#歴史探訪 日本橋〜内藤新宿
甲州街道:日本橋〜内藤新宿 |
日本橋 五街道の出発点である日本橋です。というわけで、五街道の一つである甲州街道の出発点もこの日本橋です。 慶長8年(1603)にかけられました。以後20回もの架け替えが行われ、現在は明治44年(1911)築造のルネッサンス様式の石橋です。 今来たところへ戻る△ |
|
|
|
和田倉橋 この橋を渡った先には、かつての江戸城内閣門の一つ和田倉門がありました。 この橋は、昔のままの姿に復元されています。 今来たところへ戻る△ |
|
東京駅 大正3年(1914)開業の、かつての東京中央停車場です。赤れんがと白みかげ石造りの建物です。日本の鉄道の出発点にあたる駅です。(辰野金吾氏設計) 今来たところへ戻る△ |
|
辰巳櫓と桔梗門 手前に移っている櫓が「辰巳櫓」で、奥に写っている門が「桔梗門」です。どちらも復元されたものだと思います。 ちなみに、「辰巳櫓」は、資料によっては「桜田二重櫓」と記載しているものもあります。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
|
坂下門 皇居に入るための門の一つです。門前には警備員がおり、中に入ることができません。 なお、右の奥に写っている建物は、宮内庁です。 今来たところへ戻る△ |
|
二重橋 色々と説があるようですが、皇居正門前に架かっている石橋を「一の橋」と呼び、写真に写っている鉄橋を「二の橋」と呼び、この二つを合わせて二重橋と呼ぶそうです。ちなみに、本によっては、一の橋の橋桁を二重にしていたことからその名が付いたとの説もあります。 ちなみに、写真に写っている「二の橋」は、皇居内の橋なので、一般の人は通行できません。 しかしながら、この辺の知識を入手しないで適当に行ったもので、違う写真を撮らないで良かったと、ほっと一息でした(笑) 今来たところへ戻る△ |
|
日比谷見附跡 江戸城の日比谷側の入り口に当たる日比谷見附跡です。 この日比谷見附跡があるところは、現在日比谷公園となっており、元々は鍋島家(佐賀藩)、毛利家(長州藩)、南部家(奥州)などの大名屋敷がありました。 今来たところへ戻る△ |
|
桜田門 現在の大手町近くにあった大手門と合わせて「両下馬」と呼ばれ、大名登場の表玄関でもありました。当時、桜田門は明け六つ(午前6時)の太鼓で開門しました。 この門前付近で世に有名な「桜田門外の変」が起きました。 今来たところへ戻る△ |
|
最高裁判所 国立劇場、京都国際会議場と並び、戦後を代表するコンペで、217の応募案から選ばれた設計案により作られました。「司法」の最高位にある裁判所です。(岡田新一設計事務所設計) 今来たところへ戻る△ |
|
国立劇場 正倉院の校倉造りを模した外観、内部には花火形のシャンデリア、あんどん形のスタンドなど、論議を巻き起こしました。 伝統芸能の保存と振興を目的としています。(岩本博行氏設計) 今来たところへ戻る△ |
|
半蔵門 古くは「麹町門」と呼ばれたそうです。今の「半蔵門」の名前は、伊賀忍者で組織した伊賀組の組頭服部半蔵から名付けられています。 ちなみに、この服部半蔵は、「槍の半蔵」と呼ばれた名将でした。 甲州街道は、この門を背にしながら西に続いています。 今来たところへ戻る△ |
|
四谷見附跡 俗に三十六見附と言われる江戸城の見張り所の一つで、半蔵門から麹町を経て四谷見附に至る、都内の甲州街道の要所にあたります。 なお、「見附」とは枡形を持つ正門のことで、常時見張りの兵士がおり、その出入りは厳重を極めていました。 今来たところへ戻る△ |
|
長善寺 笹寺とも呼ばれるこのお寺には、本堂に2代将軍・徳川秀忠の念持仏であった高さ6センチほどの赤めのうで作られた観音像があるそうです。 今来たところへ戻る△ |
内藤新宿−下高井戸→ |
2002.10.01update
トップページ>甲州街道を歩く(甲州道中)>歴史探訪>日本橋−内藤新宿