#第2日目|修善寺−河津大滝 平成16年(2004)1月11日(日) 天気:くもり


下田街道行程図〜第二日目|修善寺−河津大滝


■下田街道2日目始動
 まだ夜も明けきらぬ5時半過ぎ、「ムーンライトながら号」と同じ車両がホームに滑り込んできた。ところが、こんな時間にもかかわらず座席はかなり埋まっており、あやうく座れないところだった。

 今日は下田街道2日目。修善寺から天城峠を越えて河津までを予定した、久しぶりの長距離かつ危険の伴う街道歩きだ。街道歩きというよりもハイキングに近い所も多々あるが・・。それもあって、事前の予習は特に念入りに行い、万全の体制で望んだつもりであったが、あまり人通りがないと思われる本物の峠越えをするので一抹の不安は隠せなかった。
下田街道2日目スタート地点・修善寺駅
【修善寺駅からスタート】
 2時間ほどで三島駅に到着。ここから伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換えて終点の修善寺まで行くのだ。その三島駅での乗り換え時、富士山の方向に目をやると雲が厚く、今日一日富士の姿を望むことは出来なさそうだ。天気予報によれば、「晴れ」の予想だったのに・・。今日は、街道からは位置的に富士山を見る機会はほとんどなさそうなので、ここで富士山を見て気合いを入れようと思っていたため、幸先悪しと少し不安がよぎる。

 三島駅から40分ほどで修善寺駅に着く。その途中、前回も帰りにこの電車に乗ったのだが、真っ暗で外は何も見えなかった。なので、今回は前回歩いたところを復習しながら外の景色を眺めつつ、修善寺駅に到着

下田街道マップ6|修善寺駅〜松ヶ瀬地区



■伊豆の踊子ゆかりの地〜湯川橋

 駅に降り立つと結構肌寒い。身をすぼめつつ万歩計をリセットしてスタート(8:15)。まずは、駅のトイレを借用してからさっそく歩き始める。狩野川を越えて分岐点を左折し、少し歩いたところで左に曲がる道があるので左折。左折してすぐに『湯川橋』。歩き始めて間もないのに、さっそく文学の香りが漂ってくる。この橋は、川端康成氏の「伊豆の踊子」の場面に登場してくる橋である。橋近くには「伊豆の踊子ウォーキングコース連絡会」が立てた立派な案内板がある。こうした案内板をこの先も見かけるのかと思うと心強くなってくる。
 橋を渡り、しばらく何も見どころのない裏道が続く。
湯川橋 湯川橋と下田街道

下田街道マップ7|松ヶ瀬地区〜月ヶ瀬地区



■交通量の多い国道をゆく

 朝早いにも関わらず車通りは激しい。ゆるやかだが着実に登っている道をゆくと、道は右にカーブし、左手に土蔵のあるT字路へ。ここを左折し、100メートルほど歩いたところで信号機のあるT字路にて国道に合流するのでここも左折。うぉ・・国道はもっと交通量があるぞ・・うぇ〜。
妙に違和感を感じる天城ドーム
【山あいにぽつねんと天城ドーム】
 今度は国道沿いを歩く。見どころのないまま青羽根地区へ。この地区、割と店舗が並んでおり、温泉もあるらしい。その中で、地域に溶け込んでいないドーム状の建物があった。手持ちの地図を見てみると、天城ドームと書いてある。どういう利用されているのかわからないが、何故ここにドームなのだろうと不思議に思った。
 このあたりの道、歩道が片側しかないところが多く、しかも右に左にコロコロ変わる。片側だけでも良いから、右か左かどちらかに統一してくれー。


■車中心社会にもの申す!

