歴史をたどる


長崎街道

長崎茂木街道なるものもっ
長崎街道終着の碑
 旧街道歩きを趣味にしているからには、長崎の街道もチェック必須です。
 長崎には、小倉(福岡県)から佐賀を経て長崎に至る「長崎街道」と、佐賀の途中から唐津を経て平戸に至る「唐津街道」、島原半島をぐるっと辿る「島原街道」などがあったようです。今回、残念ながら平戸・島原では街道に関する史跡を発見できませんでした。but、長崎街道は、ばっちりチェックしてきました。長崎街道の終着点(始発点)となるところです(時代によって、微妙にルートが変更されているようです)。

 坂本龍馬や勝海舟、吉田松陰、シーボルトをはじめとした著名な人物が数多く歩いた街道であり、砂糖や南蛮菓子などが京都や江戸へもたらされた街道であり、そして、日本が鎖国の時代も唯一歴史を刻み続けた街道でもあります。

 やはりいつの日か、是非歩いてみたい・・・今日も見果てぬ夢に思いを馳せるのです。


出島

出島史料館本館(キリスト教新教の神学校)明治10年(187)建築したものを保存・修理
出島ミニチュア
ヘトル(商館長次席)の居宅。復元したもの
一番船船頭部屋。オランダ船の船長宿泊所。復元したもの。っちゅうか、ベッド小せぇー
 寛永13年(1636)、ポルトガル人によるキリスト教布教を禁止するため、徳川幕府は約15,000uの人口島、すなわち出島を築き、ポルトガル人をそこに居住させたのがはじまりです。翌年、島原の乱が起こり、そのことがきっかけとなってポルトガル船の来航を禁止し、平戸にあったオランダ商館を長崎に移転し、今度はオランダ人を出島に居住させました。その後、日本は鎖国時代に突入し、218年もの長い間、ここだけが唯一海外との接点があった場所でした。
 その出島、小学校でも習うほど有名なところで、扇状の形をした島であることは周知の通りですが、現在は往時の面影無く、近代化した長崎の街に埋もれていました。正直「うぇー」と思いましたが(失礼)、不思議と内部に足を踏み入れると、過去にタイムスリップしたような気持ちになるから不思議です(ただし、あまり遠景は見ないように)。

 その出島も現在復元工事の真っ只中で、平成18年(2006)4月に新しく5棟復元されるそうです。さらに、長期的には、19世紀初頭の扇形の島を完全に復元する計画まであるらしい。
 是非、その頃にもう一度足を踏み入れてみたいものです。

■出島和蘭商館跡
 入館料:300円(出島史料館本館・分館、二番蔵共通)小中学生150円
 開館時間:9:00〜17:00
 ※平成18年4月以降は、建物単位ではなく出島への入場料が500円になります
 


坂本龍馬(亀山社中)

風頭公園龍馬像からの視点
亀山社中の跡
風頭公園全景
龍馬通り。きつい坂道(階段)です
龍馬のぶーつ像より稲佐山を望む

 坂本龍馬

 幕末の風雲児と呼ばれたこの人物を知らない人は、限りなく少ないのではないかと思うほど、超有名人物ですよね。そして、その多くが「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著)で虜(とりこ)になったのでは・・・って、それは自分のことですから(笑

 龍馬が多くの人に好かれる理由は、何なのでしょうか。やはりなんと言っても、その「生きざま」ではないでしょうか。長年続いてきた鎖国という閉鎖されてきた時代に、誰もが安穏としてどっぷり浸かっていた最中に、一人見果てぬ海外に目を向けて、そしてその夢に向かって突き進んだ姿は、誰もが羨望のまなざしを向けるというものです。
 その結果、「亀山社中」(後の海援隊)という、日本最初のカンパニーという貿易商社まで設立してしまうのですから、惚れちゃうってものです。

 その後、慶応3年(1867)、国家の夜明け(開国)を待つことなく、京都伏見において何者かに暗殺されてしまうわけですが、龍馬が残した功績は大きく、龍馬がいなければ、今の日本も無かったかもしれません。

