#第6日目|関ヶ原−美江寺 平成16年(2004)11月20日(土) 天気:晴


中山道行程図〜第六日目|関ヶ原−美江寺


■中山道放浪第6日目プロローグ
今日は天気が良くなりそうだー
【1日のはじまり】
 相模国を走りゆくのぞみ号の窓の向こうに、朝日が昇りはじめた。シャッターチャーンスとばかりに撮影したが、メディアのフォーマットをしていなかったため泣く泣く削除。その後、ちょっと日が高くなってしまったけど、右のような写真は撮りました。
 駿河国ではきれいな富士山も見えて(反対側だったので写真を撮れず)、あっという間に名古屋駅に到着。ここから在来線に乗り換えて、8:58関ヶ原駅着。
 ここで、ちょっと緊張しつつ、あるご一家を待ちます。


■風の吹くままさんご一家との出会い
 約10分後、ガヤガヤと賑やかな団体がやってきた。風の吹くままさんご一家だ。おー、ホームページで見たまんまやー。風の吹くままさんご一家は、2001年2月に中山道を日本橋から歩き始めた街道歩きの達人一家で、ホントに偶然なのだが、同じ日同じ時間同じ場所から中山道歩きをスタートするという情報を得て、事前に連絡して待ち合わせていたのだ。ただ一つ異なるのは、向かう方角が東西反対だってこと。
 朝から元気なボクたち3人と、それを温かく見守るご両親・・とってもステキなご家族です。この先のオススメスポットを教えてもらった後、駅前で記念撮影。その後、街道まで200mほどだけ一緒に歩く。街道歩きを初めて3年以上・・誰かと歩いたのは初めてです。賑やかで楽しいなぁ〜。

元気なご家族・風の吹くままさん


■ご一家と別れて東へ

 T字路に到着後、ご一家は西へ、私は東へ。ほんの短い時間でしたが、とっても楽しかったです。またどこかで会おうね〜!興奮気味のまま街道歩きをスタートさせる。歩き始めてほどなく右手に、ご一家に教えてもらっていた宮内庁御用達たまりの立派な建物。その先左手に色づく木々を見て、旧道は国道を逸れて左折若い松並木の間を抜け、再び国道に合流。歩道橋のあるところで、再び国道を逸れて左折。歩道橋横には「これより中山道」と書かれた案内碑もある。
 と、この辺りに徳川家康最初の陣跡があるはずだが見あたらない。もしやと国道へ戻ってみると「あった!」
風の吹くままさんご一家を見送ります
T字路でお別れ
おっきな建物
宮内庁御用達たまり
ぼちぼち色づき
色づく木々
国道は交通量多し
国道を逸れて左折
松並木
若い松並木
歩道橋のところ
再び国道を逸れて左折
歩道橋下にはこんな案内碑
案内碑
国道沿いにあるので注意
家康最初の陣跡


■無名の立派な松並木
 街道に復帰すると、再び松並木。予想以上の立派な松並木で気分も盛り上がってきた!ここも風の吹くままさんご一家のオススメスポット。気持ちよい青空の下、松並木をゆく。11月も中旬過ぎているのに、気温はグングン上昇。今年は、ホントに異常気象だなぁ。数百メートル続く松並木を十分堪能した後、先を目指す。

立派な松並木だー

松並木のはじまり
松並木
空を見上げてみれば鉄塔が
巨大鉄塔
公園内に
六部地蔵
良い感じの松並木
振り返って松並木


■関ヶ原を抜けて
 松並木を後にすると、生け垣の続く落ち着いた街をゆく。しかし、風の吹くままさんご一家との出会いが衝撃的で、なかなか興奮がおさまらず、野上の長者邸跡を見逃す。まぁ、見逃すのはいつものことだけど。
 伊富岐神社へ続く鳥居(実際、神社へはここから1kmほどある)を左手に見つつ、車の往来の少ない道をゆくと、手持ち資料とは異なる道路構造になっているところにぶつかる。そして、やはり道を間違え、国道に合流してしまう。実際は、もうちょっと先のコンビニ手前の交差点で国道を横切るのが正解(いずれ、MAPを掲載します)。
柔らかくて良い感じ
生け垣のまち
神社の入口
伊富岐神社鳥居
この辺り間違って歩いてしまった・・
立派な道路が
近くにコンビニもあります
国道を渡って反対側へ


■立派な歴史遺構〜垂井一里塚
 国道を横切り、道なりに進むと、右手に巨木が見えてきた。現役の垂井一里塚だ。現存しているのは南塚のみだが、その存在感に圧倒されてしまった。これだけ大きいと、遠くから目立つよなぁ。
 関ヶ原の戦いでは、浅野幸長がここに陣を張っていたそうだ。って・・合戦があったところから結構離れているよ。なので、関ヶ原の戦いでの幸長の活躍はほとんど耳にしない。幸長関連で盛り上がるのは、加藤清正と一緒に豊臣秀頼公のために命を張った時だ。(おそらく)それがため、命を落としてしまったのは、幸か不幸か本人が知るのみ。

