#第9日目|美濃太田−細久手 平成17年(2005)5月15日(日) 天気:曇一時雨のち晴


中山道行程図〜第九日目|美濃太田−細久手


■いよいよ峠越え〜まずは牛の鼻欠け坂
 アスファルトの道が草の道に変わるところから、いよいよ峠道が始まる。まずは牛の鼻欠け坂。中山道を往来する牛や馬の鼻がすれて欠けてしまうほどの急坂だったそうです。距離は長くないが、平成の現代でも、なかなかの急坂で息が上がる。これまで標高が上がってきているとはいえ、平坦な道を歩いてきたので、なまった身体にはこたえるのだ。
ここから草&土の自然の道に 牛の鼻欠け坂案内板
峠の入口 牛の鼻欠け坂

■西洞集落を抜けて
 なんとか峠を越えると西洞集落。1つの峠を越えたとはいえ、まだまだ登り坂は続くのだ。集落内の細道から車の往来する道路に合流するところに野菜直売所。安いなぁ〜。が、こんな所で買ったら荷物になるので断念。そのまま車の往来する道を登ると左手に耳神社。耳の病に霊験があり耳神様とも言われている。その先、道は左にカーブしているが、それを逸れて旧道は右へ(一番右の写真、白い矢印の方向へ。青い案内板があるので要チェック)。
西洞集落をゆく
西洞集落
野菜直売所
野菜直売
ちょっと高いところにあり
耳神社
白矢印の方向に
右折(案内有り)


■謡坂を登る
 裏道に入ると、目の前に石畳が続いていた。謡坂石畳だ。麓の辺りは、人工的でいかにも作られた風の石畳だが、登っていくうちに、草が生え、とても雰囲気のある旧道風景へと変化していく。この坂は、唄を謡って苦しさを耐えたことからその名がついているが、現代っ子の私は、急坂のきつさ以上に、石畳を歩くことの嬉しさに気持ちを奪われていた。
 途中、案内に従って左折して聖母マリア像を見に行く。街道から逸れること5分ほどで到着。その昔、この辺りに隠れキリシタンがいたことから、マリア像が建立されたそう。マリア像前の東屋に落書き帳があり、いたずら書きもあったが、茶化すことなく学生が良かったと書かれていたのを見て、身も心も清らかになった。
石畳だー 石畳続く道〜良い感じ
道を逸れてマリア像を見に行く 石畳続く道〜良い感じ


■今昔木曾街道六十九次−御獄−
 謡坂石畳も終わり、結構な急坂を登りきったところ左手に家屋があり、広重作の御獄宿の大きな絵が立てかけられている。ここが、広重の御獄宿のモデルとなったところである。残念ながら木賃宿前の小川はなく(民家があり)、木賃宿に該当する現在の家屋も空き家と化している。しかし、全体の構図を見れば、なんとなく往時の情景を思い浮かべられそうな雰囲気のあるところだった。ちなみに、絵図及び写真は、日本橋方面より謡坂方面を望んでいます。
木曾街道六十九次 御獄 広重作


■復元した謡坂一里塚
復元したものですが、良い感じ
【謡坂一里塚】
 広重が木曾街道六十九次を描いたポイント辺りから、登り坂の角度が緩やかになる。その途中に謡坂一里塚
 両脇に見られるが、これは昭和48年(1973)に復元したもの。30年が過ぎているお陰で、一里塚として街道にしっかり馴染んでいる感じだ。そのまま、気持ちよい道を歩き、アスファルトの道に合流。

■まだまだ登り坂は続く
 アスファルトの道に合流すると、再び登り坂の角度がきつくなる。すぐ左手に十本木立場跡。ここに茶屋などがあったようだ。そのまま道を登り切ると、右手に岐阜県名水50選の一呑の清水。かつては、旅人の喉を潤したそうだが、現在はとても飲めそうもなかった(生水は飲めないという看板も有り)。その先で再びアスファルト道を逸れて右折。集落や畑の間の道を進むと、竹林の続くよさげな道も続いており、すっごい気持ちよい。傾斜の緩くなった砂利道をゆくと、右手に唄清水。ここも岐阜県の名水50選ですが、飲めません。
今は何も無し
十本木立場跡
岐阜県名水50選だが、今は飲めなさそう
一呑の清水
良い感じ
竹林の間をゆく
ここも岐阜県名水50選だが・・・
唄清水


