東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:石薬師宿〜庄野宿
石薬師宿〜石薬師寺の門前町として栄えました 石薬師宿
東海道44番目の宿場です。
石薬師寺の門前町として発展しました。宿場規模としては、それほど大きなものではありませんでした。
現在では、本陣跡が残るほか、連子格子の古い建物があちこちに残されている、昔ながらの景色を味わえる落ち着いた街並みがあります。
歌人の佐佐木信綱氏の生誕地としても有名だそうです。

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大木神社 大木神社
この神社は、すっかり木々に覆われており、石薬師の鎮守の森でもあります。約100種類の樹木や草木が混生し、その主体となっているのはシイの木で、目通り1m〜1.5mにも及ぶ巨木もあります。

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小澤本陣跡 小澤本陣跡
石薬師の本陣跡です。
写真に写っている建物は、明治になってから建て替えられたものですが、それでも割と昔ながらの形態をよくとどめているように思われます。
建物の前に、石碑が建っています。

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佐佐木信綱生家 佐佐木信綱生家
歌人で国文学者の佐佐木信綱(1872〜1963)は、ここで生まれました。
しかし、私はこの人物のことをよく知らないので、建物ばかりに目がいってしまいました。

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石薬師寺〜宿場の名前の由来となったお寺ですっ 石薬師寺
平安初期、弘法大師が霊石に仏像を刻み、それを本尊としたことに始まると言われています。
石薬師宿の宿名の由来にもなったお寺であり、地域の人だけではなく、東海道を往来する旅人たちの信仰も集めていました。

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御曹子社 御曹子社
蒲冠者範頼(のりより)を祀った神社です。範頼は、源頼朝の弟ですが、武道、学問に優れていたので、それらの願望成就の神様と言われています。ただし、司馬遼太郎著「義経」では、パッとしない人物として描かれています。

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蒲桜 蒲桜
上記御曹子社から南に60mほどきたところにある蒲桜です。
範頼ゆかりのものだそうで、三重県の文化財にも指定されています。

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石薬師一里塚跡 石薬師一里塚跡
江戸から数えて102番目の一里塚跡です。
この一里塚には江戸時代に川柳が詠まれており「くたびれたやつが見つける一里塚」・・とあります。
その真意は定かではありませんが、この一里塚はちょっとした高台にあることから、その坂を上りきって疲れたところにあるから、そういう川柳が詠まれたのかな・・・と推測しています。

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2002.8.18update


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