#第2日目|滋野−上田 平成15年(2003)12月28日(日)天気:快晴(寒い!)




■落ち着いた裏道をゆく
落ち着いた街並みをゆきます
【落ち着いた街並み】
 しばらく見どころのないところが続く。まだ海野宿の余韻が残っているので、結構よさげな街並みに出会っても写真を撮らずに通過してしまう。海野宿から1.5qほど歩くと大屋駅。本日初の賑わいが感じられるところだ。駅を右手に見つつ先に進み、途中で左折。賑わいの道は長く続かない。

 日も高くなり、だいぶ暖かくなってきた。そんな陽気の中、のんびりと落ち着いた街並みの間をテクテク。右手にしなの鉄道、左手に千曲川が流れている。そんな街道風景の中、岩下地区で『明治天皇小休所跡』石碑を発見。

ハープ橋
【ハープ橋と千曲川】
 そのまましばらく歩いていると、前方に千曲川に架かっている立派な橋が見えてきた。これは、新幹線が走っているハープ橋だそうだ。今日の帰りにここを通過するのだろう。チェックしなければ(後日談:新幹線内でウトウトしていましたが運良く気づきました)。
 この近くに信濃国分寺があるのだが、隣接している資料館が休みだと事前に確認していたので、今回はパスすることに。ところが、先ほどの海野宿資料館と逆で、今日は開館だったというのは、後ほど知った事実・・。なんだかツイていない。


■久しぶりのキャンパスライフ
信州大学繊維学部構内にある信州大学繊維学部講堂
【信州大学繊維学部講堂】
 かつての本陣(上田宿より移転。写真撮り損ねる)を右手に裏道を進むと、旧道は新幹線により分断されていた。仕方ないので新幹線横の道を進み、旧道に合流後、交差点を直進。さらに雰囲気の良い細い路地を進むと、やがて右手に信州大学繊維学部と書かれた大きな石碑が見える。ここで少し大学に立ち寄る。
 お目当ては、ここ最近マイブームの擬洋風建築物の見学だ。信州大学繊維学部の前身は上田蚕糸専門学校で、明治44年(1911)に開校している。その当時の面影を今に伝えているのが『信州大学繊維学部講堂』で、かつての旧上田蚕糸専門学校講堂である。建物自体は昭和4年(1929)に建てられたものだが、往時の様子を伺い知ることができる貴重な遺構である。
 残念ながら建物内部は見学出来なかったが、久しぶりの学生時代の雰囲気も味わうことが出来て満足満足。大学を後に、再び歩き始める。

科野大宮社
【科野大宮社】
 床屋と文房具屋の間の道を進む。道の突きあたりに巨木の生える『科野大宮社』。それを迂回する形で北国街道は続いている。
 上田市の中心地が近づいているのか、徐々に賑わいを感じ始める。人の往来があるところは、中心地が近いと見てよい。


■上田宿の中心部を歩く
上田宿のアーケード街
【アーケード商店街】
 落ち着いた家屋の見られる街道を進むとT字路にぶつかるので、ここを右折。いよいよ中心地らしくなると同時に旧道の面影はなくなり、かつて横町と呼ばれた大通りを進むことになる。200メートルほど歩いたところで大通りと交わるので、そこを左折。今度は、アーケード商店街を進む。
 こういうアーケード街は、大抵閑散としているものだが、この上田では多くの人が往来している。とても賑わいを感じられる街だ。道脇には、六文銭を記した石碑も建っており、上田=真田の方程式が成り立っている(六文銭は真田家の家紋である)。真田びいきの私としては嬉しい街の取り組みだ。

北国街道は、北に向かってまっすぐ進みます
【中心大通りをゆく北国街道】
 再び大通りと交わる交差点。ここを右折。ちなみに左折すると新幹線も停車する上田駅に至る。このように道が屈折しているのは、やはり曲尺手と解釈して良いのだろうか。そう、上田は宿場町であったと同時に城下町でもあったのだ。いや、むしろ城下町としての知名度の方が高いだろう。そして、道は緩やかな登り坂となる。

 さっきから腹が減っている。しかし、これと言ったお店が見あたらない。食事のできるよさげなお店を探しつつ、ついでに本屋も物色。北国街道のガイドブックが売ってないかチェックするのだ。しかし、そうしたガイド本がありそうでない。ここ上田にないとすると、残りは長野市に賭けるしかない。むぅ・・。


