日常日記


2004年09月17日:No.078終焉の地そして旅立ちの地へ
2004年09月20日:No.079中山道放浪始動
2004年10月10日:No.080そして日光街道
2004年10月19日:No.081ソフト復活&中山道報告
2004年11月01日:No.082美瑛丘めぐり
2004年11月08日:No.083色々思うところを綴ってみる
2004年11月18日:No.084紅葉の季節に中山道旅立ち
2004年11月23日:No.085風の吹くままさんご一家との出会い
2004年12月03日:No.086歴史の消滅
2004年12月13日:No.087ヴォーリズ建築
2004年12月23日:No.088東京文学紀行

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 2004年9月〜12月 

2004年9月17日:No.078終焉の地そして旅立ちの地へ
東海道放浪の終焉の地・三条大橋に辿り着いたのは、2002年6月頭のことでした。それから2年と3ヶ月以上が過ぎようとしている9月18日、再びかの地に立つことになります。そして、今度は旅立ちの場所として。

いよいよ東海道より難関と言われている中山道を歩くことにしました。今回は、京都から日本橋に向かうコースを選択しました。特に大きな意味はなく、いつも日本橋からなので、今回は反対コースを歩いてみようかと。そして、もう一つ。草津−三条大橋間は、東海道と中山道は同じルートを辿っていますが、あえてここも再度歩くことにしました。と言うのも、仮に草津スタートとなった場合、最寄り駅はJR草津駅になるのですが、この駅で降りると、スタートする前に未踏の中山道を歩いてしまうことになるからです。それなら京都から歩いてしまえーという考えから。

天気は、残念ながら曇り。しかも雨もほぼ間違いなく降りそうです。これまで、街道歩きをする場合、雨が降る時は極力歩かないようにしていましたが、今回はそうもいかないようです。

これまで、長い長い歴史の間に、様々な出会いと別れ、終わりと始まりを見つめ続けてきたであろう三条大橋。旅の終焉の寂しさで泣きそうになったあの日から一転、今度は胸を張って堂々と、旅のはじまりの一歩を踏んでこようと思います。


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2004年9月20日:No.079中山道放浪始動
9月の3連休が終了しました。前回予告したとおり、新たに旅立ちました。
今回は、中山道。京都・三条大橋を発ち、最終地点は江戸・日本橋です。東海道に比べ、山道が多く、距離も長く、交通の便も悪いのですが、東海道とはまた違った、魅力的な街道です。妻籠や馬籠、奈良井など、日本有数の昔ながらの街並みが残っているからです。もちろん、マイナーなところにも、見どころはたくさんあります。それを発見することが、街道歩きの醍醐味でもあるのです。

さて、その中山道。この3連休に歩いてきました。前回、雨のことを書いていましたが、全体的には雨はほとんど降らず、この3日間の天候の状態は、晴れ>曇り>雨 の順でした。しかも、真夏日・・・9月も下旬になろうとしているのに、日焼けしてしまいました(苦笑)。関西は、暑いですねー。

旅のはじまり・三条大橋そんなこともあり、当初予定していたところまで歩けませんでした。今回は、
第1日目:三条大橋−草津(予定通り)
第2日目:草津−武佐(予定通り)
第3日目:武佐−愛知川(当初は高宮or鳥居本まで予定)
それでも、3日間で60km以上歩いたことになります。今回の歩きであらためて感じましたが、どうやら私は20km前後が最も適した距離のようです。1日で30kmも40kmも歩くすごい人もいますが、平均時速3km/hの私には、とても無理のようです。交通の関係上、長距離を歩かなきゃいけない場合もありますが。

次回は、予定では10月の3連休を予定しています。それまでに、今回の旅も早めにアップしていきたいと思います。しかし、山形日本海紀行もまだ途中だし、リニューアルは進んでないし、地図は中途半端だし・・・やること山積みです(汗)。

最後に、今回の写真は、旅立ちの地・三条大橋です。

(リアルタイムで更新した旅紀行はこちらへ。見づらいですが、ページの一番下からご覧下さい)

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2004年10月10日:No.080そして日光街道
10月の3連休の初日・9日、日本は2004年最強の台風に襲われました。各地の被害は甚大で、今も至る所で復旧作業、そして行方不明になった方の捜索が行われています。そうした方々に対して、大変申し訳なく思うのですが、私は中山道放浪の旅に行こうと思っていました。が、前述の通りで行けずじまい。
その台風、9日のうちに過ぎ去り、翌10日は台風一過の快晴に恵まれる、という情報を前日に得たので、思い立って日光街道を歩くことにしました。もともと、中山道を歩き始める前から、1日しか休みを取れない時などは、日帰り圏が続く日光街道を歩こうと決めていました。で、今日早起きして行って来たわけですが・・・。

気象庁のうそつきーーーーーーーーーーっ!!