歩行者用押しボタンを押してはいけませんか?
【一風変わった歩行者用押ボタン】
 しばらく歩き、田沢口と書かれた地区に。押しボタン式の信号機があり、信号機の横に小さな女の子が待っていた。信号が変わり、猛スピードで走っていた車は一斉に停車。すかさず女の子はタタタっとかけ、止まった車にお辞儀をペコリ。そして、道の反対側へ走っていった。
 すごく純粋な子供を見てとても心が和んだのだが、先日、良く拝見している絵日記サイトの管理人が「歩行者のみの信号で止められるとイヤだ」と書いていて、ちょっとムッとしたのを思い出してしまった。この絵日記サイトの管理人は、後に苦情がかなり来たようで後日表現方法を変えていた。

 車利用者がこう思うのは、往々にして日本が車中心社会になってしまったからに他ならない。もちろん車も必要だが、車でなくても良い場合がある。人々は、昔は歩いていたのだ。だからもっと歩くべきだと思う。まぁ、現代社会からすれば、歩いて旅するなどは酔狂だと思われる方が大半なのだろう。

下田街道マップ8|月ヶ瀬地区〜湯ヶ島地区



■落ち着いた雰囲気の空間

 着実な登り坂をテクテクゆくと、途中から大きくカーブする下り坂に。下りきったところで左手には落ち着いた佇まいを見せる嵯峨沢館。この旅館、狩野川に面しておりとても良い感じだ(夕刻、帰りにバスで通過したが川岸からライトアップされており、高級かつ落ち着いた雰囲気が漂っていた)。こんな所に泊まってみたいものだ。それを横目に狩野川に架かる橋を渡る。
 橋を渡ってすぐ信号にぶつかる。ここで街道を逸れて左折してみる。気になる看板を見つけたのだ。それは、「トイレの神様」が接頭語となっている明徳寺。後で知ったのだが、年取ったときに下の世話にならないですむそうだ。お土産屋の中央に参道入り口と書いてあり、そこをくぐってみたが、寺まで先が長そうだったので断念。
狩野川上流部


■なんと富士山がっ!

ひょっこりと富士山が見えるではないかっ
【なんと富士山がっ】
 再び街道に復帰してすぐ右手に天城湯ヶ島町役場。もうこのあたりは中心地のようだ。この辺から一段と登りが急になった気がする。その坂を登り、ガソリンスタンドの先で右に折れる細い道があるのでそちらへ。そのまま道なりに進み、再び国道に合流。
 合流してすぐコンビニがあり、コンビニの駐車場には天城湯ヶ島の地図が載っている。それを横目に道は右にカーブ。そこでなにげに横を向いてみると、なんと富士山が見えているではないか!朝のあの厚い雲はどこへ行ったのだ。見れないと思っていたものが見れたので元気倍増。意気揚々と歩き出すも、勢いつきすぎて曲がるべきところを曲がらず国道を道なりに進んでしまう。
弘道寺
【ハリスが滞在した弘道寺】
 立ち寄り温泉の天城会館を右手に見て、ちょっとおかしいと気づき、左折して裏道へ。すぐの交差点で右折。このあたり、裏道が街道となっているのだが非常にわかりづらくなっており、迷ったあげく間違えるという最悪の行動をとってしまう。それでも、なんとか江戸へ向かうハリスが滞在したという『弘道寺』へたどり着いた。


■ハリスが滞在した弘道寺で一休み

弘道寺本堂
【弘道寺本堂】
 寺の表門横に石碑があり、ハリスが日本滞在時に書いた「日本滞在記」の一部が記され、この天城へ来て初めて富士を見たと書かれていたが、私も今日初めてここで見ることが出来た。

 「初めての富士づくし」

 これも一つの縁か。せっかくの縁、ここで休んでいくことにした。

 あらためて天城湯ヶ島を思う。私は、今回初めて訪れたのだが、ここは井上靖氏の生まれ育った地である。これは、自伝的小説「しろばんば」にて詳しく書かれている。今でこそ国道沿いは排気ガスが充満しているが、一本裏道に入れば落ち着いた静かな集落が拡がっている。こういう環境が、一人の偉大な文豪を生み出したのだろう。そして、井上氏に限らず、川端康成然り、島崎藤村然り、多くの文豪がここを訪れていることが全てを物語っていると言える。

 十分休憩したので、再び歩き出した。


■下田街道の現代の難所(怒)

