#第13日目|妻籠−須原 平成18年(2006)5月4日(木) 天気:快晴
■早朝の妻籠宿を散策早朝の妻籠宿。食事の前に、宿内でも、もっとも美しい街並み景観を醸し出す寺下地区近隣を散策。 |
■妻籠宿をのんびりゆく 散策後、宿に戻ってから、しっかりと朝食を頂く。朝から食欲旺盛だ。清算後に宿の方と少々雑談。この時期は外国人観光客が多いらしく、昨夜の同宿していた5人組(ヨーロッパ?)は東京在住だとのこと。宿の方に別れを告げ、いざ出発(8:15)。 |
藤棚を後にすると、坂が始まる。その登り始めの民宿大亀石の先に高札場が復元されている。その先、口留番所跡碑、鯉岩などを右手に、左手に民宿・大吉等の民宿が並ぶよさげな街並みを抜けると、人通りは途絶え、ここからは緑の空間へ。 |
高札場跡 |
口留番所跡 |
右手に鯉岩 |
民宿・大吉 |
■宿場を抜けて 集落を抜け、緑の空間(山の中)に突入。今日は、昨日のような高低差が少ないだろうと勝手に想像していたら、大間違いだった。いきなり登り坂の洗礼を浴び、息が切れる。それでもなんとか登り切ったところ左に妻籠城跡。 |
徐々に山の中へ |
いきなり登り坂 |
妻籠城跡 |
アスファルト道路 |
■今昔木曾街道六十九次−妻籠− 広重は、何気ない日常風景が好きなようである。せっかくの素晴らしき街並みを有す妻籠宿内の風景ではなく、その宿場の北側に位置する妻籠城とその横を走る街道沿いを歩く人々を描いているのだ。もっとも、当時の妻籠宿は、中山道を構成する宿場の一つでしかなく、どこの宿場でも同じような街並みを見ることが出来たはずなので、現代の主観のみで見るのは間違っている。 |
■素晴らしい景色に出会う
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■現役の上久保の一里塚 上り下りをしながらしばらく緑の道を進むと、上久保(うわくぼ)の一里塚。南木曽町では唯一の現役一里塚で、町の史跡にも指定されている。 |
一里塚を過ぎた後、ちょっと道が入り組んでいるところを進み、かぶと観音堂に着いたところで小休止。ここは、木曽義仲の兜(かぶと)の八幡座の観音像を祀ったのが始まりという。すぐ近くに、巴御前ゆかりのふりそで松が植わっているなど、徐々に木曽義仲関連の史跡が見られるようになってきたぞ。 |
かぶと観音堂 |
ふりそで松 |
一端集落が跡切れるも |
SLがお出迎え |
■南木曾駅方面を望む
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■三留野宿をゆく 手持ち資料と見比べて、宿場に入ったことを確認。三留野(みどの)宿内は、本陣跡に石碑が建つのみで、その他これといった古い家屋などはほとんど見られない。周囲を山に囲まれたこの宿場は、往時は、どのくらい賑わいを見せていたのだろうか。各家の前には、かつての屋号だろうか・・・それぞれ表札の横に掲げている。 |
■今昔木曾街道六十九次−三留野− 三留野宿は、広重画である。宿場としての歴史は古く、東山道時代の宿駅が発端で、その昔木曽氏一系の館があり、それを御殿(みどの)といったことから、名付けられているという。さて、そんな古い歴史を持つ宿場だが、広重はなんてことない田園風景を描いている。特徴がないため、現在の風景との比較が難しく、結局これまたなんてことない風景を撮影してみた。 |
■ここから国道歩き 裏道から国道に合流する時・・旧道は国道の右から合流するのだが、国道沿いの歩道は、なんと左側!!川側なので景色は良いだろうが、信号もないこの合流地点は、横断するのに注意が必要である。とりあえず、車が来ない隙に猛ダッシュ。ここは交通量も多いから、横断する際は、ホント注意して下さい。 |
反対側に渡ります |
素晴らしき街道風景 |
交通量の多い国道 |
新緑がまぶしい |
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2006.9.18update