人が乗っていないんだから、もっと暖めてくれー>JR東日本
 自宅を出て2時間半弱、ようやく前回旅を終えた初狩駅に到着。遠くまで来たんだなぁ〜。甲州街道沿いに走る新幹線はなく、「特急あずさ号」(もしくはかいじ号)があるのみであるが、あずさは新宿7時発が始発。しばらくは鈍行電車で行くしかなさそうだ。とにかく、じっとしていると寒いので早々に出発(7:52)。


■宮川橋から富士山を望み狂喜乱舞
 駅を出て、数百メートルほど歩いて甲州街道に復帰。角にあるコンビニで飲食料をゲットして本格的な出発!まずは、毎度お馴染みの国道20号沿いを歩くことになる。この国道、朝っぱらから車通りが激しい。車に注意しつつテクテク歩く(一応歩道は付いてる)。
 少し歩くと、『宮川橋』にさしかかった。ものの本によると、山あいの場所ではあるが、ここからなんと富士山が見えると言う。どれどれ・・と前方を見てみるも、残念ながら見えず。まぁ今の時代に見えるわけないか・・と、とりあえず橋の写真を撮って歩き出す。と、ふとなにげに左方面を見てみると、山の間にひょこりと富士山の頭が見えるではないかっ!どうやら見ていた方向が間違っていたらしい。見えないと思っていたものが見えたので、元気100倍、意気揚々声高らか〜<単純
宮川橋 宮川橋で左側を見てみると富士山がっ!<わかりづらくてすみません

■中初狩宿を過ぎ、山あいに続く街道をゆく
 『芭蕉句碑』等を見つつ先へ。『中初狩宿』があった辺りの道路右側にかつての『本陣』。毎度お馴染みの明治天皇御小休遺跡の石碑が建っている。この建物、この近辺の中では、現在でも立派な部類に入りそうだ。
 その後、特に見どころがないところが続く。道も徐々にではあるが上り坂となっている。こういう道を歩くと、甲州街道は山あいの街道だなぁ〜とあらためて実感する。如何せん地図ばかり見ていると、等高線が描かれていてもなかなか高低差を想定しきれないからだ。
中初狩宿の街並み 本陣跡


■国道から一本逸れたところに続く白野宿へ
国道を逸れて右の道に入るとそこは白野宿 ひたすらテクテク歩くと国道から右側に逸れる道にぶつかった。ここを迷わず右へ。そこに拡がっている集落は、かつての『白野宿』だ。現在は、これと言った見どころは残っていないが、国道から1本外れているだけでとても落ち着いた街並みを堪能できる。車が通るのと通らないのとでは、かなり印象が変わるなぁ〜とこれまたあらためて実感。
 宿内をテクテク歩いていると、どこからともなくワンコが現れた。首輪をつけているので、どこかで飼われているのだと思うが、何故かウロウロしている。しかも、久しぶりに吠えない犬で、こっちに近寄ってきた。嬉しくなって思わず写真を一枚!そのまま犬と別れを告げ先に進むも、何故か犬も一緒に横を歩いてくる。「ん?一緒に行くか?」と声をかけるも、そのまま100メートルほど歩いてお別れ。たっしゃでな〜!

ついてくるワンコ


■のんびりした裏道をゆく
写真に見える鉄道高架下をくぐってすぐに左に曲がります 旧甲州街道もほどなく終わり、再び国道20号に。が、少し歩き、石井工業(株)の工場のところを右折。そのまま中央線高架下をくぐり、すぐ左の線路沿いの道を行く。これで、またしばらく裏道だ。やはり車が来ない道というだけで、ゆったりとした気持ちになれる。もっとも、本来ならどの道を歩くにも、車に注意しなければならないのであるが、この道は車が通る気がしないのだ(実際には通ってます)。しかも、ちょっとした高台の道であるため、眺めも悪くない。
 しばらくテクテク歩くと、前方右手に大きな神社が見えてきた。『稲村神社』という歴史のある神社だ。さらに先に進み、再び左に曲がって中央線の高架下をくぐり、『葦池の碑』を左に見つつ国道20号に合流。ここからしばらくは見どころのない国道歩きが続く。しかし、見どころは特にないが、なんとなく全体的なのんびりした風景が、甲州街道らしくて良い感じ。

■笹一酒造がある阿弥陀海道宿をゆく
笹一酒造 テクテク歩き、道が左にカーブしたところで妙にざわついている。なんだろうと思いきや、『笹一酒造』のお土産屋であった。朝早くからそこそこの人で賑わっていた。ここには、世界一という『大太鼓』もあった。ギネスブックにも認定されているらしい。こんなところでお土産を買ってしまうと、後で苦労すると思ったので、特に立ち寄らずに先へ。
 この笹一酒造の少し先に行った辺りが、かつての『阿弥陀海道宿』。と言いつつも、往時の面影はほとんど見られない。見どころも特にないまま先へ。この辺りから、再びゆっくりとした上り坂が続く。

