東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第5日目|大磯−箱根湯本 平成13年(2001)3月20日(火)

放浪日記第五日目MAP|大磯−箱根湯本

平成13年(2001)3月20日(火) 東海道第5日目:大磯−箱根湯本 天気:晴

大磯観光案内所〜きさくな女性が居ました♪ 前回の旅路からずいぶん日が経とうとしていた。果たして梅はどうなったのだろうか、まだ咲いているだろうか・・と、少し不安な気持ちのまま大磯駅に到着した。
 空を見上げてみた。今日も良い天気に恵まれそうだ。今日のこれから始まる放浪で、どんなことに出会えるかって思うと、心がドキドキしてくる。少し気持ちがハイになるのを押さえつつ、さっそく歩き出した。
 まず最初に目に飛び込んできたのが観光案内所だった(写真左)。とりあえずここで情報を入手しておこうと思い、さっそく中に入った。「おはようございますぅ〜」「この辺のパンフ、もらっていってもいいですか?」「いいわよぉ〜ご自由にどうぞ〜」。気さくなおばさんは、非常にあたりの良い人で、今日は天気良いから海がきれいだわよ〜なんてことを話してくれた。「どうもありがとうございますぅ〜♪」朝から気分は上々であった。おばちゃんサンキュー!
 テクテクと歩き、再び旧東海道にぶつかった。角にあるコンビニで飲食物を仕入れた後、再び西に向かって歩き出した。ホントに今日は暑くなりそうだ。こんな朝っぱらからすでに日射しが強い・・・まだ3月なのに・・・もう春なのだなぁと改めて実感した。


地福寺〜島崎藤村夫妻のお墓があります。梅の見所でも有名です そうして歩いているうちに、前回の旅路からの懸念事項だったお寺『地福寺』に到着した(写真右)。今日は門が開いている・・さっそく中に入ることにした。門をくぐり、中をぐるっと見渡す・・・うーん・・やはり梅はほとんど散っちゃってるなぁ・・・でも、まだまだ大丈夫だ!と、持ち前の軽さ(笑)で満足した私は、島崎藤村夫妻の墓を見た後、地福寺を後にした。
 そこから少し歩き、『鴫立庵(しぎたつあん)』に着いた。鴫立庵は江戸時代に俳諧の一大道場として大きく賑わっていたという。ほんの一角、一空間だけではあるが、落ち着いた、それでいてどこか異空間を思わせるようなしっとりとした雰囲気が漂っていた(写真下)。鴫立庵〜文豪の町を醸し出した異空間ですこの日は、まだ開園したばかりだったためか中で掃除をしていたりして少し慌ただしい雰囲気もあったが、非常に良い空気に触れることができた。
 鴫立庵を出た私は、次なる目的地へと足を向けた。次は、島崎藤村が晩年を過ごした『島崎藤村旧宅』である。裏道を抜けると、そこには昔ながらの家屋がひっそりと佇んでいた。「こんにちは〜」。中に入ると、突然家屋内にいた人が話をし始めてきた。いきなりで最初は驚いたのだが、色々と話を聞かせてくれてすごく勉強になった。彼女がボランティアでガイドをしているというのを知ったのは話の最後のほうであった。色々とありがとう〜!


大磯宿の松並木です。歩いていて気持ちが良い〜♪ まだ『大磯宿』から抜け出していない。今日はまだまだ先が長いのだ。藤村旧宅を出た私は、ここから見るべき所も少なくなったので再び西へ向けて歩き出したのだ。藤村旧宅から再び旧東海道筋に戻り歩いていく。この辺りは昔ながらの松並木が残っており、歩いていて非常に気持ちがよい(写真右、写真館)。昔の人は、こうした道を歩いていたのだろうか。・・途中、急に海が見たくなったので、左に曲がり急遽海を目指した。そうして歩くこと数分、海に到着した。うーん、天気の良い日は海が一番だ・・・なぁんてたまに海を見たもんだから舞い上がったりしてみた(笑)。満足した私は、再び旧東海道に戻り、歩き始めた。
 途中に『大磯町郷土資料館』があったので、寄ってみようと山を登り下って、ようやく辿り着いたのだが・・・がーん・・・休館!!
何故祝日に休館なんだぁあぁぁ・・嘆いていてもしょうがないので、仕方なくここを後にした。


