#第1日目|追分−滋野 平成15年(2003)12月27日(土) 天気:晴(寒い!)



■平成15年末、思い立って北国に旅立つ
新幹線車内より。関東平野が一夜にして銀世界に
【出発の朝、東京も一面銀世界】
 前日まで2つの街道のどちらを歩こうか迷っていた私は、この日の朝、長野行きの新幹線に乗り込んでいた。プラットホームは、ボードを持った若者で溢れかえっており、こりゃ車内は満席かな〜なんて思っていたら、東京駅を出発した時は車両内に3人だけだった。どうやら、彼らは湯沢の方に行くらしい。

 今日から5街道目となる「北国街道」を歩くのだ。実は、甲州街道を歩き終えた後、次の街道歩きとして、この北国街道を歩こうと思っていた。しかし、仕事の関係上2日連続で休みを取ることができなかったため、日帰り可能な下田街道を先に歩き始めた。そして今日、ようやく念願かなって歩ける機会を作ることができた。



 北国街道(ほっこくかいどう)は、別名善光寺街道とも呼び、中山道との追分にあたる分去れ(わかされ)から小諸や上田、善光寺、柏原等を経て高田まで続く街道のことである。ただし、正確には高田で新潟の出雲崎までゆくルートと、金沢を経由して近江まで続くルートに分かれる。

 それを踏まえて、私は高田(新潟県上越市)まで行くことにした。そして、今日から信濃追分の分去れより歩き始める予定なのだ。


■銀世界の中、北国街道スタート

信濃追分駅にて、乗ってきた電車を見送る
【信濃追分駅で下車】
 東京駅を出発した新幹線は、音も立てずに北へ向かって動き出した。東京駅を出てすぐに、私の視界に白いものが飛び込んできた。なんだろうと良く見てみると、そこには家々の屋根に白い綿帽子をかぶった東京の街並みだった。どうやら昨夜中に雪が降ったらしい。今日は、これからもっと寒い長野に行くのだが・・東京がこれでは長野は一体どうなっているのだろうとちょっと不安を覚えつつ、あっという間に軽井沢駅に到着。おっ・・晴れてるじゃん!と思ったのもつかの間、電車を降りた途端「寒い!!!」東京とは一回り寒さが違うぞ。

 その後、乗り換えのため30分ほど駅近辺をブラブラして時間をつぶした後、3セク化した「しなの鉄道」に乗り換えて信濃追分駅で下車。駅及び駅前は雪がかなり積もっていた。

雪の追分宿をゆく
【雪の追分宿】
 うぉー寒いなぁ〜。
 急いで手袋をはめつつ、スタート地点である分去れを目指す。
 雪の積もる別荘地らしきところを抜けると、中山道の追分宿。少しだけ中山道を歩く。そこには、落ち着いた雰囲気のある街並みが拡がっていた。中山道もいいなぁと思いつつ、ようやく北国街道のスタート地点である『分去れ』に到着。さっそく万歩計をリセットして北国街道のスタートだー(9:22)。


■分去れを出発して、不慣れな雪道をゆく

分去れ。左の国道が中山道で、北国街道は右の裏道をゆく
 まずは、分去れの碑を写真に収め、そのまま国道から逸れて裏道(右側の道)を歩く。ちなみに、ここで国道(左側の道)をそのまま進むと中山道です。
 歩き始めてすぐ右手にシャーロックホームズ像があるという案内板が。見に行きかけたが、あまりの雪であえなく断念。街道も予想以上に雪が積もっているため歩きにくい。もしかして、この先こんな道が続くのかなぁ〜と不安に思ったことがこの先的中することになろうとは・・。

雪に足跡をつけてみる(笑)
【足跡を残しながら歩いてみる】
 雪の積もった道を数百メートル歩き、あっという間に国道に合流。北国街道でお世話になるのは、国道18号だ(国道はあまりお世話になりたくないけど)。ここからしばらくの間は、見どころもなくひたすら国道をテクテク歩く。もちろん、もともとこの辺りを歩く人など少なく、ましてやこんな朝早く歩く人もいるはずなく。

 真っ白い雪の上に自分の足跡を残しながら歩いてみる。しかも、それを写真なんか撮ったりして。あまりの寒さに、何か楽しいことを見つけたかったのだ。なにしろ、さっきから粉雪も舞っている。事前の天気予報では、「晴|雪」と書いてあったが、まさに的中である。晴れているのに雪が降るなんて、東京では考えられないことだ。

国道を逸れて左へ向かう裏道をゆきます
【国道を逸れて裏道へ】
 分去れから2キロほど歩くと、左手にガソリンスタンドがあり、その先に左斜めに進む細い道があるので、国道を逸れてそちらへ進む。
 一気に交通量がなくなりほっと一息・・・かと思いきや、バンバン車がやってくる。しかも、雪が溶け出して道がビシャビシャになりかかっているにも関わらず、車はスピードを落とさずに真横を通り過ぎていく。人が歩いているんだから、スピード落とせー!(怒)