■御殿場で休憩
 さっきからずっと登り坂だ。峠にさしかかる手前・コンビニで飲食料を調達してから、ほとんど登り坂。そろそろ休憩したいな〜と思いつつ、砂利道を進むと右手にケーキ屋さん。このケーキ屋さん、人気があるのか、さっきから車がひっきりなしに。
 その先に、御殿場。東屋もあるので休憩していくことに。と、東屋に入った瞬間、ドバッと通り雨。うぉーラッキー!雨が上がると、ようやく青空が見えてきた。
東屋があります 天気は良いけど、山は見えず
御殿場に至る道は、こんな感じ 御殿場

御殿場というと、私は静岡県御殿場市がすぐに思い浮かぶのだが、意味合いは同じと考えて良いと思う。ここは、皇女和宮様が休憩されるため御殿を建てた跡地だ。
ちょっと高台にあるため、豊富な緑が一面に拡がっているのを、あらためて確認することが出来る。

■山道を快調に下る
 御殿場で30分くらい休憩して出発!緑に囲まれた山道を快調に進む。なにしろ、先ほどの御殿場を境に、ようやく道は下り坂だ。開けた空間に出ると、左手に畑が。その畑の一角に、シェルターのような妙なものを発見。よくよく見ると、何か農具か何かが収納されているようにも見えるが不明。
 砂利道を快調に下ると、再び集落が。そして、右手が開けてくると、眼下にも集落が見えてきた。
周りは緑
緑に囲まれた道をゆく
これは何でしょう??
これは何?
道は下り坂
砂利道をゆく
高台から津橋集落を望めます
右手が開けてきた

■津橋集落をゆく
 下りきって車道に合流。ちょっとわかりづらいが、このまま直進して津橋集落をゆく(分からない時は青い案内板を探してください)。そのまま道なりに集落の中を進み、一旦街道を逸れて津橋薬師堂へ。手持ち資料に、ここからの景観が良いと書かれていたので立ち寄りたくなったのだ。残念ながら逆光のため、ちょっといまいちだったが、カエルがゲコゲコ鳴く、見事な田園風景を見ることが出来て結構満足。
 再び街道に復帰し、ツツジに心を癒されつつ、再び登り坂が始まる。
わかりづらいですがあわてずに直進
ここは直進
ここから見える景色は良し
津橋薬師堂
カエルがゲコゲコ
見事な田園風景
都会ではすでに見られないツツジが満開
ツツジを見つつ

■砂利道をゆく
 津橋集落を後にして、結構な急坂の途中に山内嘉助屋敷跡。江戸時代に酒造業者だったそうだ。
 砂利道の登り坂をゆく。めちゃくちゃツライというほどではなく、時折平坦な所もあるのだが、やはりきつい。なにしろ、余裕をかましていたら、のんびりしすぎたらしく、予定をオーバーしているので、ちょっとピッチを上げているのだ。
 でも、緑に囲まれた街道は、アスファルトの道や車の排気ガスが充満した国道歩きとは比較にならないくらい気持ちよく、ちょっとぐらいの坂は我慢我慢。と、頑張って登っていると、前方に一里塚が突然現れたっ
急な登り坂の途中に
山内嘉助屋敷跡
まだまだ登り坂
登り坂が続く
一転下り坂
緑に囲まれた街道
おっ・・・あれはもしや?
前方に一里塚


■鴨ノ巣一里塚
 左右両塚現存している鴨ノ巣一里塚。ちなみに、この一里塚から行政が変わり、これまでの御嵩町から瑞浪市になる。かつては、この市町境で、道路整備状況が異なっていたようだが、現在は同じような砂利道が続いている。

 しかし、気が焦っていたのか、感動に浸る間もなく先へ進んでしまった。ゆとりがない歩きはダメだ。そして、現存している一里塚をここんとこ立て続けに見ているものだから、感覚が少し麻痺しつつある。いけませんな。
鴨ノ巣一里塚 鴨ノ巣一里塚
鴨ノ巣一里塚 鴨ノ巣一里塚

「鴨ノ巣」と書いて「こうのす」と読む一里塚。これまで、往時のものが現存している一里塚をいくつか見てきたが、ここの一里塚はかなり大きい部類に入るだろう。なにしろ、塚の上に何本も松の木が植わっているのだ。

