日常日記


2004年01月01日:No.063謹賀新年
2004年01月13日:No.064天城越え
2004年01月23日:No.065歌川広重
2004年02月17日:No.066祝!3周年
2004年02月28日:No.067豆相人車鉄道
2004年03月21日:No.068東海道川崎宿
2004年03月28日:No.069下田街道踏破

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 2004年1月〜3月 

2004年1月1日:No.063謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。
こうして新年のご挨拶をするのも、3回目を迎えることになりました。前回の日常日記にも書きましたが、昨年は甲州街道の踏破が大きな街道歩きでしたが、12月に入りまして、怒濤の街道歩きを始めました。その一つが前回お知らせした「下田街道」です。しかし、その後、2つも新たに始めてしまいました。一つは、甲州街道を歩き終えた後に歩こうと思っていた「北国街道」、そして、年末の押し迫った30日には、矢倉沢往還(もしくは足柄古道)を立て続けに歩いてきました。天気が良かったことと、仕事の関係でなかなか歩きに行けなかったことの反動で・・(笑)どちらも、のちのちきちんと報告していきたいと思いますが(こればっかりと言わないで下さい(笑))、とても充実した街道歩きができました。ただし、北国街道を歩いた時は、寒かった・・・。

足柄峠からの富士山さて、そして今年です。当面は、上記の「北国街道」「下田街道」を踏破することが目標です。ただし、「北国街道」は長野市の善光寺宿以降の資料がほとんどないので、当面はここで中断することになる可能性が高いです。どなたか旧道がわかるような情報をお持ちでしたら、是非メールか掲示板(交流広場)で教えて下さい。
なお、矢倉沢往還は、単発で歩いた街道なので、今のところこれ以上歩く予定はありません。
そして、もし、今年中に上記の街道を歩き終えた時は、前から考えていた街道歩きに挑戦したいと思います。この街道、かなり距離が長いのでちょっとビビリ気味ですが(笑)

最後に、本日の写真ですが、新年にふさわしく足柄峠からの富士山です。先日の矢倉沢往還歩きで撮影しました。もっとも、この時はこの富士山を見るのが大きな目的だったので、街道歩きは二の次だったんです。

そんなこんなで、今年も充実した街道歩きができればと思っておりますので、この「東海道放浪記」共々よろしくお願い致します。

『東海道放浪記』管理人 たか


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2004年1月13日:No.064天城越え
成人の日を含めた1月の3連休、天気が良い日が続きましたね。
せっかくの3連休だから、どこかに歩きに行こうと思っていました。土曜日は前日仕事が遅かったため朝起きられないだろうと日曜日に「下田街道」の続きを歩いてきました。今回は、前回終了地点の修善寺から天城峠を越えて河津まで。石川さゆりさんの歌にある、まさに「天城越え」をしてきました。
浄蓮の滝今回のテーマは「文学」。天城湯ヶ島は井上靖氏の生まれ育ったところであり、修善寺から天城を越える道は川端康成氏の「伊豆の踊子」で有名なところでもあります。その他、多くの文豪がここを訪れ、そして綴っています。それほど、この地域は魅力的なところなのです。
井上靖氏は、私がここ数年小説を読んでいるお気に入りの小説家の一人です。彼が生まれ育ったのが、今回歩いてきた町の一つ、天城湯ヶ島町です。この当時の様子は、自伝的小説「しろばんば」にて書かれています。でも、この天城湯ヶ島、2004年4月に市町村合併によってなくなってしまうんです。もったいない・・・ちなみに、新しい市の名前は伊豆市です。
今回は、昨年起こったらしい災害によって、コース変更を余儀なくされたところが多々ありました。そのため、危険に身をさらすはめになったりしましたが、トータルとしてはとても充実した街道歩き(山歩きとも言います(笑))が出来たかな〜と。
次の日、朝から体が痛いな〜と思っていたら、それが筋肉痛だったと気づいたのは今日になってからでした。次の日に筋肉痛になるとは、まだまだ若い証拠?

