#第10日目|細久手−恵那 平成17年(2005)5月16日(月) 天気:快晴


中山道行程図〜第十日目|細久手−恵那


■大湫宿をゆくその2
 神明神社を後にして、再び大湫宿をゆく。宿場の長さは約350mでこぢんまりとしているが、その中にギュッと資源が凝縮されている。脇本陣跡問屋場跡本陣跡(現・小学校)などを見つつ、平日午前中であるためか、人っ子一人いない街道を独り占めして、のんびり歩みを進める。

 あまりに贅沢な時間と空間に出会えたことに感謝。
脇本陣 問屋場跡 よさげな家屋 白山神社
無料休憩所「おもだか屋」 大湫宿の街並み 大湫宿の街並み 白山神社
皇女・和宮様歌碑 大湫宿の街並み 大湫宿の街並み お休み所〜月曜日のこの日はお休み
本陣跡である小学校 大湫公民館 よさげな家屋 大湫宿の街並み


■宿場を後に、いよいよ十三峠をゆく
 宿場のはずれの高台にある宗昌寺から宿場を一望した後、次の宿場を目指す。いよいよ十三峠。坂の始まる路傍に石碑が建てられている。ここからかなりのアップダウンが予想され、気を引き締めて登り始める。
 右手に大湫宿の裏手に拡がっている田園風景を横目に、少し登ったらゆるやかな下り坂。その途中にお茶畑も見られる。
良い感じ
宗昌寺から宿場を望む
さあいよいよ十三峠だ
いよいよ十三峠
田園風景が素晴らしい
大湫宿裏の田園を望みます
お茶畑も
お茶畑


■峠道をひたすら・・下る?
 山之神坂しゃれこ坂などの坂の途中に石碑が見られるが、道はグングン下っている。「うぇーあんまり下らないでくれー」と嘆くも、道は無情に下っていく。土の道からアスファルトの道へと変わり、さらにアスファルトの道を横断してから、ようやく登り坂が始まる。途中、右手に尻冷しの地蔵尊、その先左手に三十三観音阿波尾の茶屋跡石碑などを見つつ進んでいると、ゴルフ場が見えてきた。旧道は、このゴルフ場の間を続いているのだ。
 びあいと坂を登っている途中で、コース外に飛び出したボールを探しに来たキャディーとバッタリ遭遇。なんか気まずい雰囲気・・why?
 ある程度登ったところで再び下り坂。木立の生い茂る旧道を下っていると、左手に巡礼水。毎年8月1日には水が流れるそうだが・・ホントかな?(実際にはやはり涸れてしまっているそう)。その先、せっかくゴルフ場を突っ切っているので1枚グリーンを撮影
そんなに下らないでー
山之神坂
すごい坂の名前
しゃれこ坂碑
普通のお地蔵様ですが
尻冷しの地蔵尊
厳格な雰囲気
三十三観音
立派な石碑はあるが茶屋はなし
阿波尾の茶屋跡
何故このような坂の名前に?
びあいと坂
8月1日には水が流れるとか・・ほんま?
巡礼水
ゴルフ場の間をゆきます
ゴルフ場


■権現山一里塚
 杉の木立が一瞬跡切れた空間に権現山一里塚。鴨ノ巣、奥之田、八瀬沢と立て続けに現存一里塚と遭遇しており、この権現山一里塚で4箇所連続となる。多少崩れ気味ではあるが、それでも現存している一里塚に出会えるのは嬉しいものだ。と言いつつ、ちょっと食傷気味になりつつある、わがままな人間です。

両塚現存



■途中開けた空間を通過しつつ
 権現山一里塚を後にすると、石畳が始まる。この石畳、樫木(かしのき)坂と名付けられているが、日本橋に向かう人はほとんど下り坂なので楽ちんだ。途中、山あいの一角に見られる美しい棚田に心癒されつつ、砂利道の吾郎坂を下ると、再び周囲が開けてきて、前方に集落が見えてきた
おそらく復元したものだと
石畳をゆく
良い感じ
右手に棚田を見つつ
smapを思い出します
吾郎坂
前方には恵那山がひょっこりと
よさげな道


■大湫以来の(小さな)集落を抜ける
 大湫宿以来、久しぶりに集落に出会った。ツツジに迎えられて集落内へ足を踏み入れる。と言っても、数軒の家屋が軒を連ねる小さな集落で、炭焼立場の案内板を見つつ、あっという間に集落を抜け鞍骨坂を下る。その後、さらに権現坂を下ると左にカーブしている左手に大久後観音堂を見つつ、大久後集落へ。
 大久後集落は、高台に位置しているので、なかなか眺めが良い。きれいな棚田を右手に見つつ、分かれ道があるので左の登り坂へ(右は下り坂)。そのまま進み、灰くべ餅の出茶屋跡碑を見つつ、先を目指す。しかし、茶屋は「跡」ばっかりだなぁ〜。
きれいに咲いていました
ツツジ
今は家屋があるのみ
炭焼立場
下り坂
鞍骨坂
さらに下り坂
権現坂
坂を下りきったところで大久後観音堂
大久後観音堂
遠くまで見渡せます
なかなか良い眺め
ここは左の登り坂へ
分かれ道は左へ
もちろん茶屋などすでに無し
灰くべ餅の出茶屋跡


