#第1日目|浜松−気賀 平成18年(2006)9月16日(土) 天気:晴のち曇り雨ポツポツ



■プロローグ−富士山は元気の素−

富士山見えず・・・(手前の山は愛鷹山)
【富士山見えず・・・(手前の山は愛鷹山)】
 東京6:23発名古屋行き こだま561号が相模川を渡った時、旅人はガックリと肩を落としていた。上空は、秋らしさをにおわせる青空が広がっていたのに、西の方角は厚い雲が低くたれこめていたからである。つまり、富士山が見たかったのだが、この状況ではダメだとサジを投げたのである。

 富士山は、旅人の元気の素であり、気持ちを向上させてくれるものである。これが見えた日は、歩きも好調になるのだ!と言いつつ、東海道歩きでは1日しか見ることが出来なかったが・・・。

 ところが!
 三島駅を発車した後、愛鷹山の奥から、何事もなかったかのようにひょっこりと富士山が顔を出したではありませんかっ!?どうやら、富士山そのものには雲がかかっていなかったようである。何はともあれ、これで充電満タン!気分は一気に高まったのであった。
富士山見えたー!

■浜松宿をゆく

 浜松駅到着。駅構内外にたくさんの人。何かイベントでもあるのでしょうか。
 駅を後にして、懐かしの東海道を少し歩いて姫街道との追分に向かう。途中、本陣跡高札場跡の案内板を見かけるが、以前より立派になったような気が・・・。
新幹線が止まるだけあって大きい!
浜松駅
案内板のみ
川口本陣跡
これも案内板のみ
杉浦本陣跡
案内板立派になった!?
高札場跡

■姫街道本格的にスタート!

背中側から来た東海道は、ここを左折します
【東海道との追分(正面が姫街道))】
 東海道と姫街道の追分である交差点に到着。まずは、これから歩く姫街道の写真を撮影。・・・ところが、いきなり間違えていたことが判明!あぶないあぶない・・・あらためて写真撮影をして、いざ出発!(8:44)

 姫街道は、いきなり登り坂の洗礼!しかし、まだ歩き始めなので元気元気。東海道でお馴染みの案内碑(静岡県内のみ)を見つつ、姫街道と書かれた看板に従って十字路交差点を右折。そのまま道なりに進むと右から来た道と合流する。その後、花を愛でたり常夜灯を横目に、三社神社を越えて大通りを横断すると、右手に公園が現れた。
ひくま坂
いきなり登り坂の洗礼
東海道を歩いていてよく見かけたものだ
お馴染みの案内碑
姫街道の文字がっ
ここは右折(姫街道の文字)
ごうりゅう〜
右から来た道と合流
秋の景色
花を愛でつつ
街道だと認識させてくれるもの
常夜灯
延暦14年(795)が始まりって・・
三社神社
大通りを越える
大通りを越える

■犀ヶ崖公園にて

 犀ヶ崖(さいががけ)は、浜松城の北側約1kmのところにある崖のことで、古地図(享保元年(1716))などから推測すると、当時は崖の深さが90mもあったそうで、武田信玄との三方ヶ原の戦いに敗れた徳川家康は、この犀ヶ崖近くで野営する武田軍を急襲して一矢報いたという記録も残っているほど。しかし、現在は深さ13m(昭和60年データ)と、往時の面影はどこにも見られないでしょう。
 さて、この犀ヶ崖は公園となっており、公園内には資料館(見学無料)も建てられています。資料館の方がとてもユニークで、開口一番「お城オタクですか?」って・・・。15分ほどのビデオを見せてもらった後、「どこかご案内してあげたいんですが、この辺は何もないんですよ」なんて言いつつ、色々と楽しい話を聞かせてくれた。ここは是非立ち寄ることをオススメします。
犀ヶ崖公園 犀ヶ崖資料館
資料館内観 セミの抜け殻が秋を感じさせてくれます

 犀ヶ崖公園を後にして、再び街道をゆく。公園を後にしてすぐに裏道に入るが、あっという間に分かれた道と合流。ここから先は、しばらく国道歩きが続くことになる。
ちょっとだけ裏道へ(黄色い矢印の方向へ)
【裏道へ(黄色い矢印の方向へ】
合流地点に松が
【合流地点には松が】

 教会前の立派な松を右手に、左手に静岡大学を見つつ街道をゆくも、予想外に天気が良い残暑厳しい中を歩き続けてバテ気味。トイレ借用も兼ねてユニーに立ち寄って飲料補給をしつつ、ひたすら歩く。休憩をしたいのだが、休むところがなくそろそろダメだぁ〜と思った頃に、ようやく三方ヶ原追分に到着。
ミスマッチのようで合ってます
教会前に松
ここは工学部のみ
静岡大学
トイレを借用&飲料補給
ユニー
あまり綺麗な川ではなく
段子川
暑いけど空は秋景色
秋の空だが・・
なんでも家康が小豆餅を食べてお代を払わなかったので、茶店のお婆さんが追いかけてきたとか!?
小豆餅銭取
ただの跡
権現様跡
ここまでが長かった・・
三方ヶ原追分

