#第12日目|中津川−妻籠 平成18年(2006)5月3日(水) 天気:快晴
■恵那山に見守られながら馬籠宿をゆく西から来た旅人にとって、大井宿手前から、恵那山は常に身近にある存在でした。その最たる場所が、ここ馬籠宿なのである。宿場の途中(曲尺手状のところ)で振り返って眺める恵那山、家屋と家屋の間から垣間見る恵那山、宿場はずれの高台から眺める恵那山・・・どれもこれも素晴らしい! |
■街道は徐々に山の中へ 宿場を抜けても、登り坂は依然として続いている。しかし、馬籠宿でお腹を満たしたので、エネルギーは満タンだ。 |
個人宅前の街道 |
ここは右へ |
落ち着いた道 |
立派な建物 |
■馬籠峠手前の峠集落
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■馬籠峠 いい加減バテてきたころ、ようやく馬籠峠に到着である。と同時に、岐阜県から長野県へと突入することになる。これは、馬籠宿有する山口村が岐阜県の中津川市に越県合併したためである(かつては、落合宿と馬籠宿の間の「是より北 木曽路」の石碑があるところが県境であり、国境でもあった)。 |
■今昔木曾街道六十九次−馬籠− 英泉が描いた馬籠宿の絵は、馬籠宿と妻籠宿との間に位置する馬籠峠から南方面、すなわちこれまで歩いてきた京方面の風景を描いている。下の絵ではわかりづらいが、中央の菅笠をかぶった男性の奥に峠集落が描かれている。現在は、馬籠峠から峠集落は見えるはずもなく、当時でさえも見えたかどうか・・。そんなわけで、今回の対比写真は、南方向への写真撮影をし損ねてしまったので、北側の妻籠宿方面を撮影した写真を掲載している。といっても、こちら側も視界に入るのは、森林のみである。 |
■峠道を下る
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■一石栃口留番所跡と桜 馬籠峠から15分ほど下った頃、1軒の古そうな家屋と、見事な満開の桜の木が見えてきた。この家屋は、旧牧野家住宅であり、かつてここに立場茶屋などがあった頃に7軒ほどあった家屋の名残のようである。牧野家の奥には、もう一つの遺構・一石栃番所跡が見られる。木曽五木などの木材の監視・統制などを行っていたようである。 |
一石栃番所跡・立場茶屋跡 |
■峠道をゆく 引き続き峠道を下る。今日は、ここまで登り道が多かっただけに、下りは気分的に楽なのだ。途中、アスファルト道路を横断し(信号がないので、横断する際は要注意!)、そのまま峠道を進む。 |
峠道を下る |
道路を横断 |
橋を渡る |
道路を歩く |
■男滝・女滝
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■妻籠宿までラストスパート 男滝・女滝で、マイナスイオンを浴びながらのんびり休憩をしたので、再び気力も充実。いよいよ近づいてきた本日の終着点・妻籠宿までもうひとふんばりすべく歩き始める。 |
集落を抜ける |
のんびりと |
石畳 |
現代の旅籠 |
■大妻籠 車の往来する道から一本はずれた裏道(ただし、山道ではなくアスファルト道路)に入ると、落ち着いた集落が続いている。大妻籠集落である。正確には、この大妻籠集落の前の道は、古中山道であり、江戸時代初期のルートなのである。が、この大妻籠集落を見ずにはいられません。 |
「大妻籠」と大きく書かれた看板が見えたら、左の交通量の少ない道へ。引き続き雰囲気の良い家屋が続く集落の中の道をゆく。集落が跡切れ、緑に囲まれた人しか歩けない道をゆく。途中、八重桜に似ている花を横目に(なんの花でしょう?)、よさげな道を進むと、徐々に賑やかな雰囲気が伝わってくる。駐車場の横を過ぎ、車通りのある道を横断し、川沿いの道をゆくと、いよいよ妻籠宿である。 |
大妻籠の看板(ここは左折) |
緑の道 |
なんの花? |
よさげな道 |
■妻籠宿 妻籠宿は、全国に名を馳せた観光地だけあって、夕刻にも関わらず多くの観光客で賑わっていた。皆、思い思いに散歩をしたり、カメラで街並みを撮影したり、お店を覗いたりしている。しかし、大半は日が沈み始めていることもあって、帰宅の途につこうとしている人が多かった。そんな人達を横目に、我々は本日の宿に入る前に、少しだけ宿場内を散策することに。 |
藁馬がお出迎え |
宿場風景 |
宿場風景 |
■第1日目終了
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→第十三日目|妻籠−須原 へ |
歩数計 | 26,280歩 |
カロリー | 1,217.0kcal |
距 離 | 18.39km |
時 間 | 9:27〜17:00 |
支 出 | 交通費|−−円 飲食費|−−円 その他|−−円 |
2006.8.23update