#第8日目|岐阜−美濃太田 平成17年(2005)5月14日(土) 天気:晴


中山道行程図〜第八日目|岐阜−美濃太田


■半年ぶり中山道放浪第8日目スタート
岐阜駅
【立派な岐阜駅からスタート】
 5月中旬。風薫る季節ながらも、ここ数日、気温の上がらない日が続き、この日も朝から冷え込んでいた。しかし、それにもめげずに、早朝から新幹線に乗り込み、実に半年ぶりの中山道放浪に旅立った。
 半年ぶりの街道歩き、大小様々な峠越え、さらには前夜岐阜県多治見市で起きた警官の拳銃強奪事件等の様々な理由が絡み合い、一種の緊張感が漂っていた。
 しかし、どよんだ灰色の空をした東京から一転、晴れの名古屋駅に到着するといつものお気楽モードに。うぉっ・・万博に行く人なのか、いつも以上に混み合っているぞ!そんな人たちを横目に、がら空きの東海道線に乗って岐阜駅に到着。さあ、出発しますか〜。(8:19)


■街道復帰して本格スタート
 一部ビオトープ化された駅前から続く小川横のプロムナードをのんびり歩きつつ、前回終えた地点に到着。いよいよ本格的なスタートだ。前回気づかなかったが、橋脇に高札場跡案内碑が立てられている。ちなみに、まだこの辺りは加納宿内である。川を渡ってそのまま北に向かい、かどやの見える交差点で右折。その先には歴史の感じられる家屋が点在し、往時の情景を偲ばせてくれる。
駅から続くプロムナード
小川
高札場案内碑
高札場跡案内碑
この交差点を右折
交差点(正面にかどや)
歴史の感じられる家屋が点在する通り
歴史の感じられる街並み


■今昔木曾街道六十九次−加納−
 加納宿は、江戸時代に徳川家康によって制定された中山道沿いに出来た宿場で、その南方に加納城が築かれた。広重は、街道沿いから、その加納城を望む風景を描いている。しかし、現在は加納城そのものは跡地と化し、かつ街道と城跡の間には、たくさんの建物が林立しているため、平成の風景は、ただの街道風景になっている。
木曾街道六十九次 加納 広重作


■曲尺手状の加納宿をゆく
 右手に立派な鐘楼を持つ専福寺よさげな家屋を見つつ、信号のない大通りを渡る。宿場案内碑の先、右手に善徳寺のあるT字路で左折。そして、大通りに合流する手前で右折。そこに植わる柳の木の下に、東番所跡碑がある。ここが宿場の東の入口か。そのまま直進すると再びT字路にぶつかるので、ここを右折。T字路左手に小さな道標があるので要チェック。この辺りの街道は、かつての城下町の名残か、曲尺手状になっている。
 レリーフの貼り付けられた橋を渡ると、再びT字路にぶつかるので左折。T字路右手にはだんごや。お・・朝から結構混んでいるぞ。人気のあるだんごやなのかな?
専福寺
専福寺
よさげな家屋が見られます
よさげな家屋
宿場を示す案内碑
宿場案内碑
この寺を右手に見つつ左折
善徳寺
大通り手前に東番所跡碑
東番所跡碑
道標を左手に見つつ右折
道標
橋を渡ります
宿場を偲ばせる橋
だんごや前に案内板アリ
だんごや


■加納宿を抜け次の宿場を目指す
 曲尺手の道が続き、ちょっと混乱気味だが、ここから街道は西に一直線に続くことになる。右手に鏡岩の碑を見つつ(京から日本橋に向かう人はちょっとわかりづらいです)、名鉄・茶所駅を過ぎると、左手に黒板塀が続く家屋がある。しかし、さっきから見所が多くて、歩き始めて間もないのに忙しいぞ。
 加納宿も抜けて、ようやく落ち着きを取り戻す。5月なのに日差しが強く、シャツを脱いでTシャツで歩くことに。歴史の感じられる家屋が点在する、そこそこ車の往来のある道をゆく。
鏡岩の碑
鏡岩の碑
茶所駅
茶所駅
黒板塀の続く道
黒板塀の続く道
立派な家屋
大きな家屋

■地蔵堂と伊勢道追分道標
地蔵堂と追分道標
【地蔵堂と伊勢道へ続く追分道標】
 しばらく歩いていると、右斜め手前に続く道との分岐点にさしかかる。分岐点の付け根には、地蔵堂と追分道標が立てられている。
 写真は、振り返って撮影したもので、右の道がここまで歩いてきた中山道京方面、左の道が伊勢道。ここから伊勢だと、まだ結構距離がありそうだなぁ。


■細畑一里塚
 地蔵堂の先には、細畑一里塚がどーんと街道脇にそびえていた。こんな街中で両塚健在はなかなか珍しい。よく残ったもんだと、両塚に植えられている榎の木をポンポン叩きたくなってしまったが、塚上なので手が届かず。
 今まで見てきた現役の一里塚は、冬期に見たことが多かったためか、寒々しい感じだったが、こうして緑繁っていると一里塚らしい感じがしますな。
京都から日本橋に向かって左塚 京都から日本橋に向かって右塚

