日常日記


2002年01月03日:No.013デジカメ
2002年01月27日:No.014プレゼント
2002年02月11日:No.015JR東海からきたもの
2002年03月16日:No.016静岡
2002年03月21日:No.017続・静岡−日本一の「市」−
2002年04月15日:No.018東海道を歩いて〜余談その3〜
2002年05月12日:No.019笑点
2002年05月30日:No.020最後の放浪
2002年06月04日:No.021東海道踏破
2002年06月23日:No.022神奈川の浮世絵展

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 2002年1月〜6月 

2002年1月3日:No.013デジカメ
 あらためまして・・・
 新年明けましておめでとうございます。昨年は、当ホームページをごひいき下さいましてありがとうございました。今年は、まめな更新を続け、早くホームページの更新が実際の放浪に追いつくように頑張っていきたいと思っています。と、いつも最初だけは威勢がいい・・・(笑)
 一応簡単な報告をしておきますと、現在、放浪の方は三重県の関宿というところまで来ておりまして、関宿は東海道宿でいうと47番目の宿場に当たるわけで、そろそろ終わりが見えてきた感じです。三嶋大社|年末だったのでまだ閑散としていました
 さて、そんなこんなで今回の久しぶりの日常日記のタイトル・・
 そう、念願のデジカメを購入しました〜!そして、右側の写真が、その試し撮りも兼ねてちょっとふらっと三島に行きまして、撮ってきた写真です。ここのホームページでも以前に紹介している三島大社ですね。
 年末に行ってきたのですが、ピークは年明けだと思われ、この時は閑散としていました。おそらく今日も初詣参拝客で賑わったことでせう。
 しかし、これでホームページ編集も楽になるというものです。画質もプリントアウトしちゃうときっとあまり良くないと思うんだけど、こうしてホームページ上で見ている分には問題ないかと思います。と言っても、これまで撮ってきた写真は全てスキャニングしないといけないので、それまで大変なのですが(笑)
 というわけで、また今年1年も変わらぬおつきあいよろしくお願い致します。

『東海道放浪記』管理人 たか


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2002年1月27日:No.014プレゼント
 先週木曜日のことでした。家に帰ってみると、不在通知がポストに入っていました。
 後日、宅配業者に連絡をして、日曜日に届けてもらうことにしました。そして、今日そのブツが届きました。その届いた物が下の写真のものです。
 右から順に、ハンドタオル、手ぬぐい、塩の道ガイドブックです。ハンドタオルと手ぬぐい、塩の道ガイドブック
 東海道を歩いている時に、静岡県内においてスタンプラリーが行われていることに気づいた私は、途中から参加してスタンプが置いてあるところでスタンプを押していました。そして、先月末にようやく必要個数の10個を押し終わったため、さっそくはがきを送りました。その結果、抽選の末、これが当たったようです。ちなみに、これは3等ですが、やっぱり自分の足で当てたようなものなのでとっても嬉しかったです!
 本来なら手ぬぐいだけだったはずですが、ハンドタオルと塩の道ガイドブックはおまけでくれたようです。嬉しいなぁ〜(^^)静岡県の太っ腹に感謝感謝!さっそく旅先で使わせてもらおうと思ってます。
 上記の手ぬぐいやタオルに書かれている文字が見えますか?
 「東海道四〇〇年祭」
 そうです。昨年は、東海道制が敷かれてから400年目に当たる年で、静岡県でもあちこちでイベントを行ったりしていました。今回のスタンプラリーもそうでした。
 年が変わって、今年は401年目に当たりますが、おそらく今年も多くの東海道ウォーカーが出てくることと思います。このホームページがそんな人たちの少しでも参考になれればそれだけでもう嬉しいですね。