■砂利道をゆく
 一里塚を後にすると、登り坂が少なくなり、ピッチが上がる。こんな山の中で暗くなったりでもしたら大変だ。切られヶ洞鴨ノ巣辻の道祖神碑などを横目に、下り坂となった砂利道を進む。しかし、さっきから人っ子一人すれ違わないし、当然車の往来もゼロ。中山道を歩く人って少ないのかなぁ。
 秋葉坂三尊を左手に見つつ、旧道はアスファルトの道に合流。
うっかり見逃してしまいそう
切られヶ洞
街道を確認できる史跡
鴨之巣辻の道祖神碑
下る下る
砂利道をゆく
ここを越えるとアスファルト道
秋葉坂三尊


■平岩集落
 アスファルト道に合流したところは、ちょっとした高台。ここから眼下に広がる平岩集落の田園風景は、先ほど見た津橋集落に負けず劣らず美しかった。

 その昔、ぐるっと周りを見渡せば、どこまでも田園が拡がっていた。なので、田園風景があることは当たり前という感覚を持っていた。でも、大人になるにつれて、徐々に私の視界から田園風景は薄れ、代わりに無機質な高層ビルディングが当たり前になりつつあった。そんな時に出会うかつての当たり前の風景は、とても美しく、感動すら覚えるものだった。

西の坂から見た平岩集落


■平岩集落の田園風景に見とれつつ
 この平岩集落気に入りました。高台から集落を望みつつ田園に目をやると、青空と白い雲が映り、また太陽が反射する景色も見られ、集落を構成する全ての要素が良い。
 ただ、集落を抜けるにあたって、左折して再び登り坂の道をゆくのだが、案内がどこにもない。日本橋方面から来る人は、ちゃんと案内板があるのでわかります。同じ案内板を京から来る人のために是非作ってください>瑞浪市
良い景色
高台から平岩集落を望む
ええ感じ
田園にも青空と雲
そろそろ日差しが弱くなってきた
田園に映る太陽
京から来る人は案内がないので要注意!
ここは左折(案内無し)

■田園風景を横目にいよいよ宿場へ
 くじ場跡や津島神社を見つつ、右から来た道に合流すると、ものすごーーーーーい車の交通量が増える。しかも、その車はみんな車体が低く、スポーツカー風で狭い道をものすごいスピードで通り過ぎていく。まさか、夜中も走るのでは?と不安がよぎる。
 またまたよさげな棚田に感動しつつ、左手に日吉愛宕神社が見えてくれば、いよいよ細久手宿だ。
なんなのでしょう?
くじ場跡
狭い土地ながらも見事な田園風景
細久手宿手前の田園風景
カエルの合唱が聞こえてくるよー
細久手宿手前の田園風景
そろそろ細久手宿
日吉愛宕神社

■細久手宿の大黒屋で宿泊
 本陣跡、脇本陣跡など、往時の面影を求めることは難しいが、唯一宿場の歴史を感じられるところがある。それは、本日の宿泊場所・大黒屋だ。かつての尾張藩定本陣である。というわけで、さっそく中に入る。ガラガラ〜ごめん下さーい。と、やってきた大女将の案内でさっそく2階へ。通された部屋は、なんと尾張のお殿様も泊まったという部屋。感謝感謝。
 お風呂に入ってさっそく食事。本日のもう一人の宿泊客・Sさんと一緒に頂く。かなりのボリュームで、かつ美味。食事を終えた後、Sさんと街道談義に花を咲かせる。なんでも6年ぐらい前から中山道を歩いており、年に2回で、ようやく日本橋からここまでやってきたそうだ。
 その後、部屋に戻り、先達者の書かれた落書き帳に目を通しているうちに、夜も更けていくのであった。(つづく)
左手はかつての本陣跡 脇本陣跡地 卯だつの上がる尾張藩定本陣・大黒屋 大黒屋現代の表札
食事をした部屋・上段の間 急な階段〜二階から陛下を見下ろす かつて藩主も寝泊まりした(?)部屋に宿泊 大黒屋現代の表札
→第十日目|細久手−恵那 へ


歩数計 37,960歩
カロリー 1,926.2kcal
距 離 26.57km
時 間 7:12〜17:10
支 出 交通費|−−円
飲食費|−−円
その他|−−円

2005.6.9update


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