■妙に目立つ「禁煙」の文字
宿泊した大黒屋
【「禁煙」と書かれた案内板】
 山あいの道を進むと分岐点にさしかかる。案内がないが、ここはなんとなく右へ。

 ちなみに、さっきから「禁煙」と書かれた看板が目立つ。山の中なので、タバコのポイ捨てでもやられた日にゃ、あっという間に山火事になってしまう。街道歩きをする人に、そんなマナーを知らない人はいないと思うが、街道歩きする人に限らず、それだけタバコを吸っている方がいることの証明だ。


■登って下って、そしてまた登って
 大久後の向茶屋跡碑などを見つつ、アスファルトの道に合流。そのまま道を下ると、立派な中山道石碑が現れた。写真では、大きさが判明しづらいが、かなり巨大な石碑である。その石碑を左手に、そのすぐ先を右折して、再び登り坂が始まる。
 山あいの中に、ばばさんがやっていたというばばが茶屋跡石碑を見つつ、またまた道を下っていくと、久しぶりに開けた空間に。その手前で、ちんちん石という石があるというので注意して周りを見ていたが、結局見逃してしまったようだ。
 さて、この開けた空間は、田尻集落。気持ちの良い道を進み、深萱立場案内板などを見つつ、これまた久しぶりの車の往来する道に合流。そこには藤村高札場。しかし、すぐに旧道は裏道へ。その途中、三社燈籠を見つつ、道は再び登り坂に。家屋が跡切れたところから、石畳が始まる。
今は碑が案内杭があるのみ
大久後の向茶屋跡
すげーでかかった
立派な中山道石碑
今は石碑が残るのみ
ばばが茶屋跡
広々とした空間に
山あいの広々とした空間
広々とした空間の途中に深萱立場跡
深萱立場
藤村高札場跡
藤村高札場
再び登り坂が始まります
三社燈籠
まずは石畳をゆきます
石畳をゆく

■紅坂一里塚
 息を切らしながら石畳の登り坂を終え、山あいの気持ちよい道を進んでいると、再び現存の一里塚の紅坂一里塚。(なんか、段々と一里塚の扱いが小さくなってきているように感じられるかもしれませんが気のせいです)
 木陰でちょっと小休止。水をグビグビ飲んで、ようやく一息ついた。すると、鈍っていた五感がようやく働き始めたのか、セミがジージーと鳴くのがどこからともなく聞こえてきた。「5月にセミは早いなぁ・・・。」なんてことを思いつつ、手持ち資料を見ていたら、「あれ?ぼたん岩、見逃してる!?」途中、ぼたんの花のような岩があったのだが見逃したっ・・・。ちんちん石に続いてまたかよぉー・・・失意のまま、再び歩き始める・・。
京から日本橋に向かって左側 京から日本橋に向かって右側


■四ツ谷集落で休憩
 しかし、一里塚のすぐ先に拡がっていた棚田を目にして心が癒された。昔は、毎日のように田園風景を見ていたのに、ここ最近は見る機会がなく、それがため田園風景の素晴らしさをあらためて認識した。
 前方に恵那山を見つつ、道を下ると四ツ谷集落へ。その集落の中程に四ツ谷休憩所があり、トイレやベンチがあったので、ここでお昼をとることに。鳥が啼き、風が吹き木の葉が揺れてカサカサとなる自然の音風景のもとでお昼なんて最高の贅沢だ。さっそく大黒屋旅館でもらったお弁当を頂く。おにぎりをパクッとほおばる・・・うまーーーい!

 ここでたっぷり50分も休憩して、元気満タンで再出発!
限られたスペースで水田が拡がっています
山あいの田園風景
いよいよ四谷集落
前方に恵那山を見つつ
トイレもお借りしました
四ツ谷休憩所
大黒屋旅館で作ってもらいました
お弁当