細畑一里塚



■諸々の史跡に立ち寄りつつ、新加納へ
 一里塚を後に、立派な家屋の見られるよさげな街並みをゆく。途中、誓賢寺伊豆神社(創立不詳)を横目に、さらにはウォーカー集団とすれ違うと、目の前に大きな鳥居が見えてきた。手力雄神社の大鳥居だ。この鳥居をくぐってまっすぐ進むと神社へゆくのだが、街道はここを左へ。しばらく落ち着いた住宅街をゆく。
 まだ水のはられていないのどかな田園風景が見えた辺りから、岐阜市から各務原市へ。左手に名鉄電車を見つつ、高速高架下をくぐり、ゆるやかな登り坂をゆるゆる進むと、竹林が見えてくる。この辺りから間の宿・新加納のようだ。善休寺へ続く参道入口を右手に見つつ、その先道が右にカーブしている手前の道を右折
よさげな街中をゆきます
よさげな街並み
誓賢寺
誓賢寺
伊豆神社
伊豆神社
手力雄神社鳥居
手力雄神社鳥居
空間が広くなり気持ちよい
岐阜市から各務原市へ
輝いてます
竹林
この先にあると
善休寺
間もなく新加納
ここを右折


■間の宿 新加納
 加納宿−鵜沼宿間は、約16.5kmと距離があるため、中継点として間の宿が設けられた。間の宿では、宿泊出来ないことになっているが、実際には宿泊していたようだ。現在は、往時の建物は残っていないが、落ち着いた街並みと曲尺手状となっている道路が往時を偲ばせてくれる。ちなみに、皇女和宮様も、ここで休憩されたようだ。
旧御典医今尾家 新加納の街並み 新加納の街並み 道標
一里塚碑 新加納の街並み 新加納の街並み 昔から曲尺手になっていることがわかります


■各務原の商店街をゆく
 宿場の名残を見せる、曲尺手状の通りを進むと、道は大通りに合流。なんだか賑やかになってきたな〜と思ってきたところに、「なか21モール」と書かれた巨大なアーケードが。どうやら各務原市の商店街のようだ。道の両脇には、店舗が建ち並んでいるが、一部の店舗は土曜なのにシャッターを閉めたままだ。
 その商店街を進み、新境川にかかる那珂橋を渡ると、左手に巨大な緑あふれる公園が出現した。
小さい写真ではわかりづらいですが曲尺手になってます
曲尺手状の通り
大通りに合流
大通りに合流
ここから商店街が続きます
なか21モール
緑が豊富
那珂橋より新境川を望む

■各務原市民公園
元岐阜大学農学部の跡地だそう
【各務原市民公園】
 左手に見えた公園は、各務原市民公園。岐阜駅を出発してから2時間が過ぎているが、順調に来ているのでとりあえず休憩することに。
 ここは、元岐阜大学農学部の跡地だそうだ。どうりで緑が豊富なわけだ。いや〜気持ち良いなぁ〜。

 しかし、一方で、前夜行った拳銃強奪事件の犯人が見つかっておらず、拳銃には実弾が4発残っているとのことで、ちょっとビクビクしていた。なにしろ、ここは事件の起きた多治見市から40kmしか離れていないのだ。

 20分休憩の後、再び出発!


■ナッシー
 公園を後にすると、左手に警察署。その警察署の前に、ナッシーが吠えていた!!

 ナッシーは、ネッシーやイッシー(池田湖)に例えて、名付けられたのが一つ。そして、交通事故がナッシー(なし)になるようにとの願いをこめて名付けられたのが二つ目。

 ・・・ただのダジャレなんだけど、ナッシーの迫力はすごかった。

ナッシーの迫力



■信長人気はすごい
 ナッシーを後にすると、左手にものすごい立派な各務原市役所庁舎。航空自衛隊基地があるから、潤っているんだろうなぁ>各務原市。その先、国道沿いのバス停に信長町の文字がっ!!もちろん織田信長から来てるに間違いない。信長は、どこに行っても人気がありますな。
 ここから歩道がなくなり、路肩をゆくことに。右手に竹林寺を見つつ、国道に合流しようと、手持資料を見てみると、なんと一里塚跡を見逃しているではないですか。あれ〜?見かけなかったなと思いつつ戻ってみると、竹林寺の対面に白い六軒一里塚跡碑が立てられていました。あぶないあぶない・・・。んで、今度こそついに国道に合流。車の交通量が激しいぞ・・うぇー。
立派
各務原市役所
すげー
信長町!
危うく見逃すところだったー
六軒一里塚跡
ついにやってきたよ・・・・・国道歩きが
ついに国道に合流
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2005.5.29update


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