■登り坂が続く途中に黒野田宿
黒野田宿辺り。ところどころに昔ながらの家が点在しています そうして、いつの間にか、かつての『黒野田宿』付近に。この辺りは、割と昔ながらの街並みが残っており、かつての『本陣跡』の門が残されていたりもする。やはり笹子峠を控えた宿場として当時は栄えたのだろう。そんなことを思いつつ、道はさらに上る。
 途中、笹子川にかかる橋を渡ったところに『普明院』というお寺があり、その入り口部に「日本橋から25里」と書かれた『石碑』があった。ここに、かつての一里塚があったのだろうか。


■いよいよ甲州街道随一の難関・笹子峠へ
笹子峠入口。ここの分岐点で左に向かいます そのままゆっくりとした上り坂をゆく。「追分」という地名がバス停等にちらほらと。かつては、ここから小田原・沼津道に出る道があったという。それから少し歩くと、前方にコンビニ・ファミリーマートを発見!この先、笹子峠を越えるまでお店はなさそうなので、峠越えに備えて飲食料を調達。なにせ、笹子峠は甲州街道随一の難関と言われているところだ。念には念を入れるにこしたことはない。
 準備万端、さっそく歩き始める。コンビニを出てすぐのところで、国道を逸れて左の道へ。この前後から一気に坂が急になる。と言いつつ、この先ももっと急な所を登ることになるとは、この時は露知らず。

 車の往来のない坂道をエッチラオッチラと歩く。徐々に人里離れ、森の中に。日があまり当たらないのか、雪が結構残っている。それでも、アスファルト道路部分は溶けているので歩行に支障はない。しばらく歩いていると、後ろから自転車に乗った人が追い抜いていった。ヘルメットもかぶって、万全の格好をしていたが、彼はどこからどこへ向かうのだろうか。

■人気(ひとけ)のない道をゆく
ここからアスファルトの道ではなくなります さらにアスファルトの道を歩く。しかし、車はおろか人もすれ違わない。まさかここまでひっそりした道だとは思いもよらなかった。それでも、この辺ではまだまだ元気に歩く歩く。クネクネと曲道を登っていると、左手に笹子峠自然遊歩道と書かれた道を発見。どうやらこの道がかつての旧甲州街道だとのこと。グビっと喉を潤してすぐに出発。
 この自然遊歩道、もしかして本格的な登山か・・と思ったが、どちらかというとハイキングコースの雰囲気だ。しかも、道の横に川が流れているため、水の音が心地よい。しばらく歩いていると、前方にベンチが見えてきた。休憩所かと思いきや、『明治天皇御野立所跡』の石碑があった。どうやら、ここで明治天皇が休憩したらしい。また、かつては三軒茶屋もあったようで、私もここで一休みすることにした。が、なんか落ち着かないので、休憩もそこそこに先を目指す。

■矢立の杉を堪能!
矢立の杉・・・でかいっ!!! テクテク歩き、川を渡ってちょっと登ったところに東屋があった。なんだろうと思いきや、その東屋の横には『矢立の杉』があった。こんなところにあったのかぁ〜。この杉は、かなり昔からある巨木で、山梨県の天然記念物にも指定されている。根回りで15メートル近くもあるそうだ。デカイっ!
 中が空洞になっているとのことで、さっそく入ってみる。真っ暗な中で上を見上げてみると、上部から光が(下の写真の上にカーソルを置いてみて下さい)。なんか、宮崎駿アニメ「となりのトトロ」に出てくるような一コマの雰囲気を感じた。十分堪能した私は、杉を後に。

矢立の杉

 その後、再びアスファルトの道に合流。なんだか道に大きな石がゴロゴロと。しかも、道脇には、「落石注意」の立て看板が。これじゃ、車も来ないよなぁ。そういえば、「この先車、バイク、人の立ち入り禁止」のようなことを書いてある看板もあったけど、道は続いているだろうな・・・ちょっと心配に。
 それでも、テクテク先を目指す。人は一人も歩いていないし、崖から突然落石があるし(ちょっとびびった)、道には大きな石がゴロゴロ転がっているし、はっきり言って早く立ち去りたい道だ。なんか寂しいので時々歌を歌いながら一人テクテクと。
→第5日目 初狩−勝沼ぶどう郷その2


2003.4.14update
2007.04.07renewal


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