#歴史探訪 野田尻宿〜犬目宿
甲州街道:野田尻宿〜犬目宿 |
野田尻宿 日本橋から数えて20番目の宿場です。正徳3年(1713)集落起立の形態で宿を構成しており、かなり小さな宿場でありました。 明治19年(1886)の大火で、かつての面影を残す家はほとんど失われてしまいました。それでも、鉄道路線等から外れたためか、大規模な開発も見られず、落ち着いた街並みを見ることが出来ます。 今来たところへ戻る△ |
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明治天皇御小休所址(本陣跡) かつての本陣跡です。現在は、写真の通り、石碑があるのみです。 今来たところへ戻る△ |
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野田尻宿案内板 鶴川宿にあったものと同じような石碑(野田尻宿とかいてあります)と宿場の案内板です。 ついでに、地元の人が道路を雪かきした際に作った雪山も収めてみました。 今来たところへ戻る△ |
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大嶋神社 野田尻宿内にあった大嶋神社の鳥居です。赤い鳥居が印象的だったので写真に収めましたが、神社についての詳細は不明です。 今来たところへ戻る△ |
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西光寺 天長元年(824)真言宗として創立した歴史ある寺院です。鎌倉時代に建長寺第9世管長智覚禅師を観請開山として、臨済宗に転宗しました。現在は、臨済宗における周辺の総本山となっています。 旧甲州街道は、このお寺の右側の細い道がルートとなっており、それを示す案内板(手書き?)もあります。 今来たところへ戻る△ |
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お玉ヶ井の石碑 西光寺の手前にありました。 お玉ヶ井にまつわる伝説があるようです。その昔、旅籠「恵比寿屋」で働く美しい女中「お玉」にまつわる恋物語で、念願の恋が実ったお礼にと、水不足に悩む野田尻の一角に、澄んだ水をコンコンと湧き出させたと言われています。このお玉の正体は、「竜」で長峰の池の主「竜神」と結ばれたと言われています。 今来たところへ戻る△ |
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荻野一里塚跡 江戸から数えて20番目の一里塚跡です。山梨県上野原町の史跡に指定されています。 今来たところへ戻る△ |
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矢坪坂の古戦場跡 北条氏規と武田信玄配下の小山田信茂が戦った古戦場跡です。上野原町の指定文化財でもあります。 今来たところへ戻る△ |
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武克槌神社 矢坪坂古戦場跡の案内板より少し歩いたところにあった神社の鳥居です。この神社の詳細は不明です。 今来たところへ戻る△ |
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座頭転がし 昔は、急坂で知られる難所でした。現在は、人しか通れない道ですが、それでも快適なハイキングコースと化しています。 なお、「座頭転ばし」と伝えるものもあります。 今来たところへ戻る△ |
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天王様 座頭転がしの案内板の近くに「天王様」と書かれた案内板があり、それに従って見上げてみたら、こんな祠がありました。これが天王様なのでしょうか。。。 今来たところへ戻る△ |
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2003.2.27update
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