さて、本日の写真ですが、天城湯ヶ島にある浄蓮の滝です。車で行けるところにあったため、大勢の観光客で溢れかえっていました。


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2004年1月23日:No.065歌川広重
今日付けの朝日新聞夕刊の一面に、こんな見出しの記事が大きく扱われていました。

「広重、東海道旅せず?」
「他の絵と人物酷似 石の橋脚が木製に」
「26枚、転用の可能性」

江戸時代の浮世絵師・歌川広重の「東海道五十三次」は、幕府一行とともに京都へ行った際に制作されたものだとされてきましたが、実際に広重は旅をせずに、別の作品を参考にしながら作品を描いたとのこと。
でも、これっておそらく知っている人は、知っていた事実なのではないでしょうか?参考にしたと言われるのが「東海道名所図会」他2作品というのは、今回初めて知ったことですが、それ以前に司馬江漢なる人物の絵を真似ているということも言われており、これはそれを検証した本が発売されています。もし、これらが全て真実だとしたら、広重は色々な作品をベースに、自らの作品を仕上げたということになります。
新松田駅からの富士山それでも、広重に対する批判などが聞かれないのは不思議です。例えば、音楽。楽曲1曲をとっても、このフレーズが似ているなどと訴えることが多々おきています。言葉を悪く言えば、広重は他の作品をパクっているのに、なぜ評価されるのでしょう。
絵画には詳しくないのでよくわかりませんが、他の作品を参考にしつつも、自らのスタイル・作風等がしっかりしていたからなのではないでしょうか。絵画に限らず、オリジナリティって大事ですよね。

さて、今日の写真は、出張の帰り道、小田急線・新松田駅から見た富士山です。携帯についているカメラから撮影したものなので、ちょっとわかりづらいですが、真ん中にちょっと盛り上がっている山が富士山です。


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2004年2月17日:No.066祝!3周年
3年前の2月17日、この『東海道放浪記』が開設されました。街道歩きを始めたのは、サイト開設に先立つこと2週間前の2月3日でした。
サイトを開設した当初、3年後にサイトを持っていることは想像出来ましたが、未だ街道歩きを続けているとは思ってもいませんでした。それが、どっぷりと浸かっています。

「街道歩きは面白い!」

瑞巌寺雪景声を大にして言いたいです。歴史、文化、自然、味覚、運動、放浪、人情・・・旅の醍醐味というものが、「街道歩き」には凝縮されています。もちろん、楽しいことばかりでないことは、サイトを開設している人の道中記を読めばわかりますが、それを上回る素晴らしいものが街道には散らばっているのです。
「あ〜なんでこんなことしているんだろう」なんてことを思う時もいまだにありますが、まだまだ歩いてみたい街道は山ほどあります。諸々の条件が許す限り、いつまでも歩き続けたいと思います。
このサイトのコンセプトが、私の全てを物語っています。

それから、街道歩きはもちろんのこと、このサイトもさらなる充実化を図っていきたいと思います。今後の方針をあえて書いてみましょう。こうして自分にプレッシャーをかけてみる・・・と(笑)
先日、初めて「甲州街道8日目」で地図付きの放浪日記を掲載しましたが、これを全ページで実施したいというのが最終目標です。一つ一つ手作業で作成しているため、どうしても時間がかかってしまいますが、こつこつアップしていきたいと思っています。

この時期は、毎年のことながら、年度末が近いため仕事が忙しくなり更新もままならなくなります。どうぞ、長い目で見て頂けるととても嬉しいです。今後とも、ごひいきによろしくお願いします。

『東海道放浪記』管理人 たか

追伸:本日の写真は、先日出張で訪れた瑞巌寺雪景(宮城県松島町)です。吹雪にあって風邪ひきました。

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2004年2月28日:No.067豆相人車鉄道
久しぶりの更新となってしまいました。
実は、パソコンのOSが立ち上がらなくなり、再インストールを余儀なくされました。はい、お陰でデータが全てぶっ飛びました。特に、これまで撮り貯めてきたデジカメ撮影による写真関係約5,000枚はほとんど藻くずと消えたのがショックで・・・(涙)
運が良かったのは、まだアップしていなかった甲州街道9日目、下田街道、北国街道関連の写真が、別PC等にも落としてあったこと。ただ、書きためていた放浪日記関連は、かなり消えました。そのため、ただでさえ遅い更新作業がさらに遅くなってしまいますが、どうぞ暖かい目で見てやって下さい。なお、矢倉沢往還(足柄古道)は、写真が全てなくなりましたのでアップする可能性が低くなりましたことご了承下さい。

さて、話は変わりまして。
熱海の河津桜です。2004.02.28撮影すっかり春の陽気を匂わせている今日この頃、年度末ということもあって仕事に追われており、1月中旬の下田街道以来歩きに行ってませんでした。それがため、ストレスを発散させる機会もなく悶々としておりましたが、今日久しぶりに歩きに行ってきました。
今回は、ちょっと趣旨が異なりまして、かつての鉄道廃線跡を歩いてきました。それは、小田原から熱海まで走っていた豆相人車鉄道という、人が押して動かす鉄道跡地です。この豆相人車鉄道は、明治時代に走っていた鉄道で、江戸時代でいうところの根府川往還(熱海街道)沿いに走っていました。
見どころは、あまり多くはありませんが、源頼朝関連をはじめとして、歴史に触れることができて、充実した1日を過ごすことができました。今回は、特に河津桜を見ることも目的の一つだったのですが、ちょうど散りかけで、ちょっと寂しかったです。上の写真は、熱海のサンビーチ近くの河津桜の様子です。
河津桜ならば、本場の河津町の桜を見に行こうかとも思ったのですが、もう散ってるだろうと思って。実は、先日出張で熱海駅を通過したとき、熱海駅前の河津桜が目に飛び込んできたのが、今回の旅のきっかけでもありました。