浅草寺雷門朝から曇天でイヤな予感がしていましたが、結局一度も太陽を見ることができず、しかも終いには雨までも降ってくる始末。とりあえず、予定していた草加宿まで歩けたことだけでもよしとしなければ、納得のいかない歩きとなってしまいます。これも、思い立って歩き始めたからかなぁ・・・。

まぁ、なんにせよいよいよ五街道踏破に向けて、日光街道も歩き始めてしまいました。おそらく距離や利便性の良さなどで、中山道より先に踏破することになりそうです。サイトの方でも、後日道中記などをアップしていく予定です。

というわけで、本日の写真は日光街道沿いの浅草寺雷門です。朝早くから国内外問わずものすごい人で賑わっていました。浅草寺おそるべし・・・。

(リアルタイムで更新した旅紀行はこちらへ。)

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2004年10月19日:No.081ソフト復活&中山道報告
約1週間前、「日光街道」の放浪日記をアップした次の日、いつもと同じように、ホームページを作成しているソフト(ホームページビルダー)を立ち上げようとしたところ、「Hpbpage が原因で MFC42.DLLにエラーが発生しました。Hpbpageは終了します。」というエラーメッセージが。

「え?」

特段変なところいじっていないんですけど・・・。全く理由がわからず、とりあえずインターネット上で情報収集してみたものの、なかなか解決策は見あたらず途方にくれていました。そんな時めげずにインターネットで解決策を探していたところ、別のソフトの類似問題の解決策を見つけ、わらにもすがる思いで試したところ、成功!!!!!!ようやく更新再開です。理由がわからないままエラーになり、そして理由がわからないまま復活したのが恐いけど、とりあえず直ればオッケー。

一面のコスモス畑〜豊郷にてさて、先週末(16〜17日)は、中山道の続きを歩いてきました。今回は、1日目:愛知川−醒ヶ井、2日目:醒ヶ井−関ヶ原。距離的には、それほど歩いていませんが、とても良かったです。
中山道のかつての宿場町は、意外と・・と言っては失礼かもしれませんが、インフラ整備等の開発区域から免れたため、往時の面影が残っているような落ち着いた街並みが多く見られます。そのため、一つ一つの宿場を丁寧に見ていると、どうしても歩くスピードが遅くなってしまいます。なので、当初の予定行程を大幅に見直しています(そりゃ、東海道より長いのに、東海道より短い期間で歩こうと考えていたのだから当然だ(苦笑))。

とりあえず、日光街道の残りと、中山道の新規区間、早いうちにアップしていきたいと思います。本日の写真は、先日の中山道放浪での秋の風景。秋の風物であるコスモスが、一面野原に拡がっていました。


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2004年11月1日:No.082美瑛丘めぐり
相変わらず更新速度及び頻度が遅く、訪問してくださった皆様には、お詫び申し上げます。1人で時間の合間をぬってコツコツ作業しておりますため、どうしても限界が生じます。どうぞ、ご了承下さいますよう、お願い致します。

美瑛の一風景(千代田ファーム付近)さて、週末を利用して北海道に行って来ました。プライベート8割、仕事2割という感じで。訪問地は美瑛。美瑛とは、「北の国から」で有名な富良野の北に位置し、「丘のまち」として北海道でも有数の観光スポットとして名高いところです。ちょうど今頃の時期は、晩秋ということで観光客もあまり訪れない時期ですが、個人的にはそれが好都合で、北海道らしい雄大な空間を独り占めすることが出来て良かったです。
今回は、自転車を借りて丘めぐりをしました。一応、雑誌の連載ネタにしようということもあって。アップダウンがあり結構バテましたが、たまには運動しなきゃね。この模様は、「東北夏紀行」「山形日本海紀行」と同様に「美瑛丘めぐり(仮)」と称してアップしていきたいと思います。

旅にトラブルはつきものですが、今回は久々にどでかいのが最後にやってきました。

濃霧のため飛行機欠航!

