#歴史探訪 犬目宿〜下鳥沢宿
甲州街道:犬目宿〜下鳥沢宿 |
犬目宿 日本橋から数えて21番目の宿場です。 かつては、葛飾北斎の富岳三十六景に「甲列犬目峠」として描かれたように、高台の富士山のよく見える小さな宿場でした。現在でも北斎の絵ほどではないにせよ、きれいな富士山を見ることができます。 昭和45年(1970)の大火で宿場の6割近くが焼失してしまい、ほとんどの家が建て替わってしまったそうですが、落ち着いた街並みが見られます。 また、歌川広重も、この宿場で休憩したそうです。 今来たところへ戻る△ |
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犬目兵助の墓 この犬目を含めた、郡内地方は、天保4年(1833)以来大凶作が続いており、飢餓者が続出していました。このため、周辺の各村の代表者は救済を代官所に申し出ましたが、聞き届けてもらえませんでした。 そのため、この犬目村の兵助と下和田村(大月)の武七を頭とした集団により、天保7年(1836)一揆をおこしました(甲州一揆と呼ばれています)。 一揆鎮圧後、武七は牢死し、兵助は逃亡して諸国を回り、明治維新後にここに戻ってきました。その後、慶応3年に71歳で亡くなっています。(ただし、モノの本によっては明治2年に亡くなると記載してます。計算によれば、慶応3年が正しいかと思われます。(一揆をおこしたのが40歳であることからの逆算によります。)) このお墓から見た富士山は良かったですっ! 今来たところへ戻る△ |
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犬目宿案内板 鶴川宿・野田尻宿にあったものと同じような石碑(写真左。犬目宿と書いてあります)です。 右側には、はっぴを着た集団が・・・。 今来たところへ戻る△ |
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犬目兵助生家 犬目村を救った犬目兵助の生家です。生家前には、案内板が建てられています。 今来たところへ戻る△ |
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本陣跡(明治天皇御小休所跡) 宿場内に2カ所あったうちの本陣跡で、石碑があるのみです。 今来たところへ戻る△ |
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宝勝寺 宿場の西の端に位置するこのお寺は、曹洞宗の名刹です。 すみません、足の疲れからか、写真に見える階段を登って境内まで行くことが出来ませんでした・・。 今来たところへ戻る△ |
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白馬不動尊鳥居 宝勝寺の少し西にある真っ赤な鳥居は、不動院の入口部に当たります。また、この鳥居の奥には、白滝と呼ばれたかつての修験道の行場があるそうですが、私は未確認です。 歩く気力が・・・。 今来たところへ戻る△ |
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石畳 甲州街道の石畳です。場所は、君恋温泉近くで、県道を歩いていると、右側に案内板があります。この辺りの坂は、かつて君恋坂と呼ばれていたそうで、その名残かもしれません(推測)。なお、君恋坂は、「君越坂」とも呼ばれているそうです。 今来たところへ戻る△ |
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恋塚一里塚跡 江戸から数えて21番目の一里塚跡です。山梨県上野原町の史跡に指定されています。 雪をかぶったこんもり感が良い感じです。 今来たところへ戻る△ |
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馬頭観世音 君恋からテクテク下った山谷という集落近くにあった馬頭観世音です。 ちなみに、山谷は、立場があったところだそうです。 今来たところへ戻る△ |
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2003.3.1update
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