#歴史探訪 石和宿〜甲府柳町宿
甲州街道:石和宿〜甲府柳町宿 |
石和宿 日本橋から数えて38番目の宿場です。 元々武田氏の故地であり、十八代信虎(信玄の父)の代に甲府躑躅が崎に移るまで、この付近が武田氏の本拠でした。 また、元々温泉が湧いていたところでしたが、現在のような温泉郷になったのは最近で、昭和36年(1961)に突然大量高温の温泉が湧出したことに始まります。 現在は、交通量の多い温泉町として賑わっています。 今来たところへ戻る△ |
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遠妙寺 弘安年間(1280年頃)、日蓮上人の弟子日朗上人宗祖日蓮が鵜飼勘作の亡霊に法験を遺した旧地に近いところに一草庵を結び鵜飼の寺と称し、のち慶長年間(1600年頃)鵜飼遠妙寺と改めた身延五ヶ寺の一つです。 今来たところへ戻る△ |
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本陣跡 石和宿の本陣跡です。現在は駐車場となっており、写真奥に見える土蔵を残すのみとなっています。 今来たところへ戻る△ |
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小林公園(由学館跡) この公園は、文政6年(1823)に当時の代官山本大膳が一宮町小城に設け、のちここに移転した由学館という学校があったところです。主として漢学を教授し、武士ばかりでなく、一般人にも聴講を許したそうです。 今来たところへ戻る△ |
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石和八幡宮 武田氏の祖・信義の子信光(石和五郎)が建久3年(1192)、鎌倉の鶴岡八幡宮をこの地に勧請して、石和八幡宮として郷の産土神としたのが始まりです。 武田家滅亡の折り、織田信長に焼かれてしまいますが、徳川家康により再興されたと言われています。 現在の建物は、安永3年(1774)従来の三棟を一棟にして建立されたもので、拝殿、随神門とも石和町最古の建築物です。 今来たところへ戻る△ |
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酒折宮 「日本武尊社」とも呼ばれるお宮。 日本武尊が東征の帰途、土地の翁に火打袋を与え、この火打袋を祭神としたのが始まりだそうです。 現在は、高校生のたまり場と化していました。 今来たところへ戻る△ |
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2004.2.16update
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