マジやられましたよ。というわけで、欠航が決まってすぐ次の日(つまり今日)の朝一の飛行機の席を確保しましたが、その日(昨日)はどこにも行けず結局旭川泊。そして、今日昼過ぎに羽田に到着して一度自宅に戻り職場に着いたのは15時過ぎ・・・13時からの会議に間に合いませんでした。
今日はさすがに疲れました。北海道新聞によると、「欠航は3便。計約950人に影響した」とのこと。わたしゃ950分の1というわけでした。ちゃんちゃん。

最後に今日の写真は、美瑛の一風景。初日はとても天気が良く、東京より暑かったそうです。

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2004年11月8日:No.083色々思うところを綴ってみる
 今日、仕事から帰ってきてなにげにテレビをつけたら青木ヶ原樹海に関する番組を放映していました。樹海の中にも初潜入なんてタイトルで、奥深くの豊富な自然、未知なる空間を紹介するのかと、ワクワクしながら見ていたら、なんと全然違う内容でした。ここには、あえて内容を書きませんが、涙なくしては見れませんでした。やっぱり、青木ヶ原樹海と言えば、その豊かな自然よりも、そちらを想像してしまう人も多いのでしょうか。
 実は、知る人は知っていると思いますが、樹海の中には、きちんと遊歩道が整備されていて、誰でも気軽に散策することが出来るようになっています。それがため、私もそのうち足を運ぼうと思っていました。がっ・・・独りで足を運ぶと、変に勘違いされそうなので、誰か行きたいと言う人が現れたら一緒に行こうと思います。○○志願者に思われたら大変だ・・・。

多摩川夕景 さて、話は変わりまして。
 そろそろ周りの木々も色づき始めました。今年は、紅葉のチェックをほとんどしておりません。当初は、中山道沿いの御嵩から大井までの山歩きで紅葉も楽しもうと思っていたのですが、残念ながらその区間を歩く頃には紅葉も見頃を過ぎていると予想されるので、今年は中山道沿いでの紅葉をあきらめました。
 と言っても、どこかに遠出する予定もなく・・・。近場の新宿御苑など行ってみようかな〜などと漠然と考えております。御苑には、プラタナス並木があるので、前から一度見たいと思っていたのです。プラタナスの並木道で〜♪という出だしのお気に入りの歌がありまして。

 本日の写真は、週末に夕陽を撮りに行った際の一枚です。朝日ではなく夕景です。手前の川は多摩川です。

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2004年11月18日:No.084紅葉の季節に中山道旅立ち(を予定)
 いよいよ秋も深まってまいりました。よくよく振り返ってみると、11月も中旬を過ぎています。夕刻も、5時半にはすでに真っ暗です。もうすぐ冬がやってくるんだな〜と思うと、寂しくなってしまいます。しかし!その前に、紅葉があります。東京近辺の街路樹もようやく色づき始めました。おそらくピークは、今月下旬から来月上旬にかけてでしょうか。
 前回の日常日記でも書きましたように、今年は紅葉チェックをほとんどしておらず、近場を見に行こうなんて思っていたくらいでしたが、なにげに中山道の本を見ていたら、なんと紅葉の美しい公園があると書いてあるではありませんか!!こういうところだと、関東と違って落ち着いて鑑賞することができるのでは、と思い立ち、仕事が忙しいにもかかわらずチケを手配してしまいました。しかし、そのチケ手配、・・かなり焦りました。

 ホテルが予約できないのです!!!

 推測ですが、京都の紅葉の余波だと思います。なにしろ、滋賀県は全滅、岐阜も大垣はほぼ全滅で名古屋も全滅、かろうじて岐阜のホテルを予約することができました。2日目は歩くのやめて、京都に紅葉見に行こうかな〜・・なんちゃって。
 予定では、
 20日(土)関ヶ原−美江寺
 21日(日)美江寺−加納(岐阜) です。
 日程に無理がないので、おそらくこの通りにいくと思います。

 今回の中山道、紅葉の他に、もう一つ楽しみなイベントが起こるかもしれません。もし、そのイベントが実現したら、帰ってきた際にこちらにご報告いたします。

 さあ、明日突発的な仕事が入ってきませんように・・・・・(祈)

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2004年11月23日:No.085風の吹くままご一家さんとの出会い
 先週末、予定通り中山道放浪に旅立ってきました。全体的には、秋晴れの中、気持ちよい歩きが出来たのですが、歩き方が悪かったのか、久々に大きなマメが出来てしまいました。にもかかわらず、無理して歩いたため、帰りはびっこひきながら帰ってきたというありさま。街道歩きを始めてから3年半以上経つのに、未だに歩きをマスターしていないようです。もしかしたら靴が合わないのかな〜・・・。それでも、今回予定のルートを辿ることが出来たので、よしとしましょう。

 さてさて。前回の日常日記の最後に、「楽しみなイベントが起こるかもしれない」と書きましたが、イベント起きました。今回の旅路の最初で最大のイベント

 風の吹くままさんご一家との出会い です!!

