#第1日目|日本橋−調布 平成14年(2002)9月21日(土) 天気:晴


放浪日記第一日目MAP|日本橋−調布


■甲州街道スタート!
 東海道を踏破してから早3ヶ月半が過ぎ、秋になりつつあるこの日、私は再び日本橋の上に居た。東海道を歩き始める時にここを出発したのは、1年半以上も前のことだった。そして、私は再びこの地にやってきたのだ。
 いよいよ今日から甲州街道を歩き始めるのである。が、東海道の時よりも緊張感は少なく、むしろ余裕さえ伺えるようだった。手際よくメモ帳を取り出しペンを動かした後、万歩計をリセットし直した私は、ついに甲州街道放浪をスタートした。一路下諏訪を目指して・・・。出発時間は、8時38分であった。実は、東海道と同じ8時30分スタートを目指していたのだが、電車を1本乗り損ねてこの時間になった。



■東海道と分かれ未知の世界へ
和田倉橋 まずは、日本橋を出て南に向かう。ここは東海道を歩いた時にも通った道だ。そして、200メートルも歩かないうちに日本橋交差点にぶつかった。東海道はこのまま直進であるが、甲州街道はここを右折する。ついに未知の世界に突入だ!と言いつつも、この辺りは何度も来たことがあるところなので、新鮮味はない。
 少し歩いたところにあるコンビニで飲食料を買い込む。東京では‘これ’にことかかないが、ちょっと都心部から外れると、途端にグッと減るから注意しなければいけない。これは、東海道を歩いていて身をもって経験したことの一つだ。

 JR高架下をくぐり、大手町の交差点を左に。前方に皇居周辺のお堀が見えてきた。皇居に来るのも久しぶりだなぁ〜。まずは『和田倉橋』を見る。この橋は、お堀に架かっている橋の一つで、昔の姿のまま復元しているのが特徴だ。


■皇居に立ち寄り
皇居外苑より丸の内(東京駅)方面を望む さらに進み、交差点にぶつかる。左を見ると『東京駅』や先日来話題にのぼっている「丸ビル」が見える。この場所は、まさに東京、いや日本の顔だ。写真を撮ってみたが、あいにくの逆光でうまく撮れず・・。
 甲州街道は、しばらくこのお堀沿いに続いているのだが、せっかくなのでちょっと寄り道をして皇居内をフラフラしていくことにした。と言っても、ホントの皇居内は入れない。だから正確には皇居外苑である。

 この皇居外苑の中に立っていると、ここが東京ではない錯覚を覚える。それほどのんびりした広大な空間が拡がっているからだ。もちろん、周りを見るとビル群が乱立してるんだけど、このような景観に出会えるところは、ここだけかもしれない。

■皇居内をのんびり散策
 そんなことを思いながら歩いていると、前方に櫓っぽいものが見えてきた。持ってる資料を見てみると、『辰巳櫓』だった(桜田二重櫓と書いてる資料もある)。奥には『桔梗門』もみえる。ここは、かつての江戸城跡・・・お城好きの虫が騒ぎ出す。復元したものとは言え、歴史を肌で感じられる貴重なものだ。
 ちょっと左を見ると『坂下門』が見える。その奥には宮内庁の建物も見える。こうして皇居をゆっくり散策するなんて、小学生以来だなぁ。

辰巳櫓と桔梗門(左奥)


二重橋 さらに皇居外苑内を歩く。坂下門を横目にさらに南下すると『二重橋』を発見。この辺りにはカメラをもった方がかなりうろうろしていた。なんでしょう?(後で地図を見て知ったことだが、この二重橋のところは東京100選に選ばれているところだった!っていうか、二重橋の意味も後で知り愕然とする。もっと予習しなきゃなぁ・・。)


■日比谷見附跡
日比谷見附跡 その後、皇居を十分堪能した私は、再びお堀沿いの道に戻り、再び街道歩きを始める。日比谷の交差点で右に。この交差点のところに日比谷見附跡があるはずだが見つからない。おかしいなぁ〜地図によるとこの辺なんだけど・・とウロウロしてみたが、やはりない。と、信号を渡った向こう側にある日比谷公園が目に。もしかして、公園の中にあるんじゃ・・と公園に入るやいなや、「あったーっ」いきなり見つかった!『日比谷見附跡』をさっそく撮り、意気揚々と先を目指す。

■桜田門外の変
桜田門〜この門前で井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」がありました 500メートルほどお堀沿いをテクテク歩くと、前方右手に『桜田門』が見えてきた。井伊大老が殺された「桜田門外の変」が起きた場所がこの桜田門の前である(下写真)。
 「桜田門外の変」は、安政7年(1860)3月3日、安政の大獄(井伊大老が勅許を得ないで、米・蘭・英(アメリカ・オランダ・イギリス)などと条約を結んだことに反対した公卿や志士を処刑した事件)を断行したことに憤慨した水戸浪士17人と薩摩浪士1人の計18人が雪の降りしきる桜田門外で、登城する大老・井伊直弼を待ち受け殺害をした事件であり、これをきっかけとして徳川幕府が崩壊したと言っても過言ではないだろう。

 今は、アスファルトで固められた道路が走っているのみであるが、歴史のターニングポイントの一つであることは言うまでもあるまい。

井伊直弼暗殺場所

 桜田門を過ぎた後は、そのままお堀沿いに若干上り坂になった道を歩く。テクテク歩いていると、多くのランナーとすれ違う。この皇居の周りをランニングコースにしている人はかなり多いのだ。


■半蔵門から、いざ西へ
半蔵門を背に麹町方面を望む。左側の変わった建物は、ワコール麹町ビル(黒川紀章氏設計) 途中、見ようと思っていた国会議事堂の写真を撮り逃し、さらに『最高裁判所』もなんとなくうまい角度の写真が撮れず・・。久しぶりの放浪なので‘勘’がにぶっているのかなぁ〜・・。
 気を取り直してさらに歩き続けると、前方右手に『半蔵門』が見えてきた。そして半蔵門を右手に見ながら、このT字路を左へ。長かった皇居周りもここで終わりとなる。
 T字路を曲がった後、ひたすらビル街を歩く。

■おしゃれな街・四谷を通過
 途中麹町などを過ぎ、テクテク1キロほど歩いていると、前方に四谷駅が見えてきた。四谷駅前には、上智大学やイグナチオ教会など、おしゃれなイメージの強く、結構好きな街なのだ。しかし、そんなおしゃれな街の中にひっそりと歴史を感じられる『四谷見附跡』がある。ここが江戸城の入り口に当たるのであるが、皇居からかなりの距離があることを考えても、いかに江戸城が広大なものだったかとあらためて認識することができる。
私の中ではおしゃれな街のイメージが強い四谷の四谷駅前
四谷見附跡
 その後、四谷駅を越えてさらに先を目指す。特に見所なくテクテク歩き、四谷駅からさらに1キロ以上歩き、国道が地下に潜る分岐点のところに『四谷大木戸跡碑』『玉川上水記念碑』などがあった。
→第1日目 日本橋−調布 その2


2002.09.28update
2007.03.21renewal


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