■やっと街道らしさを醸し出す松並木

 三方ヶ原追分は、見附宿からやってきた姫街道と合流する地点である。っていうか、私は短縮ルートの浜松からやってきたので、いつかはここから見附宿までのルートも歩こうか歩かまいか・・。とりあえず、今は御油宿(今日は気賀宿)を目指してレッツラゴーなのだ。
 さて、街道に目を向けると、左手の建物に描かれた姫様の行列が描かれた絵図にも目を惹かれるが、なんと言っても立派な松並木である!この先約3kmほど続くこの松並木、浜松市の史跡に指定されていることもあって、街道情緒も感じられてさっきまでのバテ気味で下がっていたテンションも一気に急上昇ー。

ここからが本格的な街道歩きの、リスタート地点です

建物の壁に姫様行列の絵が描かれてます 松並木は浜松市の史跡に指定されています
松ぼっくりと松並木 立派な松並木が続きます

 しばらく松並木を歩くも、さっきから休みたいのに休む場所がないことにどんどん疲労が蓄積している。道沿いの松並木をはじめとして、キバナコスモスお茶畑などを見て癒されるも、予想以上に交通量が多く、見どころも少ないので結構きつくなってきた。この辺りは、もともと松並木だけが続く寂しいところだったようだ。
今は何も無し
権七店跡
秋の景色
キバナコスモス
自然が増えてきました
遠くにお茶畑
古民芸のお店
看板に姫街道の文字

■東大山一里塚

なんと織田信長が整備した???一里塚
【東大山一里塚】
 しばらく歩いていると、道の両側に一里塚。東大山一里塚だ。崩れかけているがこれは現役の一里塚だろうか。

 しかし、この一里塚の説明版を見てびっくりしました。なんと織田信長が整備した一里塚だと言うのだ!!だいたい一里塚は、徳川家康が大久保長安に命じて作ったものが大半で、それ以前に信長が一里塚を、しかも主要道の東海道などではなく、脇街道の姫街道の一里塚を整備する施策をとっていたなんて、初耳だ。(片側の塚の写真は、マウスの上にカーソルを置いて下さい)

追記)「江戸の旅人たち」(深井甚三著・吉川弘文館)という本を読んでいたら、織田信長が整備した一里塚について、記載がありました。
『中世後期に悪化した交通状況は、戦国大名の領内で改善されるようになった。・・(中略)・・大きな力を発揮したのは、統一政権成立の道を切り開いた織田信長である。信長は交通の妨げとなった領内の関所を廃止し、一里塚を設置するなど、領内の交通路整備に一段と力を入れたが...(以下略)』
とあるように、信長の領土、すなわち尾張を中心に一里塚を設置したことを考えると、ここの一里塚に関しても信長が設置したということに、納得がいきました。/2007.04.26追記

■気をまぎわらしつつ歩く

 一里塚を過ぎると、再び見どころのない道が続く。道沿いのきれいな花お茶畑などを見て気を紛らせていると、左手に続いていた歩道が跡切れるので、適当なところで車に気を付けて反対側へ横断していこう。すると歩道が現れる。そのまま道なりに歩くと、右手に三方原柑橘農場がある。
綺麗な花
きれいな花
お茶畑は良い
お茶畑
左手には大谷ゴルフパーク有り
歩道が切れたら右側に
地域を象徴してます
三方原柑橘農場

■曲り松で本日初の休憩

先代の松は枯れてしまったそう
【曲り松】
 柑橘農場を過ぎたところ左手に曲り松。ここには、樹齢500年という、あたかも地中から這い出て身体がよじれた竜のような松があり、それが曲り松と呼ばれていたが、昭和48年(1973)に残念ながら枯れてしまったそう。というわけで、現在の松は2代目ということだ。
 ここで、本日初の休憩。さっきまでの晴れの天候はどこへやら、いつの間にか空には雲が広がっていた。おかげで20分ほどゆっくりと休憩をとることができた。

 身体も休まったのでいざ出発!雨が降る前に急がなければっ!

 街道沿いには、ところどころにお茶畑が広がっている。さすが静岡県!
 新茶の時期ではないが、お茶の葉を見ると、何故か心が落ち着いてくる気がする。

お茶畑に癒される


 交差点で屋根の上にある樽に乗って酔っぱらっているおじさんを横目に(注:言うまでもありませんが人形です)、相変わらず見どころなき道をゆくも、道が右にカーブするところで、直進をしてようやく裏道へ。「姫街道」と書かれた案内版を見て心強く感じながら、拡張されたらしき広き立派な道をゆく。
目をひかれます
樽に乗って酔っぱらうおじさん
これで車とはおさらばじゃ
ようやく裏道へ(左へ)
ほっと一息
姫街道をゆく
まだまだ車通りはあるけどやっと歩きやすくなってきた
立派な道

■六地蔵

 姫街道沿いの史跡の一つ、六地蔵。このお地蔵様の裏手にある竹藪がかつて刑場であったため、その供養をするために正徳2年(1711)建立された。お地蔵様の前には、花がお供えしてあって、地元の人に親しまれていることが伺えた。

