#歴史探訪 下高井戸宿〜上高井戸宿
甲州街道:下高井戸宿〜上高井戸宿 |
下高井戸宿 日本橋から数えて2番目の宿場です。内藤新宿が出来る前までは、この宿場が日本橋を出て最初の宿場でした。 現在は、往時の面影を偲ばせるものは何も残っておらず、車の往来の激しい国道とその上を走る首都高速道路があるのみ。 今来たところへ戻る△ |
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築地本願寺和田堀廟所 明治大学和泉校舎隣に位置しています。 この辺りには、江戸時代に幕府の焔硝所(えんしょうじょ)があったそうです。その後、陸軍省の火薬庫跡で昭和20年(1945)5月に戦災により焼失したとのこと。 現在、この和田堀廟所には、今度の新1000円札の顔になった「樋口一葉」のお墓があります。 今来たところへ戻る△ |
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真教寺 国道の一本裏道に入ると、落ち着いた街並み「寺町通り」があり、その通り沿いにありました。 親鸞聖人80歳のときの自作の尊像と、妻・玉日の君の像、関白九条兼実(玉日の父)の木造が本堂に安置されているそうです。 今来たところへ戻る△ |
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栖岸院 「寺町通り」沿いにあるお寺の一つで、京都の知恩院を本寺とする浄土宗のお寺です。 江戸時代には、住職が将軍に単独で拝謁できる「独礼の寺格」を許されていました。江戸名所図会にも描かれています。 今来たところへ戻る△ |
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龍泉寺 同じく「寺町通り」沿いにありました。 慶長8年(1603)、麹町に建立され、その後四谷左門に移り、明治41年に現在地に移転してきた曹洞宗のお寺です。 江戸庶民に信仰の厚かった北向地蔵があります。 今来たところへ戻る△ |
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竹清堂 この竹細工のお店「竹清堂」がある辺りが、昔の下高井戸宿の中心部だったそうです。現在は、往時の面影は、何も残っていません。 しかし、この竹清堂は、明治40年(1907)の創業で、非常に歴史のあるお店なのです。 京王線桜上水駅近くの国道沿いにて。 今来たところへ戻る△ |
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覚蔵寺 鬼子母神があることで知られているお寺です。江戸時代から庶民の信仰が篤かったようです。 「江戸名所図会」によれば、文永8年(1271)に日蓮が鎌倉の龍ノ口で危うく処刑されかかったときに、ゴマの餅をくれた老女に感謝し、鬼子母神像をこの老女に与えました。その後、覚蔵寺の十三世日曜が、この老女の子孫から譲り受けここに祀ったそうです。 京王線桜上水駅近くの国道沿いにて。 今来たところへ戻る△ |
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宗源寺 不動堂は、もともと宿の入り口にあった高井山本覚院、続に高井堂のものでした。明治44年(1911)に本覚院が宗源寺に合併されて、不動堂をここに移しました。 「高井戸」の地名は、この高井堂によるものだそうです。 覚蔵寺の近くの国道沿いに位置しています。 今来たところへ戻る△ |
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2002.10.17update
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