日常日記


2003年08月09日:No.053台風
2003年08月11日:No.054佐原といえば
2003年08月26日:No.055旧松前街道
2003年09月01日:No.056徒歩帰宅訓練
2003年09月07日:No.057伊賀街道
2003年09月29日:No.058大和街道
2003年10月06日:No.059甲州街道再開!
2003年10月25日:No.060「点と線」「速度」
2003年11月26日:No.061甲州街道踏破
2003年12月21日:No.062下田街道開始

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 2003年8月〜12月 

2003年8月9日:No.053台風
 今日は、台風10号の影響もあってか一日暴風雨でした。しかし、私の住んでいるところでは夕方頃から雨も止んで、夜には空に流れゆく雲の隙間から月が見え隠れしています。ただ、相変わらず風は強く、まだまだ気は抜けない状況です。
 今回の台風。沖縄や奄美諸島からはじまり、四国や近畿、東海、関東と続き、その後東北や北海道にまで多大な影響を与えるみたいで、まさに読んで字の如く日本を縦断するようです。特に、東北地方などは、先月末の地震に続いて立て続けの自然災害です。何かと地盤などゆるんでいたりすると思います。これ以上被害が出ないことを祈るのみです。

大網白里町のヒマワリ畑! さて、街道歩きが中断してから、早4ヶ月以上が過ぎました。早く歩きに行きたくてうずうずしているのですが、この時期に歩くのは自殺行為です。そのため、街道歩きではありませんが、前回の日常日記で紹介した青春18切符を使って、大網白里町と佐原市を訪れてきました。
 大網白里町では、ヒマワリ畑を見に行ってきました。その時写した写真が右のものです。ちょっと小さめのヒマワリですが、一面に咲いていました。若干終わりかけの感がありましたが、それでも、まだまだ写真映えしますよねー(笑)
 ところがこのヒマワリ畑。駅から2キロほどの距離の所にありまして、バスが通っているのですが、40分近く来ないことがわかったので、思わず歩いてしまいました。炎天下の中を。しかも往復。はい、焼けました。やはり夏場は歩くべきではないと強く思ったのでした。
 さて、それでは最後に質問です。

「佐原と言って連想されるモノはなんでしょうか?」(ヒント:人でも良いですよ(笑))

 回答は、次回に(笑)


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2003年8月11日:No.054佐原といえば
 今日は、一昨日の天気から一転して、とても暑い1日だったようです。私は、1日屋内にいたので、あまり実感が沸かないのですが・・(笑)
 夏は暑いに決まっているんですが、限度ってものがありますよねー。昨日なんかも、まさに「猛暑」と呼ぶにふさわしい1日でしたが、ほんの数時間街をブラブラしていただけで、露出していた首や腕などが焼けてしまいました。これで、何時間も外にいるような街道歩きにでも出かけていたらと思うと・・・日焼け止めなどは必須ですね。

佐原の街並み さて、一昨日の質問の回答ですが、知っている人はすぐにわかったのではないでしょうか。佐原と言って連想されるモノ(人)は、「伊能忠敬」です。と言いつつ、私自身伊能さんのことは良く知らないんですよね〜(笑)というより、伊能さんって、全国津々浦々歩いているわけじゃないですか。それが、仕事だったとしても。だから、私からすると「上の人」のように見えるんです。世界が違うというか。だから、あまり詳しく調べていないのです。これは、松尾芭蕉も同じ事が言えるかもしれません。

 でも、今回佐原に出かけて色々と勉強することができました。佐原は、伊能さんが生活をしていたところで、旧宅がそのまま残されています(無料で見学可)。また、旧宅のすぐ近くには、伊能忠敬記念館が新しく整備され、ここにくれば伊能忠敬を知ることができます(大人:500円)。
 また、この伊能家旧宅付近は平成8年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、今でも昔ながらの街並みを堪能することができます。
 私が訪れた時は、かなり暑い1日でしたが、秋頃などに訪れると、気持ちの良い街ではないでしょうか。歩いても十分廻れるくらいの範囲ですし、レンタサイクルも無料で貸しだしているようです。

