東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:庄野宿〜亀山宿 |
庄野宿 東海道45番目の宿場です。 本陣数も脇本陣数も旅籠も少ない小さな宿場でした。他の宿場より遅く設置されたこともあってか、それほどの賑わいは見られなかったそうです。 それでも、現在は落ち着いた街並みが形成されており、ゆったりとした空間を味わうことができます。 今来たところへ戻る△ |
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庄野宿資料館 庄野宿(のちの庄野町)に残る宿場関係資料の活用、旧小林家の保存を進めるため、母屋の一部を創建当時の姿に復元し、平成10年4月に庄野宿資料館として開館しました。 資料館にいた人の話だと、管理運営はボランティアで地元住民が行っているとのことで、地元の取り組みが嬉しい限りです。 今来たところへ戻る△ |
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問屋場跡 問屋場跡です。 写真の通り、現在は案内板があるのみです。 今来たところへ戻る△ |
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本陣跡 庄野宿には、本陣は一つしかありませんでした。その本陣はここにありました。現在は「庄野集会所」前に石碑が建っています。 今来たところへ戻る△ |
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脇本陣跡 脇本陣跡です。本陣と同じく、宿内には脇本陣はここしかありませんでした。 現在は、普通の民家が建っており、案内板があるのみです。 今来たところへ戻る△ |
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女人堤防の碑 昔の汲川原村付近では、鈴鹿川と安楽川の合流点で、たびたび川が氾濫して大きな被害が起きていました。文政12年(1829)頃、藩に何度も修築を申し出たが許されず、女性達が禁を犯し打ち首を覚悟で堤防を補強しました。女性達は一旦は処刑場に送られましたが、赦免されました。 女性は、今も昔も強し・・・ですね。 今来たところへ戻る△ |
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中富田一里塚跡 江戸から数えて103番目の一里塚で、現在は石碑が残るのみです。 右側の石碑は、「従是亀山領石柱」と書いてあり、ここから亀山領になります。 今来たところへ戻る△ |
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無上冷水井跡 かつての神戸城主・織田信孝(織田信長の3男)が愛飲したと言われている無上冷水井跡です。 西富田川俣神社境内にあります。 今来たところへ戻る△ |
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西富田川俣神社 この付近には、たくさんの「川俣神社」と名の付く神社があり、これは和泉橋近くにあった川俣神社です。 今来たところへ戻る△ |
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地福寺 東海道の道すがら多くの人々が立ち寄ったそうです。 毎年8月17日には盛大な盆踊りも行われるとのことです。 今来たところへ戻る△ |
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谷口法悦題目塔 かつてこの辺りは刑場であり、受刑者の供養のため元禄年間(1688〜1704)に建てられた碑だそうです。 谷口法悦は京都の人で、熱心な法華信者でした。17世紀末頃から全国の街道や寺院に供養塔を建立しています。 今来たところへ戻る△ |
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和田の道標 #95caff東海道から旧神戸道に分かれるところに建っています。恐らくは追分に相当するものでしょう。 市内に残る道標の中で最も古いもので、元禄3年(1690)に建てられました。 今来たところへ戻る△ |
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石上寺 このお寺は、空海が創建したそうです。鎌倉時代には建久6年(1195)将軍家代々の祈願所に定められました。現在の堂宇は明和3年(1766)に再建されたものです。 お寺の名前の由来・・・写真を見るとわかる気がしますよね〜。 今来たところへ戻る△ |
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和田一里塚跡 江戸から数えて104番目の一里塚跡です。 おそらく復元されたものだと思いますが、周辺部は公園のように整備されており、休憩するには良い場所でした。 今来たところへ戻る△ |
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2002.8.30update
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