押切坂〜今は何でもない坂でも昔は大層な坂だったのです。 国道を逸れ、裏道を歩く。排気ガスが充満している国道沿いに比べて、裏道のなんと気持ちよいことか!子供が遊んでいたり、おばあさんが道で休んでいたり、きれいな花が咲きかけていたり・・しかし、それもあっという間に終わり、再び国道へ。しばらく歩くと、押切坂にぶつかった(写真左)。ここからの相模湾の景色は良いというが、いまいち分からなかった。そうして歩いていると小田原市に入った。急に干物屋とかがあったりして、海沿いの町なんだなぁと改めて実感した。
 ここから見所がないまま、ただひたすら先を目指すことになる。はっきりいって車の往来は激しいし歩いていてつまらないし・・・。海がたまに見え隠れしているが唯一の救いだった。


果たしてどのくらい歩いたのだろうか・・ようやく酒匂川を越え、いよいよ小田原の中心地へと近づいてくることを感じた。そうしてテクテクと歩いているうちに、今日のメインの立ち寄りスポットである小田原城公園に到着した。
相模湾〜日本海ではありません(笑)。 私は、お城が好きである。お城は昔の面影をそのまま残しており(残していないところもあるけど)、歴史を物語り、回顧できる大きな手段となるし。この日は、休日でしかも天気が良いこともあってものすごい人だった。しかも、『小田原城』(写真館)には城だけではなく動物園や遊園地(みたいなもの)もあり、あらゆる人が遊びに来ていた。とりあえず一通り中を見学した後、人混みを避けるべく公園を後にした。実はまだお昼も食べていないのであった。どこかで買わないと・・・。お店に入ることを考えなかったのは何故だろうか。公園を後にした私は、コンビニを探しつつ先を急いだ。今日は、当初の予定通り湯本駅まで行けるかもしれない。
 東海道新幹線と東海道線の陸橋をくぐり、国道を逸れ裏道に入る。この板橋付近は昔ながらの町並みが見られ、歩いていて気持ちが良・・・いはずであったが、車が抜け道として使っているらしく、ブンブン車が通過し、歩いていてすごく怖かった。小田原宿〜天下に誇る小田原城です。この日は、休日で晴れたこともあって賑わっていましたなんでこんな狭い道を飛ばすんじゃぁぁぁ!!しかも、店は全く無くなり、お腹は空いてしょうがないし・・・絶対絶命であった・・が!ふと目に止まったのが、町のパン屋さん!!!おおっ・・・神の助け・・とばかりにさっそく店に入ってパンを購入。とりあえず一安心の私は、どこでパンを食べようかと思案しつつ、先を目指した。
 なかなか食べるところがない。どのくらい歩いたのだろうか・・・『紹太寺』というお寺と長興山のシダレザクラを見に行くべく道を曲がった。この頃から少し暗くなり始めていることもあって、お寺に着いた時は、人も居ないことも手伝って少し寂しかった。さらに奥地に入る。シダレザクラを見に行くためだ。もちろん、まだ咲いていないのは知っていたが、なかなか来る機会がないだろうと思い、見に行くことにしたのだ。階段を登りひたすら山を登り続ける・・・これがかなりつらい。こんなんで箱根の山を越せるのだろうか・・ようやく登り切ったところにあったのはミカン畑と『稲葉氏一族の墓』だった。稲葉氏は、昔の小田原藩の藩主である。墓を見た後、次はいよいよ『シダレザクラ』(写真館)・・・そこから少し歩いて到着したのだが、やはり咲いていなかった。箱根湯本〜温泉地で有名であり、写真の左には旅館が写っていますしかし、咲いていないにも関わらず、この威圧感はなんなんだろう・・・私は、そのサクラの持つ空気に圧倒されつつも、どこか惹かれるものを感じていた。せっかくベンチもあるので、ここでかなり遅めのお昼を食べることにした。まだ咲いていないサクラを見ながらの食事・・あまり経験することはないであろう。そうして、休憩も十分取ったので、最後の一踏ん張りをすべく、山を下った。
 再び旧東海道筋に戻り歩き出す。湯本駅まではもうすぐだ。そうして歩いているうちに、前方に見覚えのある湯本駅が見えてきた(写真右)。今日もよく歩いた。次は、いよいよ東海道最初の難関である箱根越えだ。万全の体勢で望まねば・・と思いつつ、湯本駅に向かったのであった。(つづく)
→第6日目 箱根湯本−三島


歩数計 39,125歩
カロリー 1,627.6kcal
距 離 23.48km
時 間 8:58〜17:01
支 出
(交通費)
交通費|1,260円
飲食費|1,213円
その他|700円


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