#歴史探訪 内藤新宿〜下高井戸宿


甲州街道:内藤新宿〜下高井戸宿
かつての宿場・内藤新宿は、日本有数の大都市・新宿に成長していました 内藤新宿
甲州街道が制定された当初、日本橋を出て最初の宿場は下高井戸宿で、距離にして約4里2丁(約16キロ)もありました。宿場間の距離があまりに長いという訴えがあり、元禄11年(1698)浅草阿倍川町の名主・喜兵衛が宿場の開設を願い出て許可されたのが「内藤新宿」のはじまりであり、今日の「新宿」の由来にもなりました。
現在は、かつての宿場が巨大な大都市・新宿に成長していました。左の写真は、新宿駅南口。

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四谷大木戸跡碑 四谷大木戸跡碑
甲州街道の大木戸で、左右が谷になっている地形に設置され、米をはじめ荷の検問をしたところです。
通行時間は、明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)までで、原則では夜間の通行は許されませんでした。

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玉川上水記念碑 玉川上水記念碑
四谷大木戸の碑と並んで建っています。昭和34年に地下鉄工事で発見された玉川上水の石樋を使って、碑は造られています。
かつて、徳川家康は、低湿地のこの地をみて、早くから上水道整備に着目し、慶長年間(1596〜1614)に神田上水が完成したのをはじめとして、6箇所の上水道が完成しました。玉川上水は承応3年(1654)に完成しました。

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新宿御苑〜都会のオアシス 新宿御苑
信州高遠藩内藤家の下屋敷の跡地が、明治になって新宿植物御苑と改称され、明治39年(1906)に明治天皇の行幸があり、それ以後新宿御苑と呼ぶようになりました。広さ58万u、周囲3.5キロの広大な公園で、地域住民をはじめとした憩いの場となっています。春の時期には、桜の名所、秋の時期には、紅葉の名所にもなります。

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太宗寺 太宗寺
かつては、内藤新宿の仲町にあった高遠藩主内藤家の菩提寺です。

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新宿追分 新宿追分
この追分は、四谷大木戸から1キロ、甲州街道と青梅街道が分かれるところです。
現在の伊勢丹前の新宿三丁目交差点付近。

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天竜寺 天竜寺
天竜寺の鐘は、江戸三名鐘の一つで、江戸市民に時を告げる時の鐘としても親しまれていました。
新宿四丁目交差点付近。

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パークタワー パークタワー
丹下健三氏設計の超高層ビルです。
オフィス、展示施設、多目的ホール、ホテルなどの機能を備えており、東京都庁と並んで、新宿副都心の顔でもあります。
ちなみに、東京都庁も丹下氏の作品です。

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箒銀杏 箒銀杏
少し離れたところから見ると、箒を逆さにしたように見えるところから、このような名がつきました。
樹齢は、約200年と推定されますが、近くを流れていた玉川上水によって育てられてきたと考えられます。

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正春寺 正春寺
二代将軍秀忠の乳人・初台の局の娘が、母の死後尼となって開いたお寺です。このお寺より少し西に行ったところの「初台」という地名は、初台の局が隠居した後に住んだことから名付けられたものです。
初台の局は、徳川家直参の土居昌勝の妻でもありました。

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東京オペラシティ・新国立劇場 東京オペラシティ・新国立劇場
東京オペラシティは、コンサートホール、美術館などの芸術施設と54階建ての超高層オフィスタワーのビジネス空間、さらにアメニティ空間が共存する新しい都市空間です。
新国立劇場も併設しています。初台駅前にあります。

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牛窪地蔵 牛窪地蔵
仏教では、お釈迦様が入滅して、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまで、無仏の時が続くと言われているそうです。
この地蔵は、そのときに民衆を救うためにあると信じられてきました。
笹塚近くにて。

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道供養碑 道供養碑
道路自体を供養して、報恩感謝の念を捧げることにより、交通安全を祈る、全国でも珍しい供養碑です。
牛窪地蔵横。

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2002.10.07update


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