■池波ファン必須の真田太平記館
池波正太郎真田太平記館
【池波正太郎真田太平記館入口】
 と、右手に今回の上田での最大の観光スポットが!それは、『池波正太郎真田太平記館』である。池波正太郎氏と言えば、著名な歴史小説家で、「剣客商売」や「鬼平犯科帳」等が代表作であるが、私の中では「真田太平記」がNO.1なのである。
 「真田太平記」とは、真田昌幸、信之・幸村父子の戦国時代における生き様を池波氏独特の世界観の中で描いた、文庫本サイズで全12巻という壮大なスケール感を持った小説であり、この真田太平記館はその小説のコンセプトに基づいた建物なのだ。上田に来た時は必ず寄ろうと思っていたところなので、お腹が空いていたのも忘れて、いささか興奮しつつ見学することに。
 まず入り口で上田城等との共通入館券を購入(500円)。ここで、先ほどの国分寺資料館が今日開館していることを知ったのだ。ついでに、入り口にあった上田市観光案内マップを購入(100円)。案内に従って、まずは2階を見学。

池波正太郎真田太平記館外観
【池波正太郎真田太平記館外観】
 池波氏が使用した万年筆や直筆原稿などが置かれているほか、真田太平記関連の年表等が展示されている。個人的には、主要登場人物の描かれた絵が気に入った。小説を読むと、その人その人の人物イメージ像というものが出来上がるが、ここに描かれた絵は、私のイメージに近かったのだ。その他、企画展(鬼平半科帳)等も見学し、小さい施設ながらも1時間近く過ごし後ろ髪引かれつつ建物を後に。なんにせよ、真田太平記ファン、そして池波正太郎ファンは、一度は訪れて損はないところだ(内部は撮影禁止なので外観の写真を載せています)。


■上田宿は落ち着いた街並みも見られるのだ
宿場町の雰囲気が残る柳町界隈
【柳町通りの街並み】
 再び街道を歩き始める。建物を出た途端お腹が空いていたことを思い出す。どっちにしても、今日はもうこの上田で歩きを止めようと思っていたので、あせらずのんびりすることにした。
 旧街道は、中央三丁目交差点を左折。左折してすぐのところを右折。かつての宿場町の風景を残しているという柳町通りを歩く。確かに、看板に偽りなく、落ち着いた街並みを堪能することができる。一方で観光地になっているため、何組かの若いカップルが通りを歩いている。


■一旦街道歩きを終了して、まずは腹ごしらえ
保命水
【保命水】
 『保命水』のところで左折。そのまましばらく直進。そうして、上田城へ至る道のところで本日の街道歩きを終了する(13:41)。これからお城やその他資料館等を見に行くのだ。上田は見どころたくさんな街なのである。
 道を南下。しばらくテクテク歩くと、右手にお堀が見えてきた。これが上田城だ。お城を見学する前に、お城前のそば屋で腹ごしらえ。創業明治20年という老舗の東部庵。今日も寒かったので、昨日に引き続き温かいそばを注文。ゆずが入っていたので、香りよく美味しかった。お腹もふくれたので、さっそくお城に向かう。


■見どころ豊富な上田城周辺を散策しつつ北国街道2日目終了!
 かつての徳川家を翻弄させたこのお城は、残念ながら真田時代の区画割ではなく、その後に入封してきた仙石時代に築かれたものである。しかし、城内には、真田に関するものしか目に入ってこない。『真田神社』、『真田井戸』、『真田石』・・等々。共通券で観覧できる『上田城櫓』は、残念ながら年末休みのため見学出来なかったが、また機会を見て来ることにしよう。

 次いで、『山本鼎記念館』、『市立博物館』を見学。時期的なこともあるのか、内部は閑散としていたが、上田という街の一端を知ることが出来て良かった。特に市立博物館では、左利き用の火縄銃を発見!この時代にまさかと思うものがあり、興味津々。<左利きなので
上田城櫓
真田神社
真田神社
真田井戸
真田井戸
真田石
真田石
よさげな建築物です
石井鶴三美術館
今は上田高校の門に
真田藩主館跡
雰囲気の良い教会です
擬洋風教会

本日の終着点・上田駅
【本日の終着点・上田駅】
 とりあえず見どころは制覇したので、駅に向かうことに。途中、『擬洋風建築の教会』や『上田藩主館正門(現・上田高校正門)』を見つつ緩やかな下り坂をのんびり進むと、ほどなく上田駅に到着。

 次にスタートするのもここからである。すっかり気に入ってしまった、この上田の街に又来られる嬉しさをかみしめつつ、帰りの切符を購入した。(つづく)
→第3日目|上田−屋代 へ


歩数計 28,576歩
カロリー 1,204.0kcal
距 離 17.15km
時 間 7:42〜15:51
支 出 交通費|6,940円
飲食費|1,503円
その他|6,400円(宿泊代、施設入館料他)

2004.5.17update


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