 さて、次はどこの街を訪れようかな〜。


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2003年8月26日:No.055旧松前街道
 先週末を利用して、北東北&道南方面を訪れました。特に、今回のメインの目的は津軽半島の先端・竜飛岬を訪れることでした。別に深い意味はなかったのですが、下北半島は以前訪れたので、反対側の津軽半島も訪れたかった、といったところです。
 当初は、青森駅からレンタカーでも借りて半島を廻ろうと思っていました。なにしろ、電車の本数も少なく、非常に交通が不便だからです。でも、逆に電車やバスを乗り継いで行った方が気分が盛り上がる(盛り下がる?)かもと思い、電車とバスを乗り継いで訪れることにしました。
竜飛岬は、下北半島の突端の大間崎より寂寥感が漂っておりました まずは津軽半島のJRの終着駅・三厩(みんまや)駅に到着(青森駅から1時間40分も!)。ここからバスに乗り換えます。バスは、村営で運行されており、とてもきれいに整備されていました。そのバスに揺られること30分で竜飛岬に到着するのですが、その途中で目に飛び込んできた石碑がありました。その石碑には「旧松前街道終点の碑」と書いてありました(一瞬のことだったので、もしかしたら若干言葉の違いがあるかもしれません)。場所は、三厩駅より約2キロほどの所にある義経寺近く(だったはず)。
 そうです。この道は、かつての松前藩の人達が参勤交代のために往来した「旧松前街道」だったのです。また、三厩は奥州街道の終着地点でもあり、宿場町でもあったようです。現在は、漁業で生計を成り立たせているような集落が延々と続くところでした。
 江戸を出てから関東・東北を縦断する奥州街道。奥州街道の幕府の管轄下に置かれたのは、白河(福島県)までですが、その先も延々と道は続いております。いつの日か五街道を制覇し終えた時、この奥州街道の続き&松前街道も歩いてみたいと思いました。が!今はまだまだ夢の又夢ですね(笑)

 さて、今日の写真は、三厩のさらに先の津軽半島の突端・竜飛岬です。朝早く到着したので、あまり人がいなくて寂寥感を味わうことができました。でも、その後まもなく団体さんが到着してちょっと気分が殺がれましたが。


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2003年9月1日:No.056徒歩帰宅訓練
 今日から9月です。しかし、昔ならいざ知らず、今日では9月も夏の延長だと言っても良い月だというのが通例でした。ところが、今日はすでに秋の気配が感じられるような、とても涼しい気候でした。また、6時半頃ならまだまだ明るかったはずなのに、今日はすでに外は真っ暗でした。確かに、夏至と冬至のちょうど中間地点・・すでに日も短くなりつつあります。。そんなことを感じた1日でした。
三ツ石〜真鶴にて さて、今日の新聞に興味深い記事が載っていました。それは、「東京で大地震が起きて、交通機関がストップしたと想定して、新宿から調布までの約14キロを歩こうという、帰宅訓練」を市民団体が行ったものでした。このコース、甲州街道と同じコースなんですよね。(実際は、どのようなコースを通ったかは定かではありませんが、記事によりますと、コース途中にカシオ計算機本社や明治大学和泉校舎などがあったとのことなので、おそらく国道20号線をベースに歩いたと想像できます。すると、この辺りの甲州街道は、ほとんどが国道20号ですので、あながち甲州街道と申してもウソではないかと思われます。
 健康に良いとか、自然や歴史資源に触れることができるということの他に、徒歩というのはいざという時の貴重な交通手段として、非常に威力を発揮するんですね。自転車も同様のことが言えますが。
 きっかけは、どんなことでも良いと思うんです。歩くことがいかに楽しいものか(そうでもないこともありますが(笑))少しでも知ってもらえるだけで、仲間が増えたな〜という嬉しい気持ちになってしまうのでした。(ただし、今回の新聞記事は、災害時における交通手段として、「徒歩」を位置づけておりますので、楽しいとか道沿いの景色を楽しむとかという趣旨とは外れています)