■再び峠を越えます
 四ツ谷集落をとっとこ下り、集落を抜けてみだれ橋を渡る。大名行列も乱れたからというこのネーミング・・そのまんまだけど当時は相当なものだったのだろう。現在は特段驚くことはない。ここから再び登り坂が始まる。
 しばらく傾斜角はたいしたことないが、ダラダラと登り坂が続く。途中街道脇の石碑首なし地蔵姫御殿跡などを見つつ、土や草の自然のにほいがする街道をゆく。道が平坦になると、途中に槙ヶ根追分。ここから下街道がわかれてゆく。また、追分の先には立場跡の案内板が建てられている。
 立場を後に先に進むと、長かった土と砂利の道を終えてアスファルトの道に合流。そのまま、時々工事車両が往来する程度のアスファルトの道を進み、よく見かける青い案内板を目印に、右折する(右下写真赤矢印)
再び峠道がはじまります
みだれ橋
こんな道が続きます
石碑の建つ街道
すごい言いがかりだ
首なし地蔵
今は何も残っていません
姫御殿跡
下街道に続きます
槙ヶ根追分
立場跡なので、何も残っていません
槙ヶ根立場跡
ここでアスファルト道に合流
アスファルト道へ合流
赤い矢印の方向へ
赤い矢印の方向へ

■西行の森
 アスファルトから砂利道へと変わり、木立の中の道を進むと、西行の森という開けた空間に遭遇。桜百選の園と書かれた巨大な石碑もあり、桜の咲く時期は、さぞかし壮観だろうなぁ。まだ白い雪をかぶった中央アルプスの山々や恵那山などが一望できる気持ちの良い空間だ。
中央アルプスの山並みを望みます 恵那山も見えます
春の桜の咲く時期は、もっと壮観だろうなぁ こんなところでごろんと寝っ転がってのんびりしたい

■槙ヶ根一里塚
 西行の森からほどなく近いところ、街道の両脇にこんもりとした小山が。槙ヶ根一里塚だ。両塚現存しており、特に日本橋に向かって左側の塚の大きさに目をみはる。しかし、今回の放浪の最初の頃に味わった感動はなく、それどころか少々食傷気味だったりして、慣れとは恐ろしいものだと痛感した。
 なお、この一里塚手前には、休憩所とトイレが整備されているので、休憩するには良いかも。
京から日本橋に向かって左側 京から日本橋に向かって右側


■西行塚にて
高さ1.5mの五輪塔
【西行塚】
 一里塚を後にして、道は下り坂に。石畳に変わった道をひたすら下ると、右手にトイレ、駐車場があり、左手に西行塚と書かれた案内板。西行の名は、先ほどから見聞きしているので立ち寄ることに。
 伝説によると、西行は晩年ここに立ち寄って亡くなり、村人は西行のために五輪塔を建てたと言われ、岐阜県指定史跡となっている。五輪塔のグルッと廻って奥に進むと、見晴台があり、西行の森からも見えた中央アルプスや恵那山、そしてこれから訪れる恵那市街地などが見渡せて、気持ちよい。しかも、ここで割引券をゲット!(箱の中にパンフレットなどと一緒に入っていました)

結合技術がなくてすみません。西行塚からの眺めです



■ようやく峠を越える
 再び街道に復帰し、石畳の道を下る。その後、石畳の道が跡切れ、高速道路の高架下をくぐった時、ようやく長かった峠越えが終わったことを実感した。日本橋方面から来る人は、逆にここが峠の始まりである。
 恵那山を正面に見つつ、気持ちよい道を進み、JR中央本線の踏切を渡って大通りに合流。おー久しぶりに車の往来が。途中、西行が汲んで硯で墨をすったと言われている西行硯水を見に行くが、今は水が湧いているようには見えなかった。なお、現在は公園となっている。
ここへ来てようやく峠越えが終了したことを確信
高速道路の下をくぐる
気持ちの良い空間だ
恵那山を正面に
良い構図
踏切の向こうに恵那山
時の流れを感じます
西行硯水


■3日間の放浪終了
 車の往来の多い道をゆく。五叉路を越えた後、手持ち資料と道路の状態が変わっていて、道を間違える。なんとか復帰し、長島橋を渡った正面に中野観音堂。そのまま中野観音堂を右手に見つつ、左の道を進む。幕末には裁判沙汰の事件が起きた、立派な家屋・中野村庄屋の家などの歴史を感じさせてくれる建物が点在する商店街を進み、右手に和菓子屋さんがある交差点で街道を離れ、左折して駅へ向かう。
 ほどなくして駅に到着。これで今回の旅路も終了。雨に降られたりしたけど、かなり充実した街道歩きが出来て大満足の3日間でした。さて、いよいよ中山道でも一・二を争うほど有名スポットも近づいて来た。次はいつ来れるか未定だが、早く続きを歩きたいなぁ。(つづく)
おさまりが良かった
中野観音堂
色々事件が起こったところ
中野村庄屋の家
この先の十字路を左折すると恵那駅。旧道は直進です
右手に和菓子屋
3日間よく歩きましたーお疲れ!
旅路の終着点・恵那駅
→第十一日目|恵那−中津川 へ


歩数計 26,938歩
カロリー 1,407.7kcal
距 離 18.85km
時 間 7:57〜14:35
支 出 交通費|−−円
飲食費|−−円
その他|−−円

2005.6.26update


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