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2002年2月11日:No.015JR東海から来たもの
 土曜日のことでした。ピンポーンと玄関のチャイムがなりました。その日に、ある品物をもってきてもらうように頼んでおいたのでそれが届いたのだなと思いました。そして、玄関を開けたら予想通り宅配のおじさんがいました。しかし、宅配のおじさんにその品物をもらったのはいいのですが、予想していた物よりも小さい・・・あれ?おかしいなぁ・・と差出人を見てみたら、「JR東海」と書いてあるではないですか。
 「なんだろう」・・と、さっそく開けてみると、中には下の写真のものが入っていました。これはJR東海が昨年(2001年)に企画した東海道ウォーキング参加者への全コース達成を達成しましたよという「全コース踏破達成認定証」でした。これがくるまで、自分で送ったことすっかり忘れていました(笑)JR東海企画の「日本往来・東海道ウォーキング」全コース踏破達成認定証
 JR東海が昨年東海道制400年を記念して企画したイベントは、全部で10コース定められていて、各コースを歩いた後に、駅でスタンプを押します。それを全て押し終わった後、事務局宛にそのスタンプ帳を送ったら、これが届いたというわけです。つまり、全コースを達成した人なら誰でももらえるものなのです(笑)ちなみに、私は、4186人目の達成者でした。かなりの人が歩いたんですね。
 このイベントに当たっては、JR東海は太っ腹なことをしており、2回目のコースからは3割、5回目からは4割、そして8回目からは5割、それぞれ鉄道料金を値引きしたのです。これは嬉しかった〜。だって、本来なら名古屋まで東京から片道10,000円以上するのに、それを半額で行けるなんて超ラッキーでした。最初は、JR東海の応対に怒っていたくせに(笑)←詳しくはこちらへ(笑)
 元々、東海道を歩き始めたのは、これとはまったく別の理由からなのですが、こうして恩恵を受けることができて、今は感謝しています。JR東海さん、今年も素晴らしい企画を期待しています♪


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2002年3月16日:No.016静岡
 かつて駿府城があった場所であり、今は公園として地元住民の憩いの場となっている駿府公園の中に弥次喜多の銅像が設置されたそうです。これは、弥次喜多がモデルとなっている「東海道中膝栗毛」の作者・十返舎一九が駿府出身だからということだそうです。
 この駿府公園は、今は静岡市という市にあるのですが、ある資料に面白いものが載っていました。
 その昔、この辺りは明治維新の前は「府中」または「駿府」と呼ばれていましたが、維新後に「府中」は「不忠」に通じると考え、何か良い名前に改めたいということになりました。色々と考えた末、駿府城の北にある賤機山(しずはたやま)にちなみ、「賤ヶ丘」に決まりかけましたが、当時の藩校府中学問所の校長向山黄村氏が「『賤』は『いやしい』の意味があるので避け、おだやかな土地柄を考えて『静』を使い、ついでに『丘』を『岡』に変え、『静岡』にしては」との提案により決まったそうです。
 それから130年以上の時が過ぎ、今再び論争が巻き起こっています。それは、静岡市と清水市との合併の話です。合併後の市の名前を何パターンか決め、その後投票の結果「静岡市」と決定したのですが、決定したにもかかわらずもめているようです。
 原因は色々とあるかと思いますが、清水市にとってみれば、これまで親しんできた「清水」という文字が消えてしまうことがイヤなのでしょう。しかし、清水という所も昔は「江尻」宿だったんですよね。
 そもそも、この合併の背景には、政令指定都市がからんでいるようです。
 地方分権化を謳っている中、こうした動きは国としては奨励していくべきでしょうが、まさかこういうことで論争が巻き起こるとは、果たしてどこまで予想していたでしょう。何にせよ、双方納得した形で合併ができることを祈ります。
 ちなみに、合併後の市の名前の候補となったものは「静岡」「清水」「駿河」「駿府」「日本平」の5つ。


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2002年3月21日:No.017続・静岡−日本一の「市」−
 前回、ここの日常日記に書いたことが大きく動きました。はい、静岡市と清水市の合併の話ですね。
 結論は、当初の話の通り、「静岡市」という名前に決定しました。そして、この市は、日本一大きな市になるそうです。まぁ、双方納得して決まったみたいで良かったです、そして、清水港とか清水エスパルス(サッカーチー東京は港区の桜〜7分咲きという感じでしょうかム)という形で「清水」という名前は残るようなので、これも良かったですね。やっぱり、清水はサッカーに加えて「清水の次郎長」「ちびまる子ちゃん」と有名所が多いですし。