 風の吹くままさんご一家は、大河クン、平次クンの2人の元気なボクたちとお父さんお母さんのご家族4人で、2001年2月に日本橋を出発して、一路京都を目指している中山道歩きのベテラン家族です。また、途中岩村田宿から新たなご家族・佐武クンが加わり、総勢5人となったボクたち一行は、中山道歩きもいよいよ終盤にさしかかりました。
関ヶ原駅前にて記念撮影 そして去る11月20日(土)、全くの偶然ですが、同じ日、同じ時間頃、同じ場所(関ヶ原駅)からスタートすることを知りました。これも何かのご縁と思い、事前に連絡をして、歩く前に少しだけですがお会いしました。詳細は、また放浪日記で述べることにしますが、とっても賑やかで笑顔の絶えないご家族との出会いは、中山道放浪の記念すべきイベントとなりました。
 ちなみに、私が東海道を歩き始めたのも、同じ2001年2月。そこから色々な街道を歩き、めぐり巡って中山道を歩き始めて、こうして出会えたこのことが「縁」なのかな〜なんて思ったりしています。

 というわけで、本日の写真は風の吹くままさんご一家の写真です。また、どこかで会いましょう〜!

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2004年12月3日:No.086歴史の消滅〜市町村合併のなれの果て〜
小山町からの富士山 丹沢山系の夕景
箱根湯本の紅葉 愛宕ヒルズと東京タワー
 いよいよ師走となり、2004年も残り少なくなってきました。やはり年末に向けて色々と忙しくなってきており、当分週末を使っての中山道歩きには行けないような気がしています。でも、行きたい気持ちはあるんだよなぁ。年末年始あたりに日光街道でも歩きに行こうかなぁ。

 さて、仕事柄、市町村合併の話は良く耳にします。ここではあえてその是非を深く問いませんが、疑問の残る施策であることは間違いありません。その市町村合併により、愛着のある地名が続々と姿を消しているのを見て、街道沿いの自治体はどうなっているのだろうと興味が湧き、ちょっと調べてみました。(特に私が歩いた街道のみ)

■東海道
静岡市+清水市→静岡市(2003.04.01)、蒲原町+由比町→静岡市へ編入(清水区として)(2006.03.31)、焼津市+藤枝市+岡部町→新市(2006.01.01)、島田市+金谷町→島田市、舞阪町→浜松市へ編入(2005.07.01)(以上静岡県)、亀山市+関町→亀山市(2005.01.01)(三重県)、水口町+土山町+甲賀町+甲南町+信楽町→甲賀市(2004.10.01)、石部町+甲西町→湖南市(2004.10.01)(滋賀県)
■中山道
中主町+野洲町→野洲市(2004.10.01)、五個荘町→八日市市、永源寺町、愛東町、湖東町と合併して東近江市(2005.02.11)、山東町+伊吹町+米原町→米原市(2005.02.14)(以上滋賀県)、穂積町+巣南町→瑞穂市(2003.05.01)(岐阜県)
■甲州街道
相模湖町→相模原市へ編入(神奈川県)、上野原町→秋山村と合併して上野原市(2005.02.13)、塩山市+勝沼町+大和村→新市(2005)、石和町+御坂町+一宮町+八代町+境川村+春日居町→笛吹市(2004.10.12)、竜王町→敷島町、双葉町と合併して甲斐市(2004.09.01)、白州町、武川村→他5町村と合併して北杜市(2004.11.01)(以上山梨県)
■美濃路
西枇杷島町+清洲町+新川町→清須市(2005.07.07)、尾西市→一宮市へ編入(2005.04.01)(以上愛知県)
■下田街道
伊豆長岡町+韮山町+大仁町→伊豆の国市(2005.04.01)、修善寺町+土肥町+天城湯ヶ島町+中伊豆町→伊豆市(2004.04.01)(以上静岡県)

以上、ちょっと調べただけでもこれだけ・・。他にも、日本全国では何かに憑かれたかのように合併が起きつつあります。どこの自治体も財政的に苦しいのは同じです。今日も、沖縄県のある離島の町長さんのお話を聞きましたが、ものすごい財政状況が厳しいというお話ばかりでした。しかし、住民投票の結果合併をしないと決定し、あらゆる手を尽くそうとしています。
もうどの自治体も、大方方向性が定まりつつあるようですが、合併するしないにかかわらず、地元住民を第一に考えて欲しいのが切なる願いです。