■よさげな街並みに心が落ち着く

街道沿いには立派な門構えの家屋も見られました〜馬瀬口地区にて
【明治天皇小休止跡】
 しかし、それでも道の両側に落ち着いた街並みを見ているだけでも、国道沿いよりは良い感じだ。この御代田地区から広々とした敷地に大きな家屋が目に入ってくるようになる。代々この地に住み続けている方達なのだろう。途中、馬瀬口地区にて明治天皇が小休止したという石碑があった。蔵も兼ねているような門構えが立派だ。
 交差点を横切ったところでちょっと視界が開けたので右手の浅間山を見てみると、残念ながらてっぺんが雲に隠れてしまっている。きれいな青い空なのだが、今日は若干雲が多めだ。ここでは富士山の代わりに浅間山を心の支えにしようと思っていたので、ちょっと残念。
 そのまま裏道を歩くも、あまりの寒さに、見かけたコンビニで飲食料の調達。ホット缶コーヒーを一口すすって「ふぅ〜」一瞬のどを熱い液体が通り抜けたとき、身が暖まった気がしたが、それでも寒いことに変わりはない。再び歩き始める。


■今も昔も危険な十石坂
現在も違う意味(歩道がなくて危険)で難所の十石坂
【今も昔も危険な十石坂】
 裏道が終わり国道に合流。そのまま国道を歩き始める。国道は、やはり車通りが激しい。その国道が下り坂にさしかかった時、なんと途中で歩道が途切れる!ぎょー・・大型トラックがバンバン通過しているところを歩けというのか(写真にはたまたま写ってません)・・・仕方なく車の途切れた時を見計らって早足で歩くことに。
 少し下った後、道は登り坂となる。このあたりは『十石坂』と呼ばれており、かつては断崖を下りる大変な道だったが、現在はアスファルトの道路がある。しかしその坂の名前は、今でもバス停で見ることができる。

平原一里塚跡
【平原一里塚跡】
 そのまま国道沿いを歩き、国道が右にカーブする手前で左に入る細い道があるので、そちらへ進む。ほっと一息の瞬間だ。
 入ってすぐのところに『平原一里塚跡』の碑。碑のみが雪畑の中にぽつねんと立っており寂しい限りだが、ないよりましだ。そのまま落ち着いた裏道を2キロほど歩くと再び国道に合流。


■と・・トイレぇ〜

よさげな街並みが続くも、トイレに行きたくて集中力がぁ・・
【雪道が続く北国街道】
 さっきからトイレに行きたくてしょうがないのだが見つからない。こういう時になると、街道歩きはそっちのけでトイレばかり探してしまう。

 国道を500メートルほど歩くとY字路にぶつかるのでここを左折。そのまま道なりに進むと変則5叉路にぶつかるので、そのまままっすぐの細い道を進む。その道は、いきなり下りT字路にぶつかるので、ここを右折。そのまま道なりに裏道を歩く。特に見どころのないまま再び国道に合流。

たまたま写した交差点の写真右端に唐松一里塚が写っています
【変則交差点(一里塚有)】
 かなり体の下の方がやばくなってきたその時、右手に公園らしきものを発見。もしやと訪れてみると、「あったー」ようやく人心地ついた。この公園は、平和公園。うん、素晴らしい名前だ<身も心も平和になったのでヨイショしておく
 公園を後に元気良く歩き始める。そのまま国道を歩くと変則交差点にぶつかる。ここに唐松一里塚があるはずなのだが見つからない。結局あきらめて先に進むも、後で別の道の両脇にあったことを知る。それじゃ気づかないよー。

(※写真:交差点右端に偶然唐松一里塚が写ってます)。


■最初の宿場・小諸宿に到着!

小諸宿の街並み
【ようやく小諸宿に入る】
 そのまま道なりに歩いていると、商店街っぽい道となり、道の両側に店舗がちらほらと。どうやら最初の宿場町『小諸宿』に入ったようだ。道はかなり広いが、車の往来はそれほど多くなく、全体的にのんびりとしつつ品がある雰囲気が漂っている。
 街並みも地方都市独特の景観に加え、歴史を感じられる建物なども見られ、現在も街の気質として歴史が受け継がれていることが伺える。しかし、一方で近代化の波がここにも押し寄せていると見えて、立派なコンクリート状の建物が歯抜け状態で見られる。

 小諸の街に入ってから、急にペースが落ちてしまった。最初に結論を話しておくと、実はこの小諸に4時間近く滞在してしまった。見どころが多いのもあったが、なんと言っても街並みが気持ちよかったのだ。
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2004.5.15update


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