 さて、今日の写真は、先日仕事の関係で小田原周辺の視察に行きまして、その時に訪れた神奈川県真鶴町の真鶴岬の突端にある三ツ石です。真鶴は、小さい頃に訪れていると思うのですが、まるで初めて来たかのようにとても新鮮でした。パンフレット等を見てみると、駅からぐるっとこの岬まで廻れるようなウォーキングコースもあるようなので、休みを利用してまた来てみたいな〜と思いました。こういう身近な旅から、新しい何かを発見できそうな気がします。


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2003年9月7日:No.057伊賀街道
 今週末も出かけておりました。その旅の途中で、JR関西本線という鉄道に乗りました。亀山ー奈良間の計74km走っていますが、実際は加茂という駅から亀山間で運行されているようです。この関西本線は、「伊賀街道」というものとほぼ平行している鉄道です。
 まず奈良方面から入りまして、伊賀上野駅というところで降りたのですが、この間の風景がとっても良かったのです〜。周りを緑の山々に囲まれ、眼下には川が流れ、その中を2両編成の列車がトコトコと。

 そして思いました。
 「鉄道から見る景色も良いけど、今度はここを歩いてこの景色を見てみたいな〜」

 ここで最初の話に戻りますが、この鉄道沿いには、かつての「伊賀街道」というものがあったようなのです。現在は、旧道がどうなっているのか定かではないのですが、私の持っている「日本の街道ガイドブック」という本には、伊賀街道として掲載されていることから、歩くことができそうなのです。でも、実際に歩くとなると参考となるような文献も少なそうだし、ここまで来るのにかなり時間とお金を要するので、十分に対策を練ってからになりそうです。ちなみに、関宿の西の外れにある西追分が出発点に当たるのでは、と思っています。ただし、私は「伊賀街道」ではなく「大和街道」と書いていますが。。。
上野市の街並み さて、その伊賀街道の名前にもある「伊賀」ですが、そこも訪れてきました。ちなみに駅で言うと前述の関西本線にある伊賀上野駅というところではなく、そこから近鉄伊賀線に乗り換えて3駅目の上野市駅が中心地になります。この市は見所豊富で、忍者に関する施設(博物館や忍者屋敷)はもちろんのこと、伊賀上野城があり、そして街道を歩いている人なら誰でも知っている松尾芭蕉の生まれ故郷でもあるのです。今回は、一通り全て見てきましたが、ここはまた訪れたいところになりました。見所は豊富だし、人は親切だし、景色は良いし。
 でも、今回はあまりに残暑が厳しくて、ばててしまいました。次は、夏以外の季節に訪れてみたいものです。
 ということで、本日の写真は、上野市の街並みです。落ち着いていてとても良い街でした。


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2003年9月29日:No.058大和街道
 私の住んでいる関東近辺では、すっかり秋の季節になりました。つい10日ほど前は、残暑が厳しかったものですが、一気に秋へと移り変わってきました。ようやく、私も街道歩きを再開できそうです。今週末、仕事が入らなければ、実に半年ぶりに歩きに行こうと思っています。もちろん、甲州街道の続きです。夏場の甲州は、かなり猛暑でしたが、現在は歩きやすい季節になっていることでしょう。ただ、朝夕はかなり冷え込んでいるかもしれません。今度は防寒対策だけはしっかりしないと、季節の変わり目は風邪などひきやすいので注意注意!
大和街道付近の街道MAP
 さて、前回2003年9月7日の日常日記では、「伊賀街道」というタイトルで、関から奈良へ続く街道を歩いてみたいと書きましたが、あれから色々と調べまして、どうやら間違った情報だったようです。
 何が間違った情報だったかと申しますと、東海道の関宿から上野を通り奈良へと続くかつての旧街道を、前回は「伊賀街道」と書きました。ところが、この街道は、どうやら「大和街道」と呼ぶようなのです。左の絵を見て頂きたいのですが、「伊賀街道」とは、上野から伊勢街道へ合流して伊勢参りに向かうための街道だったようです。
 ただし、この情報も実はまちまちで、ところによっては、やはり大和街道を伊賀街道と称しているような情報もあり、どれが100%正しい情報なのかわからないのですが、今回私は、三重県が掲載している情報を元に、上の絵も作成しております。まさか県がウソの情報を流さないだろうと。
 この三重県のホームページ、街道の地図も掲載しており、今後三重県の街道を歩く際にとても参考になりそうなページです。いずれ「情報館」からリンクを貼らせてもらいたいな〜と思っております。