さて、本日の写真は、ここ数日撮り貯めしてきたものを掲載します。左上が小山町からの富士山夕景、右上が地元からの丹沢山系の夕景、左下が箱根湯本付近の紅葉風景、右下が愛宕ヒルズと東京タワーの夕景 です。

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2004年12月13日:No.087ヴォーリズ建築
 週末に母校のシンポジウムに参加して来ました。基調講演とパネルディスカッションの2部構成です。
 基調講演の片桐先生の演題は

 「ヴォーリズの建築がなぜ残されるのか」

 もし、中山道放浪を読んで頂いている方がおりましたら、ピンと来たかもしれません。そう、2年ほど前に滋賀県のとある小学校が建て壊されるという出来事がメディアを賑わせていました。その小学校は、「豊郷小学校」。お察しの通り、ヴォーリズの建てた建物です。豊郷小学校は、中山道沿いに立地しており、10月中旬に見てきました。また、その1ヶ月後の11月中旬に、同じくヴォーリズ建築の醒ヶ井郵便局(醒井宿)を見たばかりだったので、演題に興味を惹かれて参加した次第です。

 勉強不足であったため、大変興味深い話を聞くことができました。まず驚きだったのが、ヴォーリズは建築を正式に学んでおらず、趣味の延長が後生に名を残す偉業となったということ。そして2つ目。ヴォーリズ建築は、関西地方を中心に1500件以上に及んでいるということ。関東では耳なじみの薄い人ですが、関西では知らない人はいないというほどだそうです。元々建築家になりたかったようですが、結局大学では哲学を専攻。その後、英語教師(一方で宣教師)として来日し、明治・大正・昭和の激動の時期を日本で過ごしました。最後には、日本国籍も取得していたようです。

お茶の水スクエア 一般的に建築を学んだ人物は、建物設計をする場合、やはり外観にもこだわりを持ちたくなってしまうものですが、ヴォーリズの場合、人が如何に快適に過ごせるかというヒューマンスケールを第一としたデザインを最重要視していたことから、後生にこれほどまで評価されたのではないかと推測されます(注:一般的な建築家が内観を重要視しないということではありません、念のため)。
 ヴォーリズの建築は、特に近江八幡に多く見られます。ここは、朝鮮人街道で通過する街なので、いつの日かこの街道を歩くときに、是非探索してみたいものです。

 最後に、本日の写真は、東京で見られるヴォーリズ建築の一つ「お茶の水スクエア」です。ただし、現在の建物は当時の外壁デザインを活かして、建築家・磯崎新氏により再建されたものです。

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2004年12月23日:No.088東京文学紀行
赤門 三四郎池
安田講堂 東大構内の紅葉
 隔月で紀行文を執筆・掲載している雑誌の締め切りが迫って参りました。年末年始は慌ただしくなることが予想されるため、天気が良いことも手伝って今日取材に行って来ました。今回の舞台は、東京の街を選びました。東京の中心を観光で訪れるなんて、街道歩き以外ではものすごい久しぶりのような気がします。
 今回使用したレンタサイクルは、電動アシスト付き自転車。初めて乗ったのですが、驚きました。

 坂道登るの、ものすごい楽!!

 電動アシストを起動するスイッチを入れると、普通にペダルを漕ぐだけで、グングン加速して坂道もあっという間に登れてしまいます。特に、東京都心は坂道の多い街なので、これは大変重宝できます。今回お借りしたのは、文京区の春日駅(都営地下鉄)。後楽園駅でも貸し出してますので、近辺を訪れる方は、仕事・観光に限らずオススメです。

 さて、あちこちとスポットを訪れましたが、今回印象に残ったのは、やはり東大こと『東京大学』でしょう。赤門(写真に写る自転車が今回借りた電動アシスト付き自転車)三四郎池(夏目漱石の秀作「三四郎」の舞台)安田講堂、重厚な校舎など、見所満載です。また、今年は紅葉時期が例年に比べてかなり遅れており、この時期にモミジが綺麗に色づいていました。ほんの一時、東大生の気分を味わいました(笑)

さて、おそらくここ「日常日記」の年内の更新は、今回が最後になるかと思います。次は、年明けに更新予定です。今年1年、訪れてくださった皆様には、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。それでは、少々早いですが、皆様どうぞ良いお年を。


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