歩道はおろか路肩も・・・ひどすぎる!!!!
【歩道はおろか路肩も跡切れる】
 湯ヶ島の中心地を過ぎ、国道に合流。登り坂が再び始まり、歩道もなくなる。マジかよー!(怒)それでも、路肩があるうちはまだ良かったが、この路肩が無くなったところがあり、キレタ。(注:写真ではたまたま車が写っていないが、かなりの交通量だ)
 そりゃ、こんなとこ普通は人が歩かないが、あくまでも「車中心」であり、「車のみ」の社会ではないのだ!!
 ・・・とりあえず、現時点でないものは仕方ないので、車に気をつけながら早歩き気味に先を目指す。

下田街道マップ9|湯ヶ島地区〜道の駅天城越え



■踊り子歩道を歩き、浄蓮の滝へ

浄蓮の滝を見に来た車で溢れかえる駐車場
【浄蓮の滝近くの駐車場とお土産屋】
 天城山荘が見えたところで「踊り子歩道」なるものを発見。背に腹はかえられないのでこの道を進むことにする。・・が、これが正解!車が一台も通らない落ち着いた道を歩くことができた。ただし、直線で登るので坂がきつかった。それでも、なんとか登り、再び国道に合流し、相変わらず車の往来の激しい道を100メートルほど歩くと大きな駐車場に到着。ここの近くに『浄蓮の滝』があるのだ。浄蓮の滝は、石川さゆりさんの歌「天城越え」でも有名な観光スポットである。

 最初、この滝を訪れるのをやめようと思っていた。きっとたくさんの観光客がいるだろうから。でも、せっかく来たんだからマイナスイオンでも浴びてくるかと足を向けてみたら案の定すごい人が。さっさと見終えようと急な階段を下ると、そこには想像を超えた滝が、轟々と叫び声を上げており、自然の作り出す偉大な姿をみせつけていた。人を枠に入れないように夢中でシャッターを切り、しばらく浸っていたかったのだが、あまりの人混みに早々に退散。今度来るときは、もっと朝早く人のいない時間がいいなぁ。
 そろそろお昼になるので、ここで昼食でも・・と思ったが、どのお店も人が入り込んでいたため、浄蓮の滝を後にして街道に復帰。再び歩き始めることに。
浄蓮の滝


■雑踏を抜け、落ち着いた街道をゆく

落ち着いた裏道をゆきます
【雰囲気の良い集落をゆく】
 ラッキーなことに、この滝近くからしばらく裏道を歩くのだ。一歩道に入ると、そこには車の往来のほとんどない、昔から変わっていないのではと思うような集落があった。さっきまでの雑踏はどこへやら、ゆっくりと歩みを進める。ゆっくりになったのは、再び急な登り坂になったせいでもあったり(笑)
 しばらく歩くと、両側の景色が連なる家並みから森林にかわる。その途中、鉢窪浄水場の手前に島崎藤村の碑がぽつねんと建てられていた。うまい具合にベンチもあったので休憩していくことに。ちょうどお昼時なので、持参したサンドイッチ等を食す。自然の中で食べるのだ。まずいはずがない。
島崎藤村の碑
【島崎藤村の碑】
 ぼーっとしていると、近くに小川が流れているのか、川のせせらぎの音、鳥の鳴き声などが聞こえてくる。あらためて周りを見回してみると、ここはまだまだ自然の宝庫だ。思いっきり息を吸い込み、日頃都会の空気で汚れた肺をきれいにしよう。
30分ほどゆっくりと休憩したので、腰をあげて再び歩き始めた(12:40)。


■歩道崩落>頼むからちゃんと工事して・・・

 左手に浄水場を見つつ杉林の中へ。これがまた良い感じなのだ〜。晴れ間も覗き始めため杉木の隙間から太陽の日差しが射し込んでくる。その杉林を抜けると再び危険極まりない国道と合流。しかも、本来続いているはずの「踊り子歩道」が「歩道滑落」のため通行禁止になっている!