 そんな龍馬ですから、今もってファンは後を絶ちません。ここ長崎でも、亀山社中跡(現在は写真などを無料で公開しています)や風頭公園、龍馬のぶーつ像など、龍馬に関わる史跡は、ちゃんと大事にされているのが、とても印象に残りました。

 しかし。
 私は、古いタイプの人間なので、龍馬の考えや行動などに憧れを抱きつつも、滅び行く幕府と運命を共にした新撰組(特に土方歳三か?)にも共感を覚えてしまうのでした。

■亀山社中跡
 開館時間:10:00〜12:00、13:00〜15:00(土日祝日のみ)


原爆

山王神社二の鳥居。爆風により片側が吹き飛ばされてしまった...(爆心地から900m)
浦上天主堂前の原爆によって首が吹っ飛んだ聖堂象
平和公園内の、ある少女の手記碑(奥には平和祈念象)
 昭和20年(1945)8月9日午前11時2分、長崎県に原子爆弾が投下されました。その結果、一瞬のうちに無数の尊い命が奪われ、原爆投下地一帯は、焼け野原と化しました。

 数年前、広島を訪問した時に、原爆ドームや、広島平和記念資料館に立ち寄りました。その悲惨さを自分の目に、そして心に刻み込んで、戦争知らない世代ではありますが、あらためて戦争、そして原爆のもたらすものが悲劇だけだと再認識しました。そして、いつかは長崎も訪問しなければ・・と思ってから早数年、ようやく今年訪問することが出来ました。
 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館や長崎原爆資料館、原爆落下中心地や原爆によって破壊された建造物の遺構などを訪れました。初めて広島で受けた衝撃ほど大きくは無かったにせよ、「二度とこのような惨事を引き起こしてはならない」という思いを強くしました。

 にも関わらず、世界では未だに戦争が無くならない日はなく、原爆も戦争では使用されていないものの、多数の国々が所有し、実験は日常茶飯事のように行われています。かけがえのない人類、そして地球という星を想う、一人一人の気持ちがあれば、争いなどなくなってしまうのに・・・。

 是非、国内外問わずたくさんの人達に、長崎そして広島の地を訪れてもらいたいです。

■長崎原爆資料館
 入館料:大人200円
 開館時間:8:30〜17:30(年中無休)


噴火

右側は眉山、左奥にうっすら見えるのが普賢岳(平成新山)
雲仙の温泉。今も地下で活動していることが伺えます
雲仙岳災害記念館
焼き尽くされた風景(実物展示)
 平成2年(1990)11月、雲仙・普賢岳が噴火活動をはじめました。その後、平成8年(1996)6月の噴火終息宣言まで、実に6年もの年月が経っていました。
 それから、早10年近い月日が経とうとしています。ここで起きた災害による教訓は、その後発生した有珠山(北海道)や浅間山(群馬県・長野県)を始めとした全国各地の噴火に活かされているのでしょうか。

 島原市の海近くに、その雲仙・普賢岳の噴火活動を学習出来る施設「雲仙岳災害記念館」がありましたので、訪問してきました。この施設、入館料1,000円も取るので、どんなもんだろうと思っていたのですが、なかなか勉強になりました。
 ただ災害の記録を展示しているのではなく、実際に災害が起きた時どのような状態だったのかを擬似体験できる「平成大噴火シアター」(ちょっとしたアトラクション)、発生時の火砕流のスピードを体感できる「火砕流の道」など、子供にも災害の状況が伝わりやすいように作られていました。

 日本は地震大国であると同時に、火山大国でもあります。身近なところで災害が起こる危険性を秘めているわけで、いざ災害が起きた時に迅速かつ適切な対応ができるよう、きちんとした対策を検討しておくと同時に、日頃からの訓練が大事ですね。

■雲仙岳災害記念館
 入場料:大人1,000円/中高生700円/小学生500円
 開館時間:9:00〜18:00(年中無休)

2005.12.26up

→チャンプルーな建物


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