日光街道を歩く(日光道中)

 #第4日目|幸手−小山 平成17年(2005)6月18日(土)


2005年6月18日(土)日光街道第4日目:幸手−小山 天気:曇りのち晴れ

■日光街道4日目スタート

日光街道第4日目スタート地点・幸手駅
【東武鉄道幸手駅】
 2005年6月中旬、幸手駅。本来ならば、先週この地にいるはずだったが、寝坊したため来ることが出来ず、代わりに近場の金沢街道を歩きに行った。

 そして今日、先週寝坊したのが効いたのか、無事に早朝起床し、電車に揺られてやってきた。

 東武鉄道幸手駅は、何故か朝早くから結構な人出。不思議に思いつつも、そうした人達に紛れてのんびり出発(7:18)。

■梅雨期の癒し〜権現堂桜堤にて紫陽花に出会う〜
 空を見上げてみると、天気予報通りの曇り空。それがためか、気温も20度超えてないと思われるほど、ひんやりしている。まずは、前回の終了地点・行幸橋を目指す。途中、権現堂堤にて「あじさいまつり」開催中と書かれたポスターが目に飛び込んできた。せっかくなのでちょっと遠回りだが立ち寄ることに。
 権現堂堤に到着。3ヶ月前に訪れた時は、寒々しい景色だったが、この時期は緑生い茂る桜木トンネルが続き、心癒される。肝心の紫陽花は白や青、ピンクなど色とりどり、種類もいくつか見られ、満開の見頃のものから咲き始めのものまで。遠回りした甲斐があったってもんだ。
桜木トンネルが気持ちよい 白や群青の紫陽花
ピンクの紫陽花 ガクアジサイ


■旧道らしい細い道をゆく
 紫陽花に満足しつつ、堤を後にして中川に行幸橋へ。橋を渡ってから、国道を逸れてすぐ左折。ここから未知の空間に突入だ。旧道らしさを偲ばせる細い道をゆく。途中、道標があるはずが見あたらない。見逃したか・・と諦めかけた時、Y字路の付け根に道標を発見。このパターンいつもだなぁ。ここを右にゆくと筑波方面に行くらしい。日光街道は左の道へ。道標の横には、きれいな紫陽花が彩りを添えている。
もう間もなく完成
行幸橋
信号にぶつかったら左へ
橋を渡って左折
ここで筑波へ続く道とわかれます
道標
街道に彩りが加わります
紫陽花

 車も来ない細い道は、なかなか快適。緑の田園風景の中を突っ切る電車を見たり、歴史の感じられる家屋街道脇に咲く花などを堪能しつつ、雷電・権現合社(神社)を迂回して道なりに進む。
緑がはえます
田園風景と鉄道
良い感じ
歴史のありそうな家屋
心がなごみます
街道花風景
街道は神社を迂回する形で
雷電・権現合社

■小右衛門一里塚−弁財天堂−
現存しているようです
【弁財天堂と小右衛門一里塚】
 雷電・権現合社を過ぎた後、適当なところで一本国道側の道へ。左手に新しめの八幡神社、右手に別のお寺が見えるのでお寺のお墓を回り込む形で国道横の側道に足を運ぶと、弁財天堂と一里塚碑がある。
 お堂右側に立派な樹木が植わり、こんもり盛り上がっているが、どうやらここの一里塚は現存しているらしい。弁財天堂は、後からこの場所へ移築されたようだ。

■国道を避けるように街道は続く
 再び国道から1本離れた道をゆく。T字路にぶつかるので、ここで右折し国道沿いの道(国道より一段下がってる)をゆく(弁財天堂と小右衛門一里塚に面している道です)。新幹線などの高架下をくぐり、そのまま国道に合流。しかし、すぐ左手に逸れる道があるので、そちらへ進む。左手に逸れると、すぐ右手に川通神社
突き当たって右折
ここで右折
国道脇の道をゆきます
国道沿いをゆく
一旦国道に合流するもすぐに左折
国道を逸れて左折
国道を逸れてすぐ右側に
川通神社

■初めて知る6月の街道風景
6月の街道は花咲く華やかな道
【街道花風景】
 道幅は広いが、車の往来のない落ち着いた道をゆく。この道沿いにも、色とりどりの花が咲き乱れている。

 街道を歩きを始めてから、この「6月」という季節に歩いたのは、東海道を踏破した時の1度しかない。それも、6月1〜2日という、まだ梅雨入りもしていない時期で、場所も割と都会の中だったためか、これほど街道に彩りを添える花や緑のじゅうたんが拡がった田園風景など、素敵な風景が拡がっていることを少しも知らなかった。 