 やむをえず、ビクビクしながら歩道はおろか、ほとんど路肩もない国道を歩き、ようやく道の駅天城越えに到着。
よさげな杉林 歩道が崩落っ・・


■道の駅 天城越えにて
道の駅 天城越え
道の駅全景
昭和の森会館
昭和の森会館
井上靖旧邸内観
井上靖旧邸
 道の駅には、今回の目的地の一つ・昭和の森会館と近代文学館があるのでさっそく入館(600円)。かなり立派な施設で、杉のことや井上・川端等をはじめとした文学のことを詳しく知ることができるところだが、私以外観覧者が一人もいない。もったいないなぁ〜と思いつつ、近代文学館の充実度に満足。その後、建物を出て、同じ敷地内にある井上靖旧邸を見学。もともと天城湯ヶ島にあった家屋を、そのままここに移築してある。ちなみに天城湯ヶ島の旧邸跡地には石碑が建てられているようだ。見学も済み、十二分に満足したので、最後の大きな難関・天城越えをすべく出発!

井上靖旧邸

下田街道マップ10|道の駅天城越え〜旧天城トンネル



■またもや歩道崩落>二本杉峠ルート

 道の駅から先は、先ほど不通だった「踊り子歩道」が歩けるようになっている。これがかなりよく整備されており、途中何人かのハイカーともすれ違った。そこそこの人が利用しているようだ。結局、この日は最後までこの「踊り子歩道」にお世話になることに。
 そんなこんなで安全な歩道をテクテク歩くと(テクテクと言っても登り坂ばかりで、すでに登山に近い状態)、大川端キャンプ場に到着。やっと峠の麓にたどり着いた。ここからは踊り子歩道から外れて二本杉峠ルートをゆくことにしていた。天城越えにはいくつかのルートがあり、私はその中でもっとも古い二本杉峠ルートを歩こうと思っていた。このルートは、江戸時代によく利用されたルートで、ハリスや吉田松陰等が通過しているのだ。
よく整備されている踊り子歩道 踊り子歩道
またもや歩道崩落っ・・・・
【通行不能を示す案内板】
 峠越えに不安を抱きつつも登り口に到着すると、なんと!ここも崩落により通行不可能になっていた。不安の裏返しから、かなり気合いを入れて今回の放浪に望んだのだが、この予想外の現状に、思わず呆然と佇んでしまう。
 一瞬、今日はここでやめてバスで帰ろうかという考えが頭をよぎったが、とりあえず峠は越えようと決意。ならば、明治・大正期の踊り子ルートで行こうと気持ちを切り替え、再び歩き出した。「踊り子ルート」と名の付くとおり、川端康成氏の伊豆の踊子のルートだ。


■川端康成も歩いた、つづら折りの道をゆく

つづら折りの道をゆく
【ここからつづら折りの道がはじまる】
 先ほどまでと同様に整備された道をゆく。途中、わさび田を横目にえっちらおっちら登ると国道に合流。しかし、そのまま案内板に沿って旧道へ。ここからは車も通れる砂利道が続く。時折車が通過するたびにホコリが舞うので迷惑この上ない。
 川端氏の言葉を借りると「つづら折りの道を登り・・」とあるが、その時の風情を良く残した道を進み、ようやく旧天城隧道に到着。トンネル前には多くの車が止まり、観光客が大勢写真を撮っていた。例のごとく写真撮影を頼まれたりしながら、自分も何枚か写真を撮り、いざ「天城越え〜♪」(15:00)


■天城越え(天城隧道をゆく)
さあゆくぞー
天城隧道入口
歩けない暗さではない
隧道内部
隧道内部
隧道内部
 トンネルに入るとかなりひんやりしているが、ここまで歩いてきて体が火照っているので、それが逆に心地よい。以前甲州街道で歩いた笹子トンネルに比べて内部は明るい。トンネル内部にぼんやりとオレンジの光が等間隔に浮かんでいるのを見ると、たちまち明治期へタイムスリップしてしまう
 ゆっくりゆっくり歩く。このトンネル、車も通過可能なので、時折車が入ってくる。すると、そのたびにものすごい轟音がトンネル内にこだまする。とりあえずひかれないように道脇によける。
 のんびりと写真を撮りつつ歩くも、約8分ほどで反対側に。