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2003年10月6日:No.059甲州街道再開!
 すっかり季節は秋ですね。秋と言えば、「スポーツの秋」「読書の秋」「芸術の秋」「食欲の秋」など様々な顔を持っていますが、かくいう私は、「街道歩きの秋」を始めました。
 そうです。先週末、今年の3月末以来実に半年ぶりの街道歩きに出かけておりました。ここで自他共に認める(?)晴れ男ぶりが炸裂。10月初旬ながら、まるで夏に戻ったかのようなかなり強烈な日差しの中をテクテクと歩いていたので、首がヒリヒリと・・・。でも、肌をかすめるひんやりとした空気が、「あ〜秋なんだなぁ」と実感させてくれます。
勝沼のぶどう。たわわに実っていました〜 この歩きのことは、早いうちに放浪日記にてアップしていきたいと思っています。しかし、ろくに準備をしないままよく歩いたな〜と思っています。最後はちょっとバテ気味で、しかも足には大きなマメを作ってしまいましたが、久しぶりの街道の空気、気持ち良かったです。
 そして、この季節の甲州と言えば、「食欲の秋」でもありますよね。ぶどうがまさに旬を迎えていました。というわけで、今日の一枚はこのぶどうに決まりです!(右の写真)
 この山梨では、どうだかちょっとわかりませんが、最近こういった作物の盗難事件が多発しているようです。農家の方が、一生懸命丹誠込めて作ったものを盗んでいくなんて、良心がとがめないのかと、不思議でなりません。早く犯人が見つかることを祈るのみです。


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2003年10月25日:No.060「点と線」「速度」
 更新が滞っておりまして、申し訳ありません。仕事の関係で来月頭に迫った委員会に向けて、諸々の準備をしておりまして、なかなか更新できる時間がありません。せっかく街道歩きの季節になったのに、歩きに行くのはおろか、更新もままならないなんて・・・・くぅ。

 さて、今日の新聞にこんな言葉が載っていました。

 「旅行中はカメラで撮ってばかりで、帰ってきた時『自分の目で見た気がしない』では本末転倒」

 これは、カメラについての一意見ですが、確かにそういうことって良くありますよね。私も、旅に出かけるとついつい写真を撮ってしまいます。やはり、「記念に・・」なんてあちこち撮ってしまうのは、人間の性でしょうか。そして、帰ってくると自分の記憶が曖昧になってたり。
 2001年2月から続けている街道歩きでは、たくさんの写真を撮ってきました。何千枚という膨大な枚数の写真を撮っています。もちろん、このホームページに載せているのは、その中から厳選しているので、全てを載せているわけではありません。腕がないので、「数打ちゃ鉄砲もあたる」的に撮ってるのです(笑)特に、デジカメを購入してから、より枚数を撮るようになりました。
横浜のイチョウ並木。色づくには、もう少し時間が必要でしょう さて、ここで本題に話を戻しますと、前述したように、この街道歩きでたくさんの写真を撮影しています。しかし、自分の脳裏には、その場面場面の風景が今でも浮かんできます。あれだけたくさんの写真を撮っているのに、何故だろうと考えました。そして、一つの結論に達しました。それは、「点と線の違い」と「旅の速度の違い」が関係するのだと思うのです。
 つまりどういうことかと申しますと、いわゆる一般的な旅とは、車や電車などで目的地に移動し、再び車や電車を使って次の目的地に移動するという「点と点を繋いでいる」だけにすぎないのです。ところが、街道歩きの場合、歩き始めてから歩き終えるまで、ずっと「線」で繋がっていることになります。これが「点と線の違い」です。
 そして、車や電車で移動する際、ものすごいスピードで景色は後ろに流れていきます。一方、歩きでは自分の足で歩むことにより、周りの景色がいやがおうにも視界に飛び込んでくるわけです。もちろん、常に写真を撮り続けているわけではないため、より一層記憶に残りやすいのではないかと思うのです。これが「旅の速度の違い」。
 これを方程式で示してみますと
 ◆車や電車を使った旅:車・電車=単なる移動手段+目的地(旅)
 ◆歩く旅:歩くこと=移動手段=旅(目的も移動手段も含めて旅と言えます)

