#第11日目|恵那−中津川 平成17年(2005)11月20日(日) 天気:快晴


中山道行程図〜第十一日目|恵那−中津川


■恵那駅に降り立つ−半年ぶりの放浪スタート
 前日に、某マイナー雑誌で連載している旅紀行エッセイの取材のため、恵那駅に降り立っていた。すなわち、2日続けて恵那入りである。駅前には、黄金色に色づいた一本のイチョウの木が植わっており、雲一つ無い真っ青な空に映えている

 今日は、実に半年ぶりとなる中山道歩きである。区間は、隣宿の中津川までの約10kmを予定している。ちょうど紅葉が見頃なので、今日はどんなことが待ち受けているのか、期待に胸が膨らむ。さっそく万歩計をリセットしてスタート!(9:09)

恵那駅前。真っ黄色のイチョウが青空に映えます


■本格的歩きの前に中山道広重美術館に立ち寄り
特別企画展として名古屋テレビ所蔵の浮世絵美人画を展示
【中山道広重美術館】
 駅を出て、南に向かう。息を吐くと、白くなる。空気がキリッとしまっていて、身が引き締まる思いだ。
 駅を出発してすぐに、東西に続いている旧道にぶつかるのだが、街道を歩き始める前に中山道広重美術館に立ち寄る。ここは、前回月曜日で休館だったので立ち寄れなかったのだ。

 9:30の開館まで少々時間をつぶしてから、いざ入館。受付のお姉さんが、背負ったリュックを目にして、「良かったらお荷物はロッカーにどうぞ」と。親切だー。身軽になってゆっくりと見学。館内では、美人画の特別展を開催中。2階の常設展示室では、美術館職員(館長?)のおじさんと色々と話し込む。もっぱら浮世絵の話ばかりだったけど。

 そんなこんなで、大変居心地が良いので、のんびりさせて頂きました。


■マラソンランナーに遭遇〜感動ぅ
 10時過ぎに街道に復帰。と、さっき通過した時は、人っ子一人いなかったのに、沿道には沢山の人が。なんだろうと思いきや、なんと地元大学のマラソンをやっているではないかっ。邪魔にならないように、端を歩くことに。

 マラソンは、これまでテレビを通して見たことはあったが、生は初めてだった。真横をあっという間に走り去る選手のスピードや息づかい、沿道の「がんばれー」という歓声や旗を振る光景など、その全てが新鮮で心地よかった。また、どのくらいの距離を走ってきたのか知らないが、すでに息が上がって「ハーハー」言いながら走ってくる選手も居たりして、臨場感たっぷり。生に勝るものはないなとあらためて実感。

 そんな青春風景を横目に、大井橋を渡る。
大井橋とランナー 大井橋とランナー


■大井宿をゆく
 大井橋を渡ると、大井宿。大井宿は、西側に十三峠を控えており、また尾張や伊勢へ続く下街道が宿場の西・槙ヶ根で分岐していたため、美濃路内の16の宿場の中で、最も繁栄したという。現在は、曲尺手状のまま残る街道や、本陣門,庄屋などの現存している遺構が、往時の様子を伝えてくれている。

 宿場内を散策中、ウォーキング大会参加者らしき集団と遭遇。みな楽しそうに歩いている。今日は、朝から賑やかな街道と化している。また、ひし屋資料館に立ち寄り、管理人のおじさんと「最近は犯罪が増えた」とか「名古屋よりは2〜3度気温低めだな」などと話し込む。
白木改番所跡 市神神社 市神神社 明治天皇行在所跡
立派な家屋 市神神社 市神神社 ひし屋資料館
家屋 市神神社〜イチョウが見事 市神神社〜イチョウが見事 本陣跡
神明神社 市神神社〜イチョウが見事 市神神社〜イチョウが見事 延寿院

■宿場はずれの高札場跡
高札場跡
【高札場跡】
 恵那は、良い人が多いので、ついつい話し込んで、出発して2時間近く経つのに、いまだ大井宿を抜けていない。ちょっと焦りが生じるが、今日は歩く距離が短いのでまだまだゆとりがあった。

 宿場を抜けると、目の前には五妙坂。その途中左手に、3/4に縮小して復元された高札場が見られる。

■明知鉄道を望む
明知鉄道
【明知鉄道】
 五妙坂を登りきると、目の前に明知鉄道の高架がある。くぐる前に、ちょっと線路に足を踏み入れる。
 前日は、この電車で終点の旧明智町と伝建地区に指定されている旧岩村町を訪問したのだ。旧明智町は、大正村と呼ばれる大正浪漫溢れる町で、旧岩村町は、伝統建造物群指定地区に指定されており、かつての商屋町としての街並みが色濃く残っているところだ。そして、町はずれの高台にある岩村城(跡)は、日本三大山城である。

 ちなみに、鉄道名は、「明知」で、町の名前は「明智」と、字が違うんですよね。なんでなんでしょう?