旧天城隧道をゆく

下田街道マップ11|旧天城トンネル〜宗太郎園地

 反対側はほとんど人がいなかった。こちら側も写真におさめ、私はそのまま直進。道は今度は下り坂に。行き同様、これまたつづら折りの道を下る。いいかげん下りきったところで「踊り子歩道」と書かれた案内板。それに従い、道は歩行者専用の山道に。
つづら折りの道を下ります 踊り子歩道

下田街道マップ12|宗太郎園地〜河津七滝



■杉林・宗太郎園地をゆく

宗太郎園地の杉林
【立派な杉の木が林立している宗太郎園地】
 国道を横切り、トットコトットコ快調に飛ばす。人一人すれ違わない薄暗くなり始めた山道を下ると、車も通行可能な広さの道に合流。しばらく下ると、周辺に杉木が植えられている宗太郎園地と呼ばれる杉林を通過する。ここの杉は、箱根に匹敵するほど素晴らしい。しかも、並木ではなく林なので、広がりがある分箱根より上かも。
 さらに下ると、通行止めとなっていた二本杉峠ルートからの道と合流。こちら側には通行止めとは書いてない・・もしかして通行できたのだろうか。


■歩道崩落>またかよ・・

下田街道
【下田街道をゆく】
 道の傾斜もだいぶゆるやかになってきた。先ほどから道の右側に川が流れており、最後の目的である河津七滝が近いことが伺える。今日はアップダウンの激しい道が多く、ちょっとバテ気味だが、最後の気合いを入れて足を動かす。ところが、河津七滝に向かう分岐点に到着した途端、その足は止まってしまった。
 「2度あることは3度ある」
 なんと、七滝へ至る道は、工事のため通行止めとなっていたのだ・・。ここを通行できないと、大回りをしなければ滝にたどり着けない。どうしようと思ったが、この日は日曜日・・どうやら工事はお休みのようだ。危険を覚悟でこっそりと通行してしまうことにした。って、ここに書いてしまえばこっそりでなくなるけど(笑)<まぁ、過去のことだし


■観光客で溢れかえる河津七滝

 さっそく歩き始める・・と、さすがに色々な工事に用いている道具等が散らかっているが歩けないことはない。なんとかその間をくぐり抜け、ものすごい急勾配の石階段を降りたところに滝があった。どうやら七滝の一つ・釜滝に到着したようだ。先ほどまで人っ子一人いなかったのに、観光地に着いた途端、たくさんの人と遭遇。今回はこればっかりだなぁ。

 とりあえず一つずつ滝を見て南下する。全てを見ようと思っていたが、えび滝は立ち入り禁止になっていたため、見学することができなかった。最後の大物・大滝は時間の都合もあり、次回に持ち越すことに。
河津七滝の一つ・釜滝
【釜滝】
蛇滝
【蛇滝】

初景滝
【初景滝と踊り子像】
カニ滝
【かに滝】
出合滝
【出合滝】


■下田街道2日目終了!

下田街道2日目の終着点・大滝入口バス停
【浄蓮の滝近くの駐車場とお土産屋】
 南下するにつれて、お土産屋も軒を連ねるようになってきた。そして、温泉地らしい立派な旅館等も目に入り始めたところで、バス停に到着。まずはバスの時刻表をチェックする。すると、あと10分ほどでバスが来ることが判明。ついてるぞーと思いつつ、バス停前の旅館で乗車券を購入しろとの張り紙に従い旅館に併設のお土産屋を尋ねる。ここで、旅館側の怠慢によりひどい目にあったがなんとか乗車券を購入。

 お土産屋を出ると、外は暗くなり始めていた。各旅館も明かりを灯し始めており、一層落ち着いた温泉地の風情が漂ってきた。今日は、朝早く自宅を出た甲斐があって、なんとか予定通り歩くことが出来て良かった。バス停前のベンチに座りながら、今度来た時は目の前にそびえるループ橋を写真におさめなければと思いつつバスを待つのであった。(つづく)
→第3日目|河津大滝−下田 へ


歩数計 42,831歩
カロリー 1,804.7kcal
距 離 25.70km
時 間 8:15〜16:50
支 出 交通費|4,670円(青春18きっぷ使用)
飲食費|1,080円
その他|600円(施設見学料)

2004.6.26update
2007.1.20renewal


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