そう言えば、ちょうど1年前にもここに来ているんですが、1年は早いなぁ〜と感じた1日でした。


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2004年3月21日:No.068東海道川崎宿
春らしい陽気が感じられる日が多くなりました。昨日は、関東の各地で雪が降るほどの寒い1日でしたが、今日は一転して好天に恵まれ、絶好の洗濯日和となりました。ただ、お花見には、まだちょっと早いですね。どの桜の木も、ふくらんだつぼみが見られ、今年の開花の時期を今か今かと待ちかまえておりました早くも花の咲き乱れるところもありました<横浜にて。ただ、東京の開花宣言はすでに発令済みで、咲いているところではすでに咲いています。私が本日見かけた桜もかなり満開に近い形で花を咲かせていました(写真下)。
春の時期は、冬の時期に比べて色彩豊かなので、彩り豊かな景色に出会うと「あ〜春なんだなぁ〜」と実感します。
昨年は、千鳥ヶ淵、目黒川、川崎駅、横浜と近場の桜を見に行きましたが、今年は街道歩きにひっかけて、遠くの桜を見に行きたいな〜と思っています。まずは、来週末に下田街道最後となる下田。(もっとも下田は桜の名所ではないけど。)そして、4月上旬〜中旬間に北国街道歩きで上田城跡公園の夜桜。これらは、全て仕事の忙しさと天気により変更が大いにありますが・・・。本当はGW近くの弘前城なんか見に行きたいんですが、きっと混むだろうなぁ。
さて、少し前の話になりますが、3月17日付神奈川新聞の2面に阿部川崎市長の3月16日(火)の動向記事が出ておりまして、こんなことが載っていました。


東海道川崎宿2023・金岩勇夫代表、大川崎宿まつり実行委員会・斎藤文夫会長ほかから「(仮称)東海道川崎宿おもしろ館」の整備に関する要望書を受ける

こんなものを整備するのでしょうか?ただ、要望書を受けただけなので、実際に整備をするのは、かなり時間がかかることが予想されますが。
街道歩きをする一人の人間として、このような施設が出来るのは嬉しいです。しかも、今自分の住んでいるところですし。どうせ整備を行うのなら、PFIもしくはPFI的な施設を大前提にまず可能性調査から行えば、市の財政圧迫を少しでも未然に防げるのではないかと思います。


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2004年3月28日:No.069下田街道踏破
ここ数日、冬に逆戻りしたかのような寒い日が続いていましたが、今週末、久しぶりに「快晴」と呼ぶにふさわしい日となりました。桜が満開のところも出ているようで、おそらくあちこちでお花見をされた方が多かったのではないでしょうか。

ペリーロードそんな週末、前回から2ヶ月半ぶりの下田街道を歩きに行きました。今回で3回目、そして最後の下田街道放浪でした。出発点は前回終えた河津七滝付近から、終着点の下田まで。本当の「峠越え」などもあったり、ろくに案内標識などもなかったことから、かなり道に迷ったりしましたが、無事踏破することができました。これで、4街道目踏破です。
下田街道は、総括してみると、源頼朝関連、北条早雲関連、川端康成関連(伊豆の踊子)、井上靖関連、吉田松陰関連、黒船関連と、様々な時代に渡る歴史が豊富な街道でしたが、如何せんそのルートがよくありません。車優先というより、車のみの道が多く、歩行者に優しくない道と化していました。そんな中、天城湯ヶ島から河津に至る道は、「伊豆の踊子ルート」として、両町が大変嬉しい散策ルート整備をしていました。このルートは、オススメです。

さて、本日の写真は下田市の「ペリーロード」です。日本の近代国家の幕開けはここから始まったと言っても過言ではありません。今回は、あまりゆっくりすることが出来ませんでしたが、機会を見てゆっくり周辺を散策してみたいところです。また、下田街道については、別途報告したいと思っています。

それから、上記の下田街道も含め、その他の街道放浪につきましては、来月から徐々に公開する予定でおります。


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