#第12日目|中津川−妻籠 平成18年(2006)5月3日(水) 天気:快晴


中山道行程図〜第十二日目|中津川−妻籠


■半年ぶりの中山道放浪
冠雪した富士山に見送られて
【冠雪した富士山】
 早朝、新横浜駅。ゴールデンウィーク初日であり、且つ天候に恵まれたこともあったためか、ホームは行楽地へ向かう観光客で、朝からごった返していた。私は、この日が晴れることを信じて、20日ほど前に既に乗車券を購入していたので難なく座れたのだ。(・・それにしても晴れて良かった)

 今日から3日間、実に半年ぶりとなる、中山道を歩くのである。今回は、友人Nが同行してくれるので、いつもとは違った歩きが出来そうで楽しみだ。

 5月にもかかわらず綺麗に冠雪した富士山に見送られながら、旅人一行を乗せた新幹線は一路西へ向かう。

■中津川駅からスタート!
 名古屋駅で在来線に乗り換えたのち、前回の終着点・中津川駅に到着。トイレに立ち寄り、万歩計をリセットしていざ出発!(9:27)
 きれいに色づく花水木を見つつ、まずは旧道に復帰。見るからに旧道らしい道幅が東西に続いている。今回は、このまま東に向かうのだが、前回駆け足気味に中津川の宿場を通過してしまったので、この宿場には再度来なければ・・と、あらためて心に誓う。
 旧道を進むとZ状の坂(寺坂)があらわれる。その上り口に高札場跡(高札が復元されてます)
半年ぶりの中津川駅
中津川駅
綺麗
花水木
細い道が旧道風情を醸し出してます
旧道
ここから登り坂
高札場跡

 そのまま登り坂を進み、大通りをまたいで反対側に。カキツバタ(かな?)を横目に、少しだけ石畳の道をゆく。雰囲気が出てくるぜぃ!その他芭蕉句碑などを見つつ、右に左にジグザグに登り坂が続く。登り切ったところ右手に旭ヶ丘公園。今は、まだ歩き始めだから元気だが、この登りが歩きの終盤に来ていたら応えるなぁ・・。

 ここから道は、平坦になる。落ち着いた集落の中を続く道をゆくと、左手に尾州白木改番所跡石碑。木曽の五木を無断で外に持ち出さないように取り締まっていたところで、こういった番所は、これまでも、そしてこの先も何度か見かけることになる。
 街道の現在は、そんな当時の面影はなく、芝桜や八重桜をはじめとした色とりどりの花々や、新緑まぶしい柔らかい風景が拡がっている。
 道は、国道19号にぶつかるので、案内に従ってトンネルを使って反対側に。そのまま道なりに行くと、右手に常夜灯が見えてくる。
街道風景
街道風景
石畳
石畳
芭蕉句碑
芭蕉句碑
東屋があります
旭ヶ丘公園
この石碑は統一
尾州白木改番所跡石碑
ちょうど見頃
芝桜
国道19号に街道は分断されてます
トンネルをくぐる
地蔵堂手前
常夜灯


■石仏群と枝垂れ桜
 街道から離れて、常夜灯横をすり抜けると地蔵堂があり、その奥に大小様々な石仏群が見られる。そして、その石仏群や地蔵堂などを上から包み込むように巨大な枝垂れ桜が植わっている。この枝垂れ桜、新緑の姿も迫力があったが、是非桜の花咲く時期に訪問してみたいと強く思った。ちょっと小さめの写真なのでわかりづらいですが、街道まで枝がはみ出している迫力は、一見の価値あり!
石仏群 見事な枝垂れ桜

■登って下って登って・・
 石仏群と枝垂れ桜を後にすると、いったん下って再び登り坂となる。その途中、左手にお城のような建物が見える。つい先日、未成年による痛ましい事件が起きたところだ。二度とこのような事件が起きないことを祈りつつ・・・。
 道は、再び下り坂に。気持ちよい道を下っていると、右手に子野一里塚跡の石碑が建っている。それを横目に、道は下りから一転して登り坂に。しかも、ただの登り坂じゃなく、半端じゃない角度を有しているぞー!(写真じゃわかりづらいですが、この坂道は応えます・・)ゼーゼー息を切らせつつ、早くもバテ気味。
痛ましい事件が・・・
事件が起きた場所
道は下り坂
気持ちよい道
碑があるのみ
子野一里塚跡
すごい角度でした
急な登り坂


■新緑と与坂立場跡
 歯を食いしばって坂道を上りきると、左手に与板立場跡の石碑と、その奥になかなか立派な家屋がある。ここでちょっと一休み。繰り返しますが、西から来る人は、ここまでの坂道要注意です。結構な角度ですぞ。
 ちなみに、与板立場跡手前に植わる木々の新緑に癒されました。新緑まぶしい景色に出会えるのは、この時期の特権ですなっ!!
新緑がまぶしい 与坂立場跡