 なんにせよ、写真は旅を思い出させてくれる「きっかけ」であることに変わりはありません。それと同時に、想像をふくらませてくれる貴重な材料にもなります。それらをふまえて、これからもよりよいサイトづくりをしていきたいと思っています。

 最後に本日の写真です。横浜の山下公園横に続いているイチョウ並木です(2003.10.18撮影)。微妙に黄色く色づき始めている木もありましたが、全体的に黄色くなるには、もう少し時間が必要でしょう。


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2003年11月26日:No.061甲州街道踏破
 さて、前回の甲州街道歩きから2ヶ月弱が過ぎようとしていた11月下旬の連休、甲州街道の続きを歩いて参りまして、なんとか踏破することができましたー!やったー
 しかし、この連休。天気は良かったのですが、如何せん風が強く、歩くのに苦労しました。それでも、2002年6月から歩き始めて1年2ヶ月、計9日かかって踏破出来たことはとても嬉しいです。これで五街道のうち2つ目を踏破です。この報告は、追い追いホームページに載せていきます。東海道のように半年先にアップなんてことにならないように、頑張らなきゃ。
松本城の雄姿っ
 さて、以前東海道を歩き終えた時は、すでに次の街道歩き、すなわち甲州街道を歩くことを決めていました。今回はと言いますと、もちろんこれで街道歩きをやめるなんてことはありません。次なる街道歩きに向けてすでに調査中です。仕事の関係もありますが、早ければ来月から新シリーズ(?)を始めたいと思います。それがどの街道なのかは、またいずれご報告することにします。ちなみに残りの五街道である「中山道」「日光街道」「奥州街道」ではありませんよ。

 さて、再び話を戻しますと、甲州街道を歩き終えた翌日は、松本の街をブラブラしてきました。私の好きな松本城(国宝)もあるし、擬洋風建築の開智学校もあるし、松本市は好きな街の一つです。プライベートで何度か訪れていますが、いつ訪れても飽きません。松本が小京都だったというのもつい最近知りました。まだまだ奥が深い街です。というわけで、今回の写真は松本城。黒い外壁がとても重厚で威厳が感じられるお城です。


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2003年12月21日:No.062下田街道開始
 2003年も残すところ10日あまりとなりました。今年は、仕事が忙しく、頻繁に歩きに行くことは出来ませんでしたが、ケガもなく、1年間充実した街道歩きをすることができました。大きな話題としては、昨年から歩き始めた甲州街道の踏破(11月23日)が筆頭に挙げられます。そして、今月から新たな街道・下田街道を歩き始めました(12月13日)。
韮山反射炉。貴重な歴史的遺構です 下田街道は、全長約17里14町(約70km)で、東海道沿いの三島大社前から下田まで、伊豆半島を縦断している脇街道です。決してメジャーな街道ではありませんが、とても歴史の感じられるところでした。その他、温泉地が多いのが特徴ですね。
 また、これまでと同様に追い追い放浪日記等を公開していきたいと思っています。どうぞ気長にお待ち下さい。

 さて、話を元に戻します。
 2003年の主な街道歩きは以上ですが、もう一つ大きな出来事がありました。それは、このサイト「東海道放浪記」が大手検索サイトYahoo Japanに登録されたことです!(3月6日)
 それまで1万人にも満たなかった当サイトですが、一気に3万人を超える方が訪問してくれました。本当にありがとうございます。それを受けて、これまでと同様に3万人突破記念として、特集を組みたいと思います。今作成している最中ですので、今しばらくお待ち下さい。出来れば、年内にアップしたいと思っていますが・・・(笑)

最後に、本日の写真です。先日の下田街道歩きで訪れた「韮山反射炉」です。ここまでのものが現存しているのは、ここだけのようで、とても貴重な歴史的遺構となっています。


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