東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:保土ヶ谷宿〜戸塚宿 |
保土ヶ谷宿 東海道4番目であり、武蔵国の西端の宿場町であった同宿は、江戸を発ってから最初の難所と言われた権太坂を控えていました。 現在は、開発が進んでいますが、国道1号沿いの本陣付近に古い町並みが残っています。 今来たところへ戻る△ |
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本陣軽部家 本陣跡です。建物は建て替えられていますが、宿場時代の門を伝えています。 交通量の多い国道1号沿いにひっそりと佇んでおり、道行く車も人もほとんど視界に入ることはないと思われます。 今来たところへ戻る△ |
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権太坂改修記念碑 権太坂は、ある旅人が坂の名を尋ねたところ、耳の遠い老人が「権太と申します」と答えたのが、その名の由来とも言われています。 今は宅地造成などをしたため、坂は緩やかになったと言われていますが、昔は東海道最初の難所と言われたところでもあります。 今来たところへ戻る△ |
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境木地蔵 境木は、昔は武蔵国と相模国との国境となっていたところでした。当時は、一服する旅人を目当てとした茶屋が並び、名物の牡丹餅を食べたそうです。 今来たところへ戻る△ |
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品濃の一里塚跡 日本橋から9番目の一里塚です。 昔の人は一里塚を目安に旅を続けました。ここの一里塚は木が生い茂っておりほとんど形を残しているように見えませんが、左右一対の原型をよく残していると文献に書いてありました。 今来たところへ戻る△ |
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江戸方見付跡 ここは、かつての戸塚宿の江戸見付が置かれた場所で、いわば戸塚宿の入り口に当たります。その跡地を示した碑が左の写真の石碑です。 ここまでくれば、戸塚宿の中心部・現在の戸塚駅までもうすぐです。 今来たところへ戻る△ |
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2001.5.10update
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