■気持ちよい空間に遭遇っ
 喉を潤しながら、しばし休憩できたので、再び出発!
 しばらく平坦な道を進むと、ようやく下り坂となる。と同時に、周辺の視界が開けてくる。右手には、恵那山の雄大な姿が、そして前方から右手にかけて、新緑と常緑が入り交じる山々が連なり、その麓にはこれから訪問する落合宿・・・うわーすごい気持ちよい空間!!気分は一気にハイテンション!
 それにしても天気に恵まれて良かったね〜と友人Nと話しつつも、旧道はドンドン下る。
気持ちよい道 右手に恵那山
右手前方に落合の宿場が&馬籠宿方面


■街道に彩りを添える風景
 下り道の途中から、かつての旧道が失われてしまっている。というわけで、現代の道をそのまま下ると、国道にぶつかる。

 ここまで、様々な花々に出会ってきたが、ここから落合宿に至るまでの間でも、街道に彩りを添える花々に出会うことが出来た。国道にぶつかった地点付近では藤の花落合五郎兼行の城跡では八重桜(+恵那山)、落合宿手前では赤色鮮やかなツツジ・・等々。こうした自然風景に出会えるのも、街道歩きの魅力の一つなのだ。

 そうこうしているうちに、いよいよ落合宿だ。
藤の花 恵那山と八重桜
八重桜と ツツジの花が綺麗


■落合宿をゆく
 落合宿は、鉄道駅、国道から逸れたところに位置しており、大規模開発の波の影響は少なかったようだ。それがためか、車の往来も少なく、人通りも少なかった。が、それが功を奏して、とても落ち着いた街並みを堪能することが出来た。

 落合宿を訪問する前、何度も街道の本を見ていた時に、宿場内に植わる松の木を見たいと思っていたが、その風景を現実に目の前にした時、心の奥底から沸々と何かが湧いてくる感じがして、感慨深く思えた。また、時刻的に逆光になってしまったが、真っ正面に恵那山を望むことが出来て、この風景を毎日見ることが出来る地元の人を羨ましく感じたのだった。
落合宿から恵那山を望む 松と恵那山/落合宿街並み
落合宿本陣跡
現在は使用不可
井戸
松並木手前のクリーニング屋を横目に左折
松が植わる落合宿街並み
落ち着いてます
落合宿街並み
ここが江戸側入口
宿入口に見られる常夜灯

■落合宿を抜けると自然風景が
 常夜灯を左手に見るところで落合宿を抜けて次の宿場を目指す。車通りのある道を横断し反対側に。右手に高札場跡の石碑を見つつ、なかなかよさげな集落の中をゆく。この集落を抜けると、今度は周りを自然に囲まれた道をしばらく歩くことになる。道ばたに咲くタンポポやその蜜を吸いにやってきた紋白蝶、左手に落合川、右手に道標などを見つつ、落合川にかかる下桁橋の上から滝を望んでみる。水がきれいだなぁ〜。
石碑のみ
高札場跡
春らしい風景
タンポポと紋白蝶
ここは左折
道標
下桁橋から望む
落合川


■今昔木曾街道六十九次−落合−
 広重が描いた落合宿の絵は、木曽路を越えていよいよ美濃路最初の宿場へ入るような風景を、手前に落合川&下桁橋、後方に恵那山を取り入れて描いているが、現在は高低差の関係(又は絵を描いた構図の関係)で、同じ風景を写真に収めることが出来る箇所はない。よって、落合川と恵那山はあきらめ、西から落合宿方面を望んだ写真を撮影してみた。
 平成の大合併により、落合宿の隣宿・馬籠宿が岐阜県、すなわち往時の美濃国に編入されたわけだが、やはり馬籠は木曽路の宿場として位置づけるのが自然だと思うので、この落合宿が美濃路最後の宿場町となる。
木曾街道六十九次 落合 広重作

■登り坂をゆく
 落合川を渡ると、登り坂が続く。今日は、この後十曲峠、馬籠峠が控えているわけだが、果たして最後まで足がもつのか心配になりつつも、高台から望む気持ちよい風景菜の花+八重桜の春の風景などを堪能しつつ、一歩ずつ着実に歩みを進めていく。
 境内に見事な枝垂れ桜が植わっている医王寺。俗称は山中薬師と呼び、三薬師の一つだそう(残り二つは三河鳳来寺、御嵩願興寺)。なかなか立派なお寺だったが、気持ちはその先に待っているものに。医王寺から約150m、その待っているもの、すなわち待望の石畳が見えてきた。
気持ちよいのだ
眺め良し
菜の花と八重桜
春の風景
見事な枝垂れ桜も
医王寺
ついに石畳
石畳