六地蔵 お馴染みの案内碑

■アゲハチョウとキバナコスモス

 街道を進むと、周りの景色に変化が。徐々に緑色の占める割合が大きくなってくるのだ。それは、みかん畑。みかん畑には付き物のアゲハチョウがひらひらと舞い踊り、キバナコスモスにとまったところですかさず撮影!みかんはまだまだ青々としているが、キバナコスモスとアゲハチョウが彩りを添えてくれた。

自然な自然の風景

みかん畑 キバナコスモスのオレンジとは対照的に緑色のみかん

■落ち着いた道をゆく

 チョウ以外にも、セミの鳴き声がこだまし始めた。ツクツクボウシのようだ。9月も中旬なのに頑張っているなぁ〜。
 秋葉常夜灯が右手に見えたら右折して、相変わらずみかん畑が両側に続く道をゆく。と、ここで雨がポツポツと・・・。「ついに来たか」と思い、空を見上げてみると、薄雲の奥に太陽が見えている。「こりゃ本降りはまだだな」と気にせず歩く。左手に道路に大きくせり出した大木が見えてきたので何かと思ったら、千日堂だった。このこじんまりとした千日堂、阿弥陀如来を祀って千日念仏を行ったことからこの名が付いているそうだ。
秋葉常夜灯を右手に見かけたら、そこの裏道(右折)へ
秋葉常夜灯を右折
雨がぽつりぽつり
道の両側にはみかん畑
ここは千日堂
道路にせり出した大木
こぢんまりと
千日堂

■山の中の道をゆく

 ポツポツと雨が降っており、意地でも傘をささないぞと意固地になりつつ、老ヶ谷一里塚を横目に、不気味なお姫様の絵が描かれた水道タンクが現れるので、その横の細い道をゆき、アスファルト道路から山の中に続く土の道を下る。
 土の道が終わると、右手が開けたところに出る。遠くに見事な田園風景が見えて、ちょっと感動。そのまま道を下るも、ヘビに出会ったり彼岸花を見たりと、短い区間ながらもバラエティに富んだ街道をゆき、ようやく県道261号に合流
碑と説明版がありました
老ヶ谷一里塚
こりゃ知らないと行けないな
水道タンク横をゆく(白矢印)
近くで見るとちょっと不気味
水道タンクを見上げる
ちょっと寂しい
山の中の道
稲穂が黄金色になる頃、もっと素晴らしい景色が
遠くに見事な田園風景が
でも手ぶれってます
ヘビがっっ(必至に撮影)
秋の景色の代表格の一つ
彼岸花
車が往来しているからあんまり合流したくないのう
県道261号に合流

 再び車通りのある道をゆく。落合川にかかる落合橋を渡ると、いよいよ気賀宿である。川ではたくさんの人が釣りをしていた。何が釣れるのかな〜。遠くに走る1両編成の天竜浜名湖鉄道を見つつ、橋を渡りきると、姫様道中の絵が描かれた看板が建てられたポケットパークがある。細い道ながら意外に車通りのある道を進むと、右手に待望の細江神社を発見。
川にはたくさんの釣り人が
落合橋
のどかな風景
遠くには天竜浜名湖鉄道
細江町はないので今は浜松市ポケットパーク?
ポケットパーク
ここで休憩
細江神社

■細江神社

ここで休憩
【細江神社境内】
 街道から、数百メートルの参道を進むと、細江神社の本殿に到着する。ここで、曲り松以来久しぶりに休憩をとる。うっそうと生い茂る境内は、訪れる人もなく、ゆっくりとのんびりしながら休憩することができた。

 十分休憩をとった後、神社近くの姫街道資料館を訪問。姫街道を歩いた先達者達が訪問していないので不審を抱いていたが、せっかくなので訪問してみるも・・・ここは紹介する必要ありませんな。

■本日の旅路の終点−気賀駅前−

ここからバスに乗って浜松駅に向かいます
【気賀駅前のバス停が本日の終着点】
 細江神社を後にして、再び街道に復帰。が、ほどなくして「気賀駅北」と書かれたT字路で、街道に別れを告げて駅方面へ。天竜浜名湖鉄道の気賀駅前にて、本日の街道歩きは終了。が、バスを利用すると乗り換え無しで浜松駅に行くことが出来ると事前に情報を得ていたので、バスで浜松駅に向かうことに。

 久しぶりの街道歩きで若干疲れたが、この心地よい疲れがこれまた良いのだ!
 と、角を曲がってバスがやってきた。(つづく)

■おまけ

 バスの出発時間まで時間があったので、駅から歩いて10分ほどのところにある気賀関所を訪問。これは、この気賀宿付近にあった冠木門や番所等を復元したもので、復元してから大した年月も経っていないのかとてもきれいで立派なものだった。が、何かもの足らない気が・・・。
立派な門 新居関所や箱根関所と同じように
高いところから関所全体を望む 関所全体を
→第2日目 気賀−(未踏)


歩数計 24,246歩
カロリー 1、256.2kcal
距 離 16.97km
時 間 8:44〜15:20
支 出
(交通費)
交通費|15,710円
飲食費|884円
その他|350円(施設入館料)

2007.03.15update
2007.04.26追記


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