東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:大津宿〜三条大橋 |
関蝉丸神社上社 蝉丸神社の上社です。赤い鳥居が印象的で、お堂は急な階段を登ったところにあります。この神社側には歩道がありませんが、この鳥居前には信号があるので、安全に渡れます。 今来たところへ戻る△ |
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常夜灯 蝉丸神社上社の少し先にある常夜灯です。ここから京都側には歩道がありますが、ここまでは歩道がありません。歩行をする際は、十分注意しましょう。 道路の反対側の歩道を歩くのが安全策です。 今来たところへ戻る△ |
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逢坂山関址碑 ここは、海抜150メートルほどのところで、別名手向山とも言います。かつては、鈴鹿、不破の関と並んで3大関所と呼ばれた逢坂関がありました。蝉丸の和歌「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」は百人一首等で有名ですよね。 今来たところへ戻る△ |
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蝉丸神社分社 蝉丸神社の一番京寄りの分社です。 蝉丸は、様々な出自の諸説があり、醍醐天皇の第4皇子などと言われています。その蝉丸、盲目ながら琵琶の名手だったと言われており、蝉丸神社も音楽や芸事の神とされ、芸事の上達を祈願する絵馬なども奉納されています。 今来たところへ戻る△ |
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車石 かつて大津と京都を結ぶこの区間は、大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり通行の難所でした。 そのため、京都の心学者脇坂義堂は、文化2年(1805)に1万両の工費で大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12キロの間に牛車専用道路として、車の轍を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ、牛車の通行に役立てました。これを「車石」と呼んでおり、それが左の写真になります。 今来たところへ戻る△ |
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走井(月心寺) 歌川広重の代表作「東海道五十三次」の大津宿には旅人の喉の渇きを潤す茶店が描かれており、茶店の横には「走井」と呼ばれる湧き水がありました。その走井は、現在月心寺というところに今も残されており、それが左の写真です。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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追分道標 大阪へ続く伏見道との追分です。ここを右に行くと京都です。 今来たところへ戻る△ |
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小関越道標 三井寺(園城寺)に行く分岐点にあたります。 今来たところへ戻る△ |
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諸羽神社 この神社は、山科十八郷の中で第4番目に当たるとされており、古くは「四ノ宮」と呼ばれて、付近の産土神として人々に崇敬されました。 今来たところへ戻る△ |
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来迎寺 山科付近にあった浄土宗西山禅林寺派のお寺です。門を入ると幼稚園がありました。 今来たところへ戻る△ |
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天智天皇御陵 旧東海道から400メートルほど参道を歩いた先にある天皇御陵です。 天智天皇は、天智天皇10年(671)12月に没しました。その翌年6月に壬申の乱が勃発し、大友皇子は天智天皇御陵を造営するとして、豪族達に招集をかけました。それを知った大海人皇子は幽閉されていた吉野を脱出し、瀬田の唐橋で大友皇子軍を壊滅させます。大海人皇子が後に天武天皇となります。天智天皇は、大海人皇子の即位を知ることなく、この地に眠っているのです。 そして、私もここでゆっくりと休憩させてもらいました。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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2002.11.9update
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