巨大な一里塚



■コロコロと天気が変わって・・
 一里塚横の日守の茶屋前にベンチがあったので、ちょっと休憩。すると、モクモクと雲が出てきて太陽を隠し、かつ風が出てきて寒くなってきた。うぉーい、さっきまでの天気はどこ行ったんだー。というより、さっきまでの気温が異常なんだけど・・・。じっとしてると寒いので、早々に出発。
 途中、右手に南宮大社への道標を見つつ、旧道は国道と東海道本線に分断されているので、歩道橋及び踏切を渡ります。いよいよ垂井宿も近いぞ。
日守の茶屋
日守の茶屋
南下します
南宮大社道標
かなりでかいっす
分断される旧道
国道を横切り線路を渡ります
踏切を渡ります


■間もなく垂井宿へ
 平坦な道をテクテク歩いていると、右手に鳥居が連なっていた。こういうラビリンスへのエントランス的な空間好きなのです。思わず吸い込まれてしまいそうで・・。その先、卯だつの見られる家屋が続く道は、あいにくの工事中。工事中の中、Y字路にぶつかるが、ここは道なりに右へ。小さな川を渡ると右手に西見附跡。ここが垂井宿の西の入口である。
この摩訶不思議ゾーンへのトンネル好きです
連なる鳥居
車も通れない工事
街道は工事中
垂井宿も近い
道なりに右折
ここが垂井宿の入口
西見附跡


■今昔木曾街道六十九次−垂井−
 広重の垂井宿の絵は、西見附付近で、西から宿場にやってくる大名行列を描いている。現在は、見附(松並木が終わったところ両脇に見られる石垣のようなもの)も松並木も残っておらず、往時の面影は何も感じられない。道幅だけが狭くなっているように見えるのは、気のせいか?
木曾街道六十九次 垂井 広重作


■垂井宿をゆく
 後で述べるが、垂井宿に足を運ぶのは2度目だ。しかし、前回の訪問時は、いつかの中山道歩きのために、宿場内はほとんど歩いていない。なので、見るのも全てが新鮮だった。有名どころの本龍寺垂井の泉などはチェックして損はありません。また、予想以上に格子窓や卯だつの見られる昔ながらの家屋が点在しており、どこにでもある地方都市の街並みとも言える一方で、おぼろげながら往時の面影も感じることが出来るとも言える。しかし、全体的には寂れつつある感じは否めません・・・。
垂井宿の街並み 本龍寺 本龍寺 脇本陣門と高札場跡
垂井宿の商家 本龍寺 本龍寺 垂井宿お休み処
南宮大社大鳥居 垂井の泉 垂井の泉 黒板壁商家
本陣跡 垂井の泉 垂井の泉 脇本陣跡

■そして2度目のエリアへ

 見覚えのある曲尺手状になっているところにやってきた。目の前には現役の旅籠・亀丸屋がある。ついに、かつて1度足を踏み入れたところにやってきた。今歩いてきた宿場方面を見たとたん、当時の情景が蘇ってきた。そう、遡ること2年前の10月、東海道・宮宿から美濃路を歩いてここ垂井宿までやってきたのだ。
 東見附跡のところで宿場を後にして、相川に架かる相川橋を渡る。左手を見てみると、2年前見た景色と変わらない風景が拡がっていた。そのことにホッとしつつ、T字路を右折。すると、前方に美濃路追分が見えてきた。
現役の旅籠
旅籠亀丸屋
この景色を見るのは2年ぶり・・
東方面・宿場を望む
亀丸屋のところで曲尺手となってます
曲尺手
今は案内板のみ〜ここで垂井宿は終了
東見附跡
昔は人足渡し
相川橋を渡る
2年ぶり・・・
相川橋からの景色
2年ぶり・・・
相川橋からの景色
つ、ついに・・・
美濃路追分


■過去との出会いと別れ
2年ぶりです、ここに来るのは・・
【美濃路追分道標】
 2002年10月。東海道を歩き終え、甲州街道を歩き始めた矢先に、3連休を利用して美濃路を踏破し、この地に立った。その時、いつか中山道を歩くことを夢見て、まだ見ぬ未知の道に思いを馳せていたものだったが、こんなにも早くその時がやってくるとは、一体誰が予想出来ただろうか・・。

