#第7日目|美江寺−岐阜 平成16年(2004)11月21日(日) 天気:晴
■日が昇り始めた まずは、ちょっと前に通過した樽見鉄道の踏切を渡る。渡ってすぐ左手に「オオクワガタ直売します」の黄色い看板。今の子供は、「クワガタは買うもの」だと思っているのかなぁ。 |
樽見鉄道踏切 |
クワガタ販売看板 |
合併の影響? |
昭和51年豪雨 |
しばらく進むと、左手に高札場跡。その先左手に本田代官所跡。一時期、この辺りに幕府直轄地があったという。ちなみに、案内板後ろの建物は、本田さんではなかった。そのちょっと先に「中山道町並」と書かれた標柱があり、よさげな家屋が見られる。さらに進むと、糸貫川手前に延命地蔵堂。 |
高札場跡 |
本田代官所跡 |
よさげな壁景観 |
延命地蔵堂 |
糸貫川を渡り、静かな街中をゆくと、道は右に緩くカーブ。左手に馬場の地蔵。地元の人の取り組みが良い感じ。そこから、道は南東に向かって一直線。まぶしーーー。まぶしさに耐えつつ、道なりに進む。 |
馬場の地蔵 |
直進 |
生津畷跡 |
河渡宿標柱 |
■河渡宿 河渡宿。「ごうど」と読む。三条大橋から、ここまで歩いてきた中で、最も寂しい部類に入る宿場だ。往時は、長良川の河渡し手前の宿場として、かなり賑わっていたようだが、現在は空襲に遭い街は全焼・・・往時の面影はなくなってしまったという、悲劇を持っている。 |
■長良川を渡る あっという間に宿場を抜けると、長良川土手があるので、登ってみる。おー眺め良いぞー。かつては、渡しがあったが現在はない(と、この時は思っていた)ので、長良川を河渡橋を使って反対側へ。 |
長良川土手 |
長良川 |
川を渡って |
長良川土手 |
■今昔木曾街道六十九次−河渡− 三条大橋から辿ってきて、初めて目にする「英泉」画の作品である。英泉は、その土地その土地の特色ある風景を描いていること、人物画が大きいことなどが素人目から見て特徴かなと。 |
■歴史を感じつつゆくが・・車多し 川を渡って、斜めに続く道をゆく。ところどころに落ち着いた家屋が見られるのが良い感じだ。なんて、のんびり歩いていたら、徐々に車の交通量が・・やんなっちゃうな。北野神社、神明社などを左手に見つつ、これまた左手にボロイ和洋折衷建築。昔は何に使っていたのだろう・・なんて思っていたら、てっぺんに「〒」のマークが。 