明知鉄道の高架をくぐると再び坂道(寺坂)がはじまる。左手に上宿石仏群を見つつ、階段を登りきったところで振り返ってみると、大井宿が一望出来る。東から来た人は、ここで大井宿を望んで、ほっと一息つくんだろうなぁ。
 その横には、菅原神社がある。朝からおじさんが一人で清掃していた。ご苦労様です。ここで、車通りの激しい道と合流し、高速道路の上部を通過
上宿石仏群
上宿石仏群
小さい写真ではわかりづらいが、大井宿を一望
振り返って
通りと合流するところに
菅原神社
交通量多し
高速道路上部を通過

■悲劇の始まり・・・
悲劇の始まり...
【左の標識を見て悲劇が始まった..】
 再び登り坂。道は左にカーブする。

 と、ここで街道歩き始まって以来のミスを犯してしまった。この先で右折するのだが、曲がるところを間違えてしまったのだ!しかも、そのまま間違いに気づかず、延々と30分近く歩いて・・・。結局、甚平坂に該当する坂(正確には根津神社も)に出会わないことに違和感を感じ、地図と現地、そして歩いてきたルートを見比べて、旧道ではないと判断して戻ることに。
 それでも、どこまで戻ればよいかわからず、世間話をしていた奥様2人組に道を尋ねてみた。すると、細木数子似の奥様が、丁寧に教えてくれた。丁重にお礼を言って、その場を後に。

 結局・・・根本的に曲がるところが間違っていたのだった(写真の右から車が出てきているところを右折したが、正解はもっと先の道を右折)。

 正味1時間近い時間をロスしたのだが、それ以上に精神的なダメージが大きく、すでにノックアウト状態・・。

■こっちが正解
ここが本物
【ここを右折(車が向かってきた方へ)】
 本来の街道筋に戻ってきて、先ほど曲がったところのちょっと先に、右に曲がる道が。この道が、街道である証拠に、案内板も設置されていた(写真の上にマウスを載せて下さい)。

 正直、ここまでの道間違いは初めてだったので、ものすごい凹んでしまったが、やっと本来の旧道に復帰出来たことで安心感もわいてきたので、気力を振り絞って歩き始める。・・と、いきなり登り坂という試練が・・。

■細木奥様の言うとおりだっ
 登り坂が緩やかになると、右手の空き地に関戸一里塚碑。道間違いを犯していた時は、「あー見逃してしまったか」と思っていたので、出会えて喜び倍増。そのまま道なりに進むと、左手に小学校、右手にため池があり、細木数子似奥様に教わった通りだ。その先、再び緩やかな登り坂がはじまり、よさげな家屋を両脇に見つつ、登り坂も終わりに。あれ・・この先が甚平坂か?
この石碑に出会えて一安心
関戸一里塚碑
おばちゃんに教えてもらったとおりだっ
右手に池
よさげな街並み
よさげな家屋が続く
両側に木々が迫ってきて
いよいよ甚平坂?

■甚平坂
 坂を登りきると、左手に石仏群、右手に急な石段がある。さっそく登ってみると、そこは根津神社。こぢんまりとしているが、小さな社の後ろには、宝キョウ印塔(岐阜県指定文化財)もある。ここで道中祈願した後、5分ほど休憩。飲み物をぐびっと一口、やっと人心地付いた感じだ。

 気力もようやく充実してきたので、神社を後にして甚平坂を下る。そして、その途中に甚平坂公園。ここは、先ほどから登場している細木奥様ご推薦の絶景スポットだ。確かに、雪をかぶった御嶽山を始めとした木曽の山々を一望できる。なんとなく大井宿手前で見た、西行公園からの景色と似ている気がする(見える山々は異なるけど)。
石仏群 根津神社の宝キョウ院塔
甚平坂 甚平坂公園からの景色


■今昔木曾街道六十九次−大井−
 広重が描いた大井宿の絵は、宿場からはかなり離れたこの甚平坂を題材にしている。
 往時の甚平坂は、かなりの急坂だったとのことで、東からやってきた旅人は、降り積もる雪も加わって、顔を伏せ気味に辛そうに坂を登っている・・という風景が描かれている。現在は、明治時代に明治天皇が行幸のされた際に山を削り取ってしまったとかで、傾斜は緩やかになっている。
 というわけで、現在の写真では、往時の状況を表現するのは難しいようである。且つ、左奥には御嶽山を望むことが出来るが、右側にこんもりした森が拡がっているため、恵那山は望むことが出来ない。
木曾街道六十九次 大井 広重作


■岡瀬沢地区にて
 甚平坂公園を後にすると、道は岡瀬沢集落に至る。正面に恵那山を眺めつつ歩くのが気持ちよい(右上写真)。途中、左手に続く道の先には御嶽山も望むことが出来たりして(左写真)、さっきまでのブルーな気分はどこへやら、一気にハイテンション。
街道筋から視点を逸らして、左手に御嶽山 右手前方に恵那山
岡瀬沢地区内のバス停

 岡瀬沢集落を抜けると、信号のある交差点右手に「中山道 岡瀬澤」と書かれた石碑がある。交差点を横切ると、道は登り坂に。左手に、色づいた木々を見つつ、登り切ると今度は一転して下り坂に。広久手坂と名付けられた緩やかな坂の途中に、中山道書かれた看板がある(老人ホームか何かだったような)。下りきると、再び右手前方に恵那山が見える
集落を抜けた信号のある交差点横に
岡瀬沢集落石碑
左手には、色づいた木々が
道は登り坂
広重が描いた大湫宿を描いた風景?
街道に中山道の文字
癒され、そして励まされます
右手前方に恵那山


■いよいよ中津川市へ
ついに岐阜県(美濃国)最後の都市へ
【中津川市に突入】
 右手に見える恵那山に見とれていると、前方に突然「中津川市」と書かれた案内板が。長かった恵那市も終わりを告げ、いよいよ岐阜県最後の都市・中津川市に突入だ!ここで右側にある大きな石碑を振り返って見てみると、大きく「中山道」と書かれている(写真の上にマウスを載せて下さい)。

 すでに、この時点で歩き始めてから4時間近く経とうとしている。すでに中津川駅に到着していてもおかしくないのに、未だこんなところにいることに、徐々に焦りを感じ始めていることに、まだこの時は自分自身気づいていなかった。
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2005.12.02update


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