■いよいよ宿場が近づいた
 落ち着いた道を進むと、国道合流手前の民家に会津見送り場跡の碑がある。会津に向かう人をここまで見送りに来たのだろう。日光街道は、様々なところに繋がっていることを、あらためて感じさせてくれる。昔は茶屋などもあったようだが、現在は往時の面影はない。
 国道に合流後(すごい交通量だ。うぇー)、ちょっと先に信号があるので、反対(右側)へ渡り、そのまま歩道を道なりに進むと細い道との交差点にぶつかるので、左折して国道下をくぐって反対側に。トンネルを抜けると、右手に貸衣装屋の三河屋が見えれば正解。そのまま道なりに右にカーブすると、道が一直線に続いている。いよいよ栗原宿だ。
奥にはお稲荷様が
会津見送り場跡
車の通行不可能なトンネルを使って反対側に
左折して国道をくぐります
これが見えたら正しいっす
右手に貸衣装屋
北へ向かう時は、ちょっと見逃しやすい位置に
栗橋宿方面を望む



■栗橋宿をゆく
 現在の栗橋宿は、割と道幅が広く、一直線に続く道の両脇に、寺院や歴史の感じられる家屋が点在している。なんでも、昭和22年(1947)に大洪水があったため、往時の建物はほとんど残っていないとのことだが、街道を歩いている人間から見ると、宿場であったことを十分感じさせてくれる要素は残っていると思った。
 しかし、トイレに行きたいのに全く‘それ’がないのには参った。仕方がないので、街道を逸れて、ちょっと離れている栗橋駅の方へ向かうことにした。
焙烙地蔵 顕正寺 浄信寺 歴史の感じられる建物
歴史の感じられる建物 良い感じの柿沼薬局〜看板は派手ですが 良い感じの柿沼薬局〜看板は派手ですが 歴史の感じられる建物
栗橋関所跡 良い感じの柿沼薬局〜看板は派手ですが 良い感じの柿沼薬局〜看板は派手ですが 格子の見られる家屋
関所番士屋敷跡〜八坂神社横に 紫陽花 八坂神社 栗橋宿の街並み



■偶然か必然か〜静御前の墓参り〜
静御前のお墓
【静御前の墓】
 もうアカンと思っていたところでコンビニを発見して、安堵・・・。ついでに飲料も補給して、せっかくここまで来たのだからと、栗橋駅前にあるという静御前のお墓を訪れることに。
 ポケットパークとしてきちんと整備され、きれいに清掃もされ、お墓には花も生けてあり、栗橋町(もしくは地元有志?)の取り組みは大いに評価したい。
 言わずとしれた、静御前は源義経の寵愛を受けた女性で、平泉へ落ち延びた義経を慕って向かうも、義経討死の報を聞き、悲しみのうちにこの地で亡くなったとか。

 義経関連は、悲話が多く、同情を禁じ得ない。

■失われた中田宿
 再び街道に復帰。次なる宿場を目指して、利根川を渡る。もちろん、現在は立派な橋がかかっている。渡橋途中、長かった埼玉県から茨城県古河市へ。その先、橋の途中辺りから栗橋宿の対岸に位置していた中田宿があったが、現在は川の流れも変わり、ほとんど何も残っていない。かろうじて、古河市が建てた案内碑のみが物語ってくれる。
利根川を横断中に茨城県古河市へ かつての中田宿の今の風景 渡しと関所跡案内板 宿場があったことを示す案内板

■寺社が点在する道をゆく
 ほとんど無いに等しい中田宿を抜け、しばらく寺社の点在する道をゆく。おそらく各寺社とも、奥深い歴史を抱えていると思うのだが、全体的に単調感は否めず。それでも、紫陽花などで気を紛らわせつつ、単調からの脱却のポイントとなるJRの踏切にさしかかる。踏切が開いたら渡りましょう。
鶴峯八幡神社
鶴峯八幡神社
かつての宿場を意識してる?
郵便局
光了寺
光了寺
円光寺
円光寺
本願寺
本願寺
顕正寺
顕正寺
北へ向かう時は、ちょっと見逃しやすい位置に
紫陽花
北へ向かう時は、ちょっと見逃しやすい位置に
踏切横断
→第四日目|幸手−小山その2 へ


2005.07.24update


トップページ日光街道を歩く放浪日記>第四日目:幸手−小山