東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:箱根宿〜三島宿
雲助徳利の墓 雲助徳利の墓
盃と徳利が浮き彫りにされているところから「トックリの墓」とも呼ばれています。久助という終生酒を愛した雲助の頭役の死をいたんで、仲間の雲助や土地の人々によって建てられたそうです。小枯木坂の最後の方にあります。

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山中城跡。とっても気持ちの良いところでした。 山中城跡
天正18年(1590)、天下統一を目指す豊臣秀吉の七万の大軍に、小田原北条氏の山中城は半日で落城しました。
現在は、山中城跡公園として整備されています。

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芝切地蔵堂 芝切地蔵堂
このお堂の境内に切り芝を摘んで念ずれば病気が治るという言い伝えがあるそうです。戦前は、多くの信者がいて、7月19日の祭りには、参拝の人並みが三島の町まで続いたと言われています。

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松雲寺 松雲寺
坂を下りきって一息ついたところにあるお寺です。このお寺の近くのバス停で待っていた親子にじろじろ見られました。きっと、あのお兄ちゃん何してるんだろ・・って思われたのでせう。

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法善寺旧址 法善寺旧址の碑
もともとここに法善寺がありました。今は、別の場所にあります。

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題目坂 題目坂
小学校横の坂です。結構な急坂でした。

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地蔵・・・ 地蔵
うーん・・・何地蔵かわかりません。。。
とりあえず調べておきます〜

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臼ころばし坂 臼ころばし坂
「臼が転がった」とか、「牛が転がった、うしころがし、うすころがし」という説から来てるそうです。

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普門庵 普門庵
天台宗に属し、観音堂とも言われている小堂です。本尊は、木彫りの聖観音像、元禄14年(1701)の墨書があります。境内には「奉納三十三所巡礼供養碑」もあります。

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錦田一里塚〜立派な一里塚が残っています 錦田一里塚
日本橋より28番目の一里塚です。南北両方の塚は、ともに旧態を残し、良好に保存されています。大正11年3月には、国指定の史跡になっています。

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鞍掛け石 鞍掛け石
昔は馬乗り石といい、北にある川原ヶ谷神社に参詣する人がここで馬に乗ったと伝えられています。

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2001.10.31update


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