■落合の石畳
 久しぶりの石畳との遭遇である。琵琶峠の石畳以来・・かな。
 ここの落合(十曲峠)の石畳は、約900m続いている。と言っても、大半が復元されたものであるが、一部十数m又は数十m往時のものが残されている箇所もある。なんにせよ、緑に囲まれた中、石畳の上を歩くのはとても気持ちよい!手持ち資料には「歩き難い」と書かれているが、そんなことはなく、とても快適な空間だった。ただし、西から来る人は、十曲峠を目指すため、ひたすら登り坂だ。
 ちなみに、おそらくどの資料にも、石畳の長さは約800mとか約840mなどと書かれていると思うが、平成17年10月に、さらに延長されて新しい箇所が復元されていたので、間違いなく900m以上石畳が続いていると思われる。
続く石畳 まだまだ登り坂の石畳
残っていた石畳もあったっ−案内板


■これより木曽路
 石畳をぬけると、左右にこんもりとした新茶屋一里塚がある。右側の一里塚の隣には、「是より北 木曽路」と書かれた石碑が建てられているが、ここで柏原宿と今須宿の間にある寝物語の里から続いてきた「美濃路」に別れを告げ、いよいよ中山道の真骨頂といえる「木曽路」に突入するのだ。この石碑の文字は、この先の馬籠出身の作家・島崎藤村の筆によるもので、完成は昭和32年(1957)である。が、碑が完成した時、すでに藤村はこの世の人ではなかった。
 なお、一里塚の名前からわかるとおり、ここはかつて立場茶屋があったところで、現在は、よさげな民宿が数軒並んでいる。
一里塚跡 是より北木曽路石碑
木曽・美濃国境

■西から東へ続く道は、基本的に登り坂
 今日は、実に半年ぶりの街道歩き、そして道中見どころが多々あることもあって、朝からテンション高めだが、先ほど木曽路に入ってからさらにヒートアップ。よさげな田園風景や家屋、彩りが美しい芝桜などを見つつも、目前に迫ってきた馬籠宿が脳裏をチラホラとかすめ始める。ちなみに、よさげな家屋前の池でカエルを発見し、友人Nと共に、しばし観察タイム。
 緩やかだが、ひたすら続く登り坂にいい加減バテてきた頃、ようやく平坦な道になり心にゆとりが生じてくる。よさげな家屋が連なる街並み、木々がうっそうと生い茂る諏訪神社などを堪能していると、道は下り坂に。が、今は何も残っていない馬籠城跡を過ぎてから、再び登り坂に転じる。その途中、右手に恵那山が現れて、またもや見入ってしまった。恵那山、かっこいいー!
 と、なにやら前方が騒がしくなってきた。どうやら馬籠宿に到着したようだ。
だらだらと登り坂が続くので癒されます
振り返って
気持ちよいっ
田園風景も
良い家屋
よさげな家屋も
芝桜は綺麗ですな
芝桜
馬籠宿手前も良い感じ
よさげな街並み
鳥居の先に厳格な雰囲気が
諏訪神社
今は何も無し
馬籠城跡
雄大な恵那山が目の前にっ
恵那山と田圃


■馬籠宿をゆく
 ここまでの情緒溢れる街道から一変して、馬籠宿は、一般的な観光地と化していた。「なんだこの人だかりは」、と思わず口に出して叫んでしまったほどだ。
 人工的な石畳が続く斜面に位置する馬籠宿は、こういう風景を見慣れていない人々にとってみれば、とても魅力的に映るのだろうが、街道沿いには、もっと隠れた良質な景観を有した街並みがゴロゴロ転がっているのだ。しかし、馬籠宿に一歩足を踏み入れれば、私もそうした観光客の一人。友人Nに言われ、ハッと我に返り、心新たに宿場内を散策することに。
 馬籠宿は、前述の通り島崎藤村の出身地であり、藤村の代表作「夜明け前」の舞台になったところだ。それがため、それに関連する施設などが点在しているのだが、今回はあえて立ち寄らなかった。その分、夜明け前の主人公・青山半蔵(藤村の父・正樹がモデル)や藤村が見たと思われる、宿場内から見える恵那山の素晴らしさに酔いしれた。まさに「絵になる」風景だ!
宿場西側の入口 左の階段が旧道 水車
馬籠宿西口から入るとこの木が迎えてくれます 馬籠宿と恵那山
馬籠宿は傾斜地に位置してます
馬籠宿の街並み 藤村記念館(島崎藤村生家跡)
脇本陣資料館

 時刻はお昼過ぎ。宿場内を適当にぶらついた後、適当なお店に入り、馬籠名物のお蕎麦と五平餅を頂く。くるみやゴマをすりこんだみそだれが香ばしい五平餅が美味しかったぁ〜。お店を出た後、先ほどぶらついている途中ですれ違った人が食べていたおやきが気になり、昼食をとったばかりなのに再び購入。私は、定番の野沢菜。友人Nはかぼちゃ。普通のおやきと違い、パン生地を用いたおやきだったが、これもまた良し!
 お腹もふくれたので、再び宿場内を散策することに。
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2006.6.17update


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