#第6日目|関ヶ原−美江寺 平成16年(2004)11月20日(土) 天気:晴
■風の吹くままさんご一家との出会い 約10分後、ガヤガヤと賑やかな団体がやってきた。風の吹くままさんご一家だ。おー、ホームページで見たまんまやー。風の吹くままさんご一家は、2001年2月に中山道を日本橋から歩き始めた街道歩きの達人一家で、ホントに偶然なのだが、同じ日同じ時間同じ場所から中山道歩きをスタートするという情報を得て、事前に連絡して待ち合わせていたのだ。ただ一つ異なるのは、向かう方角が東西反対だってこと。 |
■ご一家と別れて東へ T字路に到着後、ご一家は西へ、私は東へ。ほんの短い時間でしたが、とっても楽しかったです。またどこかで会おうね〜!興奮気味のまま街道歩きをスタートさせる。歩き始めてほどなく右手に、ご一家に教えてもらっていた宮内庁御用達たまりの立派な建物。その先左手に色づく木々を見て、旧道は国道を逸れて左折。若い松並木の間を抜け、再び国道に合流。歩道橋のあるところで、再び国道を逸れて左折。歩道橋横には「これより中山道」と書かれた案内碑もある。 |
T字路でお別れ |
宮内庁御用達たまり |
色づく木々 |
国道を逸れて左折 |
若い松並木 |
再び国道を逸れて左折 |
案内碑 |
家康最初の陣跡 |
■無名の立派な松並木 街道に復帰すると、再び松並木。予想以上の立派な松並木で気分も盛り上がってきた!ここも風の吹くままさんご一家のオススメスポット。気持ちよい青空の下、松並木をゆく。11月も中旬過ぎているのに、気温はグングン上昇。今年は、ホントに異常気象だなぁ。数百メートル続く松並木を十分堪能した後、先を目指す。 |
松並木 |
巨大鉄塔 |
六部地蔵 |
振り返って松並木 |
■関ヶ原を抜けて 松並木を後にすると、生け垣の続く落ち着いた街をゆく。しかし、風の吹くままさんご一家との出会いが衝撃的で、なかなか興奮がおさまらず、野上の長者邸跡を見逃す。まぁ、見逃すのはいつものことだけど。 |
生け垣のまち |
伊富岐神社鳥居 |
立派な道路が |
国道を渡って反対側へ |
■立派な歴史遺構〜垂井一里塚 国道を横切り、道なりに進むと、右手に巨木が見えてきた。現役の垂井一里塚だ。現存しているのは南塚のみだが、その存在感に圧倒されてしまった。これだけ大きいと、遠くから目立つよなぁ。 |
■コロコロと天気が変わって・・ 一里塚横の日守の茶屋前にベンチがあったので、ちょっと休憩。すると、モクモクと雲が出てきて太陽を隠し、かつ風が出てきて寒くなってきた。うぉーい、さっきまでの天気はどこ行ったんだー。というより、さっきまでの気温が異常なんだけど・・・。じっとしてると寒いので、早々に出発。 |
日守の茶屋 |
南宮大社道標 |
分断される旧道 |
踏切を渡ります |
■間もなく垂井宿へ 平坦な道をテクテク歩いていると、右手に鳥居が連なっていた。こういうラビリンスへのエントランス的な空間好きなのです。思わず吸い込まれてしまいそうで・・。その先、卯だつの見られる家屋が続く道は、あいにくの工事中。工事中の中、Y字路にぶつかるが、ここは道なりに右へ。小さな川を渡ると右手に西見附跡。ここが垂井宿の西の入口である。 |
連なる鳥居 |
街道は工事中 |
道なりに右折 |
西見附跡 |
■今昔木曾街道六十九次−垂井− 広重の垂井宿の絵は、西見附付近で、西から宿場にやってくる大名行列を描いている。現在は、見附(松並木が終わったところ両脇に見られる石垣のようなもの)も松並木も残っておらず、往時の面影は何も感じられない。道幅だけが狭くなっているように見えるのは、気のせいか? |
■垂井宿をゆく 後で述べるが、垂井宿に足を運ぶのは2度目だ。しかし、前回の訪問時は、いつかの中山道歩きのために、宿場内はほとんど歩いていない。なので、見るのも全てが新鮮だった。有名どころの本龍寺、垂井の泉などはチェックして損はありません。また、予想以上に格子窓や卯だつの見られる昔ながらの家屋が点在しており、どこにでもある地方都市の街並みとも言える一方で、おぼろげながら往時の面影も感じることが出来るとも言える。しかし、全体的には寂れつつある感じは否めません・・・。 |
■そして2度目のエリアへ 見覚えのある曲尺手状になっているところにやってきた。目の前には現役の旅籠・亀丸屋がある。ついに、かつて1度足を踏み入れたところにやってきた。今歩いてきた宿場方面を見たとたん、当時の情景が蘇ってきた。そう、遡ること2年前の10月、東海道・宮宿から美濃路を歩いてここ垂井宿までやってきたのだ。 |
旅籠亀丸屋 |
東方面・宿場を望む |
曲尺手 |
東見附跡 |
相川橋を渡る |
相川橋からの景色 |
相川橋からの景色 |
美濃路追分 |
■過去との出会いと別れ
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■未知の道へ 追分を過ぎると、道は細くなる。・・かと思いきや、右にカーブした先は、いきなり広くなる。こんな道だったのかと、素直に驚いてしまった。細い道が続いているのかと思っていたので・・・。信号のある交差点にコンビニがあったので、飲食料を補給。この先、美濃国分寺跡があるので、そこで食べるつもりなのだ。 |
追分の先は広い道 |
街道を彩る花 |
青野一里塚跡 |
細くなる道 |
■美濃国分寺跡 美濃国分寺は、約1300年前の741年、聖武天皇の詔勅により建立された。この美濃以外に、全国のあちこちに建てられており、あらためて当時の天皇の権力の強大さを感じた。しかし、兵共が夢の跡・・・現在は跡地として何も残っていない。昭和時代に発掘調査などが行われて、現在は史跡公園と位置づけられている。 |
金堂跡 |
資料館 |
紅葉 |
敷地全体風景 |
■見所の多い街道をゆく 先ほどは、国分寺道と書かれた道標のところを左折したのだが、左折してすぐに春日局ゆかりの教覚寺がある。 |
教覚寺 |
石碑 |
左手奥に金生山 |
棒碑 |
照手姫水汲みの井戸 |
よしたけ庵跡 |
よさげな街並み |
善光寺如来前の寺 |
■巨大な前方後円墳・大塚古墳 風の吹くままさんご一家が見そびれた大塚古墳。敵(かたき)を討ちにやってきました。住宅街の中の細い裏道を一本入るのだが、これといった案内もなく、ちょっとわかりづらい。私も言われていなければ素通りしてしまうところだった。 |
■「昼飯」(ひるい)の由来
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2004.12.08update