東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:大磯宿〜小田原宿 |
大磯宿 大磯は、伝説に富んだ宿場で、松林のある海岸線を「小余綾の磯」と言って、古来歌枕として親しまれてきた経緯があります。大磯宿に残っている松並木が、それらを物語っている気がします。 また、明治18年、照ヶ崎海岸に日本で最初の海水浴場が開設されたことでも知られており、別荘地としても発展してきました。 今来たところへ戻る△ |
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小島本陣跡 大磯宿に3カ所あった本陣のうちのひとつです。このほかに、尾上本陣、石井本陣などがありました。 今来たところへ戻る△ |
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地福寺 真言宗京都東寺末の古刹で、かつて徳川家康が利用した「御茶屋」があったところと言われています。 また、境内には島崎藤村夫妻のお墓があります。梅が有名なお寺でもあります。 今来たところへ戻る△ |
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新嶋襄終焉の地 明治の3大教育家と知られる同志社の新嶋襄氏は、大磯の旅館百足屋で47歳の生涯を閉じました。徳富蘇峰氏の筆による碑が、かつて百足屋の一部だったところに建っています。 今来たところへ戻る△ |
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湘南発祥の地碑 大磯は「湘南」の発祥の地として知られており、同碑は、それを記したものです。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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鴫立庵(しぎたつあん) 寛文4年(1664年)、小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりです。日本3大俳諧道場のひとつと言われています。 今来たところへ戻る△ |
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島崎藤村旧宅 島崎藤村晩年の住まいです。 昭和16年、左義長(さぎちょう)を見に来たことがきっかけで、72歳で永眠するまでの2年あまりをここで過ごしました。 今来たところへ戻る△ |
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滄浪閣 今は、バンケットホールと中華料理店として親しまれていますが、元々初代総理大臣伊藤博文氏の旧邸でした。 大磯は、今も昔も別荘地としての場所でもあるのです。 今来たところへ戻る△ |
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一里塚の跡 「江戸より十八里」の一里塚です。 今来たところへ戻る△ |
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2001.9.16update
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