#歴史探訪 府中宿〜日野宿


甲州街道:府中宿〜日野宿
府中宿〜今も昔も人々で賑わう中心地なのです 府中宿
日本橋から数えて9番目の宿場です。
府中は、かつての武蔵国府、武蔵総社(大國魂神社)があった武蔵国の中心地でした。その後、鎌倉時代には鎌倉街道、江戸時代には甲州街道の宿場として大いに栄えました。特に、140軒以上の家がなんらかの商いに関わっており、ここに来れば生活必需品が一通り揃ったそうです。
そして、現在も周辺の中心地として人々で賑わっています。

今来たところへ戻る△








大國魂神社 大國魂神社
律令時代、武蔵国府をこの地に定めました。また、国司が巡拝すべき武蔵国内の重要な6社を集めて祀り、武蔵総社(または六所宮)としました。
その後、明治18年(1885)に大國魂神社と改名されました。
寛文7年(1667)に改築された本殿は、東京都の有形文化財に指定されています。また、5月上旬に行われる「くらやみ祭り」は有名です。かつては、町中の明かりを一斉に消して、暗闇の中を御輿をかついで練り歩いたそうですが、現在は夕方の日のあるうちに行われているそうです。

今来たところへ戻る△


馬場大門ケヤキ並木〜ケヤキのトンネルでしたぁ 馬場大門ケヤキ並木
このケヤキ並木は、大國魂神社の参道となっており、その両側が馬場になっていました。まっすぐ進むと大國魂神社に至ります。
元々、平安後期の康平5年(1062)、源頼家、義家親子が奥州の安倍一族の乱を平定した戦勝記念に1000本のケヤキを奉納したのが始まりで、その後慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの時、徳川家康が大國魂神社で戦勝を祈願したのに対して、府中の馬市から多くの馬を贈りました。そのお礼として、家康が二条の馬場を献納し、ケヤキを補植したのが現在の並木と言われています。
ちょうど色づいている時期に見ましたが、見事の一言につきました。

今来たところへ戻る△


高札場跡〜おそらく復元されたものだと思いますが・・ 高札場跡
高札場跡です。宮西町の西、甲州街道と府中街道が交わる交差点部にあります。明治3年(1870)に廃止されました。
かつての高札らしきものがありましたが、これは復元されたもの?東京都の旧跡にも指定されているので、もしや本物・・か?

今来たところへ戻る△


高安寺 高安寺
高札場跡から300メートルほど西に行ったところにあるお寺で、室町幕府を開いた足利尊氏が国分寺にならい、「安国利生(あんこくりしょう)」の寺を国ごとに建立しようと発願し、古くからここにあった寺を再興して龍門山高安護国禅寺と称しました。
このお寺は、崖の上にあり、眺めも良かったことから戦国時代にしばしば武将の本陣になったそうです。また、藤原秀郷が武蔵守であったときの館跡とも伝えられています。
その他に、弁慶に関する伝説も残されています。

今来たところへ戻る△


弁慶坂 弁慶坂
「江戸名所図絵」(江戸時代の地誌)に「甲州街道に架するところの橋をも弁慶橋と名づけ、東の坂を弁慶坂と呼べり」とあります。この弁慶とは、高安寺の弁慶伝説にちなんでいるそうです。これは、弁慶がお寺の裏の古井戸の水を飲んで大般若経を書写したと伝えられているものです。
高安寺の少し西に行ったところにありますが、現在はなんてことのないなだらかな下り道となっています。

今来たところへ戻る△


秋葉常夜灯 秋葉常夜灯
慶安年間〜寛文年間(17世紀半ば)に甲州街道が変わりましたが、そこは台地上で水が乏しく本宿村の人々は度重なる火災に苦しみました。
そこで、人々は「講」を作り、遠江の秋葉神社で「火伏せ」の祈祷をし、寛政4年(1792)この地に常夜灯を設けました。
その後、都道建設に伴い現在の国道20号沿いに移されましたが、現在はすでに人々の立ち寄ってるようには見えませんでした。

今来たところへ戻る△


谷保天満宮〜色づいた木々が良い感じでした 谷保天満宮
現在の甲州街道沿いに大きな鳥居がありますが、拝殿は奥まったところにあり、しかも鳥居から参道を下って拝殿前に至ります。これは、かつての甲州街道が神社の南側を通っていたためです。
「天満宮縁起」によれば、菅原道真が太宰府に流された時、道真の三男の道武はこの地に流されました。道真の死後、その姿を彫り、これを祀ったのが天満宮の始まりと言われています。
菅原道真がご神体のため、学問の神様としても有名だそうです。
私が訪れた日は、七五三のお子さん達で賑わっていました(笑)

今来たところへ戻る△


元上谷保村の常夜灯 元上谷保村の常夜灯
寛政6年(1794)に建てられました。
本宿村の秋葉常夜灯と同じく、火難から守るために火伏せの神を祀ったものです。
大正時代までは、村人が順番に毎日夕方灯を灯していたそうですが、現在は道路改修のため国道20号沿いに場所が移されたためか、そのような気配は見られませんでした。


今来たところへ戻る△


元青柳村の常夜灯 元青柳村の常夜灯
寛政11年(1799)に建てられました。
上の常夜灯と同じく、火難から守るために火伏せの神を祀ったものです。
昭和20年頃までは村の人が毎晩当番でろうそくを灯す習慣があったそうです。
現在は、青柳福祉センター前に建てられています。

今来たところへ戻る△

←上石原−府中 日野−八王子→

2002.12.09update


トップページ甲州街道を歩く(甲州道中)歴史探訪>府中−日野