 しかし、現実に再びこの地に立っている。そして、これからその新たな第一歩を踏もうとしているのだ。このワクワク感がたまらなく心地よい。


■未知の道へ
 追分を過ぎると、道は細くなる。・・かと思いきや、右にカーブした先は、いきなり広くなる。こんな道だったのかと、素直に驚いてしまった。細い道が続いているのかと思っていたので・・・。信号のある交差点にコンビニがあったので、飲食料を補給。この先、美濃国分寺跡があるので、そこで食べるつもりなのだ。
 コンビニを後に、しばらく見所のない道が続く。気を紛らわすべく、街道沿いに咲く花などを見つつ先を目指す。いい加減歩いたところ左に青野一里塚があり、その先から道が細くなる。途中、左下手を注意していると、道標が現れる。美濃国分寺跡への入口だ。
予想外に広い道でした
追分の先は広い道
何の花だかわかりませんが
街道を彩る花
青野一里塚跡
青野一里塚跡
この辺りから道が細くなります
細くなる道


■美濃国分寺跡
 美濃国分寺は、約1300年前の741年、聖武天皇の詔勅により建立された。この美濃以外に、全国のあちこちに建てられており、あらためて当時の天皇の権力の強大さを感じた。しかし、兵共が夢の跡・・・現在は跡地として何も残っていない。昭和時代に発掘調査などが行われて、現在は史跡公園と位置づけられている。
 大垣市歴史民俗資料館が併設されているので、そちらで全国の国分寺なども詳しく勉強することができる。

 大垣市歴史民俗資料館(美濃国分寺跡史跡公園は無料)
 入館料:100円(小人50円)
 開館時間:9:00〜17:00  

広いです・・・

何も残ってません
金堂跡
奥には国分寺
資料館
まぁまぁ色づいていました
紅葉
何も残ってません
敷地全体風景

■見所の多い街道をゆく

 先ほどは、国分寺道と書かれた道標のところを左折したのだが、左折してすぐに春日局ゆかりの教覚寺がある。
 さて、再び東に向かって歩き始める。国道にぶつかる手前で道が開けたところ左奥に金生山が見える。金生山は、往時より大理石・石灰と化石の宝庫であり、あの麓が中山道の赤坂宿である。国道を横切った後、川のたもとに「中山道 青墓宿」と書かれた白い碑。その先に、よしたけ庵跡(源義経が杖にしていた竹を地にさしたところ根を張った)、その先右にちょっと入ったところに照手姫水汲みの井戸(青墓長者屋敷で召使いとして働いていた照手姫が水を汲んでいた井戸)、さらによさげな街並みを見つつ鉄道高架を越えた先に、昼飯の地名の由来の書かれた案内板のあるお寺などがある。その先は、なんてことない住宅地が続くが、忘れてはならない必須ポイントがあるのだ。
稲葉氏ゆかりの寺
教覚寺
ここから国分寺跡へ
石碑
目立ちます
左手奥に金生山
青墓宿と書いてあります
棒碑
昔もいじめがあったんですなぁ
照手姫水汲みの井戸
何も残ってません
よしたけ庵跡
よさげな街並み
よさげな街並み
昼飯の由来が書いてある案内板があります
善光寺如来前の寺


■巨大な前方後円墳・大塚古墳
 風の吹くままさんご一家が見そびれた大塚古墳。敵(かたき)を討ちにやってきました。住宅街の中の細い裏道を一本入るのだが、これといった案内もなく、ちょっとわかりづらい。私も言われていなければ素通りしてしまうところだった。
 さて、肝心の古墳だが、写真ではちょっとわかりづらいが前方後円墳だ(手前が「方墳」、奥が「円墳」)。かなりの巨大さに、まさに当時の権力の象徴・・・と即座に思ってしまった。
 ちなみに、この古墳は古墳の上を散策できるようになっているのだが、順番待ちがあるらしく、待っている時間が惜しくて断念した。

大塚古墳




■「昼飯」(ひるい)の由来
昼飯と書いて「ひるい」と読みます
【珍しい字・昼飯】
 この辺りは、昼飯というとっても珍しい地名だ。途中にその由来が書いてある案内板があったので、以下に要約して記しておこう。
善光寺如来という仏像を、長野の善光寺へ納めに行く一行が、道中ここで昼飯(ひるめし)をとったことから、この地を昼飯(ひるめし)と言うようになったという。しかし、その名が下品だとのことで昼飯(ひるいい)としたが「いい」と言いづらいので昼飯(ひるい)になったという。
 うーん。昼飯(ひるめし)・・別に下品じゃないような気がするけど。さあ、そろそろ赤坂宿も近くなってきた。
→第六日目|関ヶ原−美江寺 その2へ


2004.12.08update


トップページ中山道を歩く放浪日記>第六日目関ヶ原−美江寺その1