#歴史探訪 八王子宿〜駒木野宿


甲州街道:八王子宿〜駒木野宿
八王子宿〜かつての宿場は、大都会と化していました 八王子宿
日本橋から数えて11番目の宿場です。
八王子宿は、横山宿とも呼ばれ、横山宿と八日市宿を中心として栄えました。また、甲州街道の宿場町以外に、日光往還、案下道、横浜道、五日市往還、大山道等の合流する交通の要衝としても賑わいました。
現在は、宿場の面影はほとんど見られませんが、かつての宿場は大都会と化していました。

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竹の鼻一里塚跡 竹の鼻一里塚跡
日本橋から12番目にあたる一里塚跡です。江戸初期の頃は、ここが八王子宿の入口でしたが、その後街道が移動して、現在は甲州街道筋からは外れています。
永福神社の隣にある竹の鼻公園内に石碑が残っています。

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追分道標。平成15年5月に新しく整備されました 追分道標
この追分道標は、江戸の商人が高尾山に銅製五重塔を奉納した記念に建てた道標の一つだそうで、地元の要望により、一部欠けているところを復元して、平成15年(2003)5月に新しく設置されました。(2003.11.16追加)

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八王子千人同心屋敷跡 八王子千人同心屋敷跡
八王子同心とは、徳川氏の関東入国に際して、甲斐・武蔵の国境警備と、八王子周辺の治安を担当した郷士集団のことで、当初は武田家の遺臣250人がこの任にあたり、のちに1,000人あまりに人数が増えて千人同心と呼ばれるようになりました。
かつては、追分と呼ばれるところ付近に当時拝領した屋敷があり、その場所にこの記念石碑が建てられました。

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イチョウ並木 イチョウ並木
上記の八王子追分から高尾の間に768本のイチョウが植わっています。これは、大正天皇の御陵造営を記念して昭和2年(1927年)に植えられたもので、春から夏の緑色から秋の黄色へと街を彩り、道行く人々の目を楽しませてくれます。
私が訪れた時は、ちょうどピークだったのですが、あいにく真っ暗な時間だったので写真が上手く撮れず、次に訪れた時は、左の写真のように、すでに散ったあとでした。

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道標 道標
国道20号からちょっとはずれるかつての旧甲州街道への分岐点にあった石碑です。「右 高尾山 左 真覚寺」と書いてあります。
また、この石碑のすぐ横には、かつての甲州街道の道が描かれた小さな石碑がありました。

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武蔵稜入口にあたります 武蔵陵
武蔵稜入口です。武蔵稜は、昭和天皇の御陵です。また、隣接して大正天皇の多摩御陵もあり、さらにその東隣の多摩東陵は貞明皇后の御陵です。
また、平成13年(2001)6月、武蔵陵の東隣に香淳皇后の御陵が新たに造営されました。
この入口部から御陵までケヤキ並木が続いています

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2002.12.21update


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