#第10日目|細久手−恵那 平成17年(2005)5月16日(月) 天気:快晴


中山道行程図〜第十日目|細久手−恵那


■大黒屋旅館で快適な目覚め
宿泊した大黒屋。お世話になりました
【宿泊した大黒屋旅館(左奥の卯だつの上がる建物)】
 6:30起床。快適な目覚めだ。昨夜と同様、1階で同宿のSさんと朝食。朝からボリューム満点で美味しく頂いた。朝食担当は、大女将だそう。この日の朝刊で、例の拳銃強奪事件の犯人がブラジル人であること、そして拳銃が奈良で発見されたことを知り、ちょっとホッと安心。

 お勘定をすませて外に出ると、雲一つ無い見事な快晴。玄関前で記念撮影後、大女将とSさんとしばらく談笑。いつまでも話は尽きなかったが、Sさんは御嵩まで、私は恵那まで峠道が続くので、そろそろ出発。大女将に見送られながら東西へ旅立つ(7:57)。

■大黒屋を後に、細久手宿をゆく
 大黒屋旅館前の公民館を横目に、いきなり登り坂をゆく。しかし、歩き始めなのでぐいぐい登る。途中、左手に庚申堂へ続く道を見つつ(寄りませんでした)、前方に工場が。本来の旧道は、この工場敷地内に続いていたが、現在は通過不可能。なので、迂回することに。しかし、こんな山中の昔の公道が、どうしてこんなことになってしまうのだろう。不思議だ。
宿場の雰囲気に合わせた外観の公民館
公民館
細久手宿は、傾斜地なのだ
宿場内の登り坂
すみません。お参りしませんでした・・
庚申堂
工場が出来たため迂回します
道なりに(本来は真っ直ぐ)


■今昔木曾街道六十九次−細久手−
 広重が描いた細久手宿の絵は、宿場の東側入口から宿場を見下ろすような構図となっている。現在も傾斜のある道が続いているが、その入口部にあたるところは、工場が建てられているため同じ所から立って眺めることは不可能である。とりあえず、工場を迂回する道の途中から宿場方面を望んだ構図で対応することにした。
木曾街道六十九次 細久手 広重作


■奥之田一里塚
 細久手宿を抜けると、家屋は視界から消え、森の中の道をゆく。天候や時間帯によっては、ちょっと怖い道に変身するかもしれないが、木々の間からこぼれ落ちる日差しがキラキラしていて、とても快適だ。
 快適に歩いている途中、前方にこんもりした山が見えてきた。奥之田一里塚だ。この一里塚も、両塚現存しているものだ。昨日見かけた鴨之巣一里塚も含めて、この先も現存している一里塚が続くので楽しみだー。

 ちなみに、下の写真は、個人的に構図がお気に入りでっす。

森の中にどーんと



■心地よい空間・弁天池で小休憩
 奥之田一里塚を後にして、女男松跡の白い案内碑を横目に、街道を進むと、左手に池が見えてきた。弁天池だ。こんな標高の高いところに池があるのが驚き。まだ歩き始めて10分くらいだけど、あまりに気持ちよい空間に、早々にくつろいでいくことに。
 ベンチに座ると、池の反対側の棚田でカエルの大合唱、池でときおりポチャンと魚の跳ねた音、鳥のさえずりや虫の羽音など、自然の音を満喫。これが中山道の醍醐味なんだなぁ。

 10分ほどゆっくりして、再び腰を上げて出発。
アヤメの花 弁天池〜のんびりくつろぐ


■間違いやすい分岐点
間違いやすいので注意(右の白い矢印の方向へ)
【ここは白い矢印の方向(右)へ】
 弁天池を後にすると、再び登り坂。登り切ったところで、道は二手に分かれる。左の道に見える木製の案内板(写真の上にマウスを載せて下さい)を見ると、左が旧道のように見えるが、これは間違い。中山道は、ここを右(白い矢印の方向)だ。

 ちなみに、右の道へゆき、10mほど進むと、上記の木製の案内板が建てられている。

■登って下って
 焼坂の馬頭観音を横目に、気持ちよい道を下っていると、バス停の横に天神辻の地蔵尊、その先には一つ屋茶屋跡などを左手に見つつ、視界が開けたところに国際犬訓練所。調教師(?)の方が訓練している光景を目撃。本当は、接近して撮影したかったのだが、訓練の邪魔になると思い、街道とセットで訓練所を撮影。ちなみに、道の反対側には「Fairy Wood」という関連施設があり、しつけ教室などが行われているようだ。
 訓練所を後に、養鶏場を左手に見つつ北野坂を下ると、見事な田園風景を形成している八瀬沢集落が拡がっていた。なんで、この中山道沿いの田園風景は、こんなにも旅人の心をくすぐるのだろう。
 しかし、小さな集落。そんな田園風景とアスファルト道路に別れを告げて、旧道は案内板に従って草の道へ。琵琶峠の登り口である。それを示すように、右側に「琵琶峠西入口の碑」が建てられている。
街道であることを再認識させてくれます
焼坂の馬頭観音
緑に囲まれてます
気持ちよい道
バス停横に
天神辻の地蔵尊
もちろん今は茶屋はなし
一つ屋茶屋跡
訓練風景見ちゃいました
国際犬訓練所
下り坂
北野坂
よさげな田園風景
八瀬沢集落の田園風景
ここから峠道が始まります
琵琶峠入口