 さて、話は変わって、世は既に春真っ盛りです。ついに東京でも桜が満開というところも出てきたようですね。史上最速の速さだそうです、花の咲くのが。
 さっそく放浪がてら撮りに行くぞー!と思ったのですが、年度末は仕事が忙しくてとても行けそうにありません・・きっと行ける頃にはもう散っちゃってるんだろうなぁ・・・。
 そんな中、今日会社に仕事に行った時に途中で咲いていた桜を写真に収めてきました(上の写真)。でも、これともう一本だけなんですよね。今年は、桜の木毎に格差が生じそうな感じです。ちなみに、奥の巨大な高層ビルは、今建設中の汐留地区のビルです。


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2002年4月15日:No.018東海道を歩いて〜余談その3〜
 4月13日、14日と、約3ヶ月半ぶりに、東海道放浪に行ってきましたぁ〜。
 この間、放浪に行くことに飢えてました(笑)しかし、実際に歩いている時は「寒いよ〜」とか「暑いよ〜」とか「喉が渇いたよ〜」とか「お腹空いたよ〜」とか「疲れたよ〜」とか・・ってしつこいねん!ええかげんにせんかい(笑)でも、それくらい、本能のまま、感情むき出しで歩いてました(笑)三重県関町の関宿の街並み〜朝早い時間は観光客は一人もいません
 こうやって見ていると、なんでそこまでして歩くの?って言う人がいると思います。確かに、そう感じる時もありますが、それ以上にその土地の空気に触れて、風景を見て、そして人に出会うことがとても素晴らしく、何物にも代え難い宝物だからです。
 これっきり見納めの景色、二度と会うことがないかもしれない人、それでもいいんです。ほんのひとときでも同じ空間を共有できたことが、私にとって大きな財産になってくれるだろうから。
 そんな東海道放浪も、おそらくあと1回(1泊2日)で終焉を迎えることになりそうです。正直言って、早く終わりが来て欲しい反面、来て欲しくない気持ちが心の中で戦いを繰り返しています。それでも、いつかは終わりがやってくる。でも、それは本当の意味での終わりではなく、またいつかのための一時的な仮の終わりなのだと自分に言い聞かせて、次の旅立ちの時は望みたいと思います。
 ここのホームページは、相変わらず更新が滞っていますが(笑)、旅が終わってもここのホームページも最後まできちんと報告していきたいので、良かったらたまに覗き込んで下さい。
 今回の日常日記の写真(上)は、今回の放浪の最初に訪れた関宿の街並みです。この関宿に関しては、いずれ特集を組みたいな〜と思ってます。


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2002年5月12日:No.019笑点
 今日、夕方に「笑点」見てました。この時間に家に居たので、久しぶりに見ようかな〜と。
 そしたら、今の笑点のオープニング、なんと歌川広重が描いた「東海道五十三次」の絵をもじってるではないですかっ!広重の絵に描かれている人を笑点の大喜利のメンバーに差し替えているものだったのですが、結構面白かったです。笑点自体面白いし(笑)もし見る機会がありましたら、是非見て下さいな。
 東海道制が布かれてから今年で401年目に当たりますが、昨年ほどのイベントはないにせよ、今年もあちこちで東海道に関連した催しを行っているようです。また、昨年JR東海が企画したイベントに参加した人達も、歩く楽しみを知った人が多かったのではないでしょうか。私が出入りしている掲示板でもそういう人がいましたし、こうしたイベントに関係なく東海道を歩いている人も、続々と踏破していて、次は中山道・・という人がたくさんいます。
 私はと言えば、歩き始めて1年以上経っていますが、未だ京都・三条大橋にたどり着けていません。京都に着けるのはいつになるかわかりませんが、その時が来るまで、ホームページの更新を続けていきたいと思っています。昨年の9月に歩いたものを今頃更新してちゃなぁ・・・(笑)


