#第11日目|恵那−中津川 平成17年(2005)11月20日(日) 天気:快晴
■恵那駅に降り立つ−半年ぶりの放浪スタート 前日に、某マイナー雑誌で連載している旅紀行エッセイの取材のため、恵那駅に降り立っていた。すなわち、2日続けて恵那入りである。駅前には、黄金色に色づいた一本のイチョウの木が植わっており、雲一つ無い真っ青な空に映えている。 |
■本格的歩きの前に中山道広重美術館に立ち寄り
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■マラソンランナーに遭遇〜感動ぅ 10時過ぎに街道に復帰。と、さっき通過した時は、人っ子一人いなかったのに、沿道には沢山の人が。なんだろうと思いきや、なんと地元大学のマラソンをやっているではないかっ。邪魔にならないように、端を歩くことに。 |
■大井宿をゆく 大井橋を渡ると、大井宿。大井宿は、西側に十三峠を控えており、また尾張や伊勢へ続く下街道が宿場の西・槙ヶ根で分岐していたため、美濃路内の16の宿場の中で、最も繁栄したという。現在は、曲尺手状のまま残る街道や、本陣門,庄屋などの現存している遺構が、往時の様子を伝えてくれている。 |
■宿場はずれの高札場跡
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■明知鉄道を望む
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明知鉄道の高架をくぐると再び坂道(寺坂)がはじまる。左手に上宿石仏群を見つつ、階段を登りきったところで振り返ってみると、大井宿が一望出来る。東から来た人は、ここで大井宿を望んで、ほっと一息つくんだろうなぁ。 |
上宿石仏群 |
振り返って |
菅原神社 |
高速道路上部を通過 |
■悲劇の始まり・・・
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■細木奥様の言うとおりだっ 登り坂が緩やかになると、右手の空き地に関戸一里塚碑。道間違いを犯していた時は、「あー見逃してしまったか」と思っていたので、出会えて喜び倍増。そのまま道なりに進むと、左手に小学校、右手にため池があり、細木数子似奥様に教わった通りだ。その先、再び緩やかな登り坂がはじまり、よさげな家屋を両脇に見つつ、登り坂も終わりに。あれ・・この先が甚平坂か? |
関戸一里塚碑 |
右手に池 |
よさげな家屋が続く |
いよいよ甚平坂? |
■甚平坂 坂を登りきると、左手に石仏群、右手に急な石段がある。さっそく登ってみると、そこは根津神社。こぢんまりとしているが、小さな社の後ろには、宝キョウ印塔(岐阜県指定文化財)もある。ここで道中祈願した後、5分ほど休憩。飲み物をぐびっと一口、やっと人心地付いた感じだ。 |
■今昔木曾街道六十九次−大井− 広重が描いた大井宿の絵は、宿場からはかなり離れたこの甚平坂を題材にしている。 |
■岡瀬沢地区にて 甚平坂公園を後にすると、道は岡瀬沢集落に至る。正面に恵那山を眺めつつ歩くのが気持ちよい(右上写真)。途中、左手に続く道の先には御嶽山も望むことが出来たりして(左写真)、さっきまでのブルーな気分はどこへやら、一気にハイテンション。 |
岡瀬沢集落を抜けると、信号のある交差点右手に「中山道 岡瀬澤」と書かれた石碑がある。交差点を横切ると、道は登り坂に。左手に、色づいた木々を見つつ、登り切ると今度は一転して下り坂に。広久手坂と名付けられた緩やかな坂の途中に、中山道書かれた看板がある(老人ホームか何かだったような)。下りきると、再び右手前方に恵那山が見える。 |
岡瀬沢集落石碑 |
道は登り坂 |
街道に中山道の文字 |
右手前方に恵那山 |
■いよいよ中津川市へ
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→第十一日目|恵那−中津川その2 へ |
2005.12.02update