■琵琶峠目指して−草道から石畳へ−
 草道をゆく。集落から離れると、周りを木々に覆われた自然で満ち溢れた草道が続き、大変心地よい。ただし、登り坂。そのまま草の道を進むと、途中から石畳の道へと変わる。この石畳、約600m続いているのだが(これは日本一の長さだそう!!)、驚いたことに発見されたのは昭和45年(1970)らしい。つい最近じゃないですかっ!そんな石畳を一歩一歩ありがたく踏みしめながら登っていく。
この草道も気持ちよいー!登り坂だけど・・ 昭和45年(1970)に発見された全長600mの石畳

■こんもり茂る八瀬沢一里塚
 途中、県道によって石畳が分断されているが、まだまだ続いている。右手に建物を見つつ(トイレらしいが普段は鍵がかかって使用できないらしい)、うっそうと生い茂る木立の中の石畳を登ると、木立が一瞬切れたところにこんもりとした緑の小山が。八瀬沢一里塚だ!これも両塚現存している。これで鴨之巣、奥之田に続いて現存一里塚だぞ。

八瀬沢一里塚がこんもりと両側に


■琵琶峠を越える
 一里塚を十分堪能したので、再び石畳を登り始める。クネクネと木立の中をゆくと、ようやく峠頂上到着。そこには馬頭観音と和宮様が詠まれた歌碑が建てられている。ちなみに、峠からの視界は木々に遮られていて、期待は無用。
 さぁ、ここから下り坂だ。軽快にトットコ木立の中の石畳を下ると、前方が明るくなり、水色の屋根が見えてきたところが石畳終了地点。ちなみに、この水色の屋根は、病院。
ここを境に道は下り坂
峠頂上の馬頭観音と歌碑
気持ちよい木立の道をトットコトットコ下ります
木立の中に続く石畳
前方に水色の屋根が見えてきたところで峠道終了
石畳終了地点
東側から見ると、峠道の入口はこんな感じ
東側の入口

■二つ岩−母衣岩と烏帽子岩
 石畳からアスファルトの道へと変わった街道は、病院を迂回するように続いている。道が左にカーブしているところ左手に烏帽子岩、さらにそのすぐ先に母衣岩がどーんと私を待ちかまえていた。道脇にあるはずなのに、この威圧感と大きさ。圧倒されました。
 スケール感を出すため、母衣岩の前にリュックサックを置いてみました(普通のサイズです)。どうです?すごい大きさでしょう。

母衣岩と烏帽子岩−かなりでかいです



■今昔木曾街道六十九次−大久手−
 広重が描いた大久手宿(大湫ではない)は、例の如く宿場内の風景ではなく、宿場西側の母衣岩を右手に見つつ、柴を背負った農民が西へ向かう姿を描いている。現在は、坂道が上り下り逆になっているが、当時からこの岩が歴史の生き証人であることを思うと、とても感慨深いものがある。
木曾街道六十九次 大久手 広重作

■こっちが本物?(広重が大湫宿を描いたとされるところが)
 烏帽子岩、母衣岩を後にすると、公園が整備され、東屋などが建てられている。良い機会なのでここで15分休憩。京は、日差しが強いが5月の薫風が涼しく肌をかすめ心地よい。平日に歩けるなんて、とても贅沢だ。

 この東屋の前に大洞・小坂石碑などがあり、その横の説明板を見ると、ここが広重の絵のモチーフとなった場所だという。その岩などもあるが、インパクトを求めている(と勝手に私は思っている)広重からすると、街道沿いのメジャーなものを盛り込むのではないだろうか。
ここが広重が描いた大湫宿を描いたところ
大洞・小坂石碑
ここが広重が描いた大湫宿を描いたところ
広重絵のモチーフになった岩?
広重が描いた大湫宿を描いた風景?
広重絵の元?
休憩するには最適
東屋


■大湫宿をゆく
 再び道をゆく。家屋が左手に続き始め、高札場が現れたところから大湫宿が始まる。広重は、「大久手」と記している。京側の「細久手」にもついている「久手」は、低湿地を意味しているのだそう。現在は、西に琵琶峠、東に十三峠を控えた山あいの集落として、落ち着いた街並みが見られる。
 大黒屋旅館にて、若女将とSさんが「大湫は何もない」と言っていた。確かにお店はほとんどなかったが(酒屋が一軒)、街道の幅が狭いことが幸いして、両側に迫った家屋の間をすり抜けるように歩けることが、往時の情景を偲ばせてくれる。また、平日であるためか、宿場内はひっそりしていたが、逆にそれが落ち着いた素晴らしい街並みを肌で直に感じさせてくれた。
高札場 大湫宿碑 観音堂 大湫宿の街並み
大湫宿の街並み 宿場案内板 観音堂 神明神社

■神木に出逢う〜神明神社の杉〜
 宿場の中程にある神明神社。その境内には、思わず息をのむほど威厳に満ちあふれる杉の木がそびえ立っていた。素で「スゲー!」と、思わず声を出してしまったほどだ。・・・周りに人がいなくて良かった。
 推定樹齢1200年、目通り周囲11m、高さ約60m・・・・圧倒。
 大黒屋同宿のSさん情報によると、この先の白山神社内に樹齢800年のくらいの杉があったそうだが、昭和16年(1941)くらいに学校を作るのに伐採してしまったらしい。もったいない・・・。
 ちなみに、この神明神社、延命長寿の神様だそうだが、いつもと同じように旅の道中無事をお願いしておいた。

思わず息をのむほど威厳に満ちあふれる神明神社の杉

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2005.6.19update


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