日光街道を歩く(日光道中) | |
#第3日目|春日部−幸手 平成17年(2005)3月19日(土)
2005年3月19日(土)日光街道第3日目:春日部−幸手 天気:快晴(風強し) | |
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■日光街道3日目スタート
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■粕壁宿を抜け国道4号をゆく 早々に街道に復帰。前回も通過した宿場をゆく。新しいカメラを購入してから、まだロクに撮影していないので、とりあえず普通に撮影しながらのんびりゆく。前回訪れた工事中の新町橋を横目に仮設橋を渡り、その先の信号を左折。車通りの少ない道の途中には、松や一里塚跡石碑など。付け根に道標の建てられているY字路を左折すると、国道4号に合流し、すぐに国道16号との交差点に。そこを横切り、そのまま国道4号沿いをゆく。 |
拡幅工事中の新町橋 |
信号を左折 |
松の植わる街道 |
一里塚跡 |
分岐点 |
道標 |
国道交差点 |
国道4号 |
国道を歩いていると、前方に大きな地球儀が。なんだこれはと近くの案内板を見てみたら、36度線モニュメントと呼ばれているもので、ちょうどここが北緯36度線が通過しているところだとのこと。同じ北緯36度の都市として、青島(中国)、グランドキャニオン、ジブラルタル海峡、地中海等々・・って、すごい世界規模だぞ>杉戸町 |
36度線モニュメント |
Y字路を左折 |
道標 |
Y字路を左折 |
■街道を彩る早春の花 トーン抑えめの冬も終わりを迎え、街道にも徐々に彩りが見られ始めました。埼玉県は、東京や神奈川より北に位置しているためか、すでに終わりを迎えかけている木蓮はつぼみで、梅も見頃は今少し時間が必要という感じだった。でも、これから春に向けてどんどん鮮やかな街道が見られると思うと、ウキウキしてきちゃうのだ。 |
■杉戸宿を歩く 裏道をゆくと、ほどなくして杉戸宿。もちろん訪問するのは初めて。印象としては、飛び抜けた資源はないけど、ほどよく歴史的な資源が残っている感じ。これまで辿ってきた草加、越谷、春日部等と似た雰囲気の宿場が続いている感じ。これは、平行して走っている東武鉄道の開発が影響しているのだろうか。 |
■大島有隣遺跡
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■吹きっさらしの中の道をゆく 大島有隣遺跡を見学後、再び国道をゆく。手持ちの資料を見ると、途中右手に一里塚跡があるようだが確認できず。左にうにょんと曲がる裏道があるので、国道を離れそちらに進む。以外に車通りがあると思っていたら、踏切手前に大型店舗。それを横目に踏切を横断。踏切を渡って、右手の公民館前に道路元標。と言っても、この元標は、元々日光御成街道沿いにあったもので、歩道工事の際に、こちらに移転させたらしい。 |
うにょんと曲がる道 |
踏切 |
道路元標 |
吹きっさらし |
■日光御成道との追分 吹きっさらしの畑の中の道から、家々が軒を連ね始めたところで信号のある交差点にぶつかる。交差点横の案内板で、ここが日光御成道との追分であることを知る。 |
■幸手宿をゆく 上の追分を右折。所々にお寺の見られる、交通量の多い道をゆくと志手橋。この辺りから幸手宿がはじまる。ここも、これまでの宿場町と同様に、大規模開発が行われているわけではなく、鄙びた印象を受けるが落ち着いた感じの街並みが続く。現在の幸手市は、「桜のまち」を謳っており、街灯にも桜のマークが見られる。 |
権現堂桜堤 幸手の中心部から北東部に続いている堤の上に、桜並木が続いています。それがため、桜の名所として大いに知られているようです。私は、はぐれ雲さんのサイトで初めて知ったのですが。桜満開の時、並木道を歩いたら気持ちよいだろうな〜という想像力を働かせながら、まだ堅いつぼみを付けた桜木の下を歩いてきました。 |
■おまけ
幸手宿内の一里塚近くの某商店の片隅に建てられていた石碑。これは「石敢當」と言って「いしがんとう」または「せきかんとう」と読みます。中国の強い武将の名前が元となり、それが魔よけとされ、中国から日本の沖縄に渡ってきました。道の辻や四つ角などに良く見られます。 |
→第四日目|幸手−小山 へ |
歩数計 | 26,963歩 |
カロリー | 1,361.1kcal |
距 離 | 18.87km |
時 間 | 8:32〜14:50 |
支 出 | 交通費|−円 飲食費|−円 その他|−円 |
2005.04.23update