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2002年5月30日:No.020最後の放浪
 私が旧東海道を歩き始めたのは、2001年2月3日でした。この日、希望と不安を胸に出発したことをつい昨日のことのように記憶しています。そして、いつかは京都・三条大橋にたどり着けることを夢見ていました。その日が、いよいよやってきそうです。
 今週末、最後の放浪に行くことを決めました。予定では、京都・三条大橋に到着する日は、2002年6月2日・・今は無事に旅を終えることだけが、私に課せられた唯一のことだと思います。最後の放浪の直前である今は、これで旅を終え、ゴールすることができる喜びと、これで旅が終わってしまうという寂寥感が交互に私の心の中によぎります。こんな気持ちを抱くことになるとは、旅を始めた当所は思いもよりませんでした。それだけ、東海道の持つ魅力にとりつかれていたのです。
 この週末の天気は、晴/曇・・・終着点・京都は、最高気温29度と真夏並みの気温になるようなので、最後の最後で道ばたとかで倒れないように気をつけないと(笑)

 今まで見守ってくれた人、そして応援してくれた人、本当にありがとうございます。あとちょっとです。今少し、温かく見守ってください。また、無事旅を終えた時には、きちんと笑顔で報告をしたいと思ってます。


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2002年6月4日:No.021東海道踏破
 夢にまで見た京都・三条大橋・・・東海道の終着点・・・終わりなき旅と思えた夢物語が、ついに終焉を迎えました。前回の日常日記に記載したように、2002年6月2日、東海道五十三次の終着点である京都・三条大橋に到着、これをもって東海道を踏破しました!
 この京都に到着した最後の放浪日記は、いずれ公開することになりますが(恐らく半年ぐらい先になる可能性も・・(笑))、最後に来て、まさかそんなことが起ころうとは・・・ということが実際に起こりました。それがなんなのかは、公開してからのお楽しみ・・・ということで(笑)
 しかし、この2日間はとーーーーーーーーーっても暑かったです。なんだか、ニュースを見ていたら、京都は30度を超える夏日を記録したとか・・・何もこんな日に限って・・ねぇ(笑)お陰で、首も腕も真っ黒(真っ赤かも(笑))で、お風呂に入る時にちょっと痛い・・・(笑)
 でも、雨でゴールするよりも天気がよい時にゴールできる方が気持ち的にも嬉しいものです。これも、晴れ男様々って感じでしょうか?<ええ加減にせんかいっ
 とりあえずは、今年の夏の暑い時期は、じっくりと身体の疲れをとって、またいつの日か旅立ちの時まで・・・その間にこのホームページ上での東海道踏破もしたいと思っています。実際の東海道歩きは終わりましたが、ホームページの更新はまだまだ続きます。そして、ホームページ上で完結しても、その後も色々と企画を練っているので、良かったらたまに遊びに来て下さ−い。


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2002年6月23日:No.022神奈川の浮世絵展
 昨日、川崎の川崎宿内の旧東海道沿いにある砂子の里資料館というところで開かれていた「神奈川の浮世絵展」を見に行ってきました。
砂子の里資料館 葛飾北斎や歌川広重などをはじめとして、有名無名問わず(と、無名な人だと思うのは私が無知なだけなのかもしれませんが(笑))、計60もの作品が展示されていました。これが、なんと無料で見学できるのです。
 ここの館長お持ちの作品を展示しているようですが、今回の企画の最終日ということも手伝ってか、多くの人が見学に来ていました。
 色々と聞きたかったんだけど、なんか他の人達と話をして尽きることがなかったので、とくだん挨拶をかわすことなく出てきてしまいました。ちょっと残念だったなぁ・・・色々と知ってることがありそうなので、また機会があれば行ってみようかな。
 ちなみに、今回の絵をあらためて見ていて思ったのは、昔の人が描く人物って、どの人も同じような顔をしてるんですよね。でも、その代わりと言ってはなんですが、着物にすごいこだわっているんです。ホントに細かいディテールまで綿密に描かれていて、きちんと折り目などにも気を配っているという感じで、改めて彼らの偉大さに驚かされました。
 今は、後世に伝える手段としてカメラと写真というとても気軽なものがありますが、当時は絵で表現するしかなかったためか、「いかにして伝えるか」ということにこだわっているように感じました。でも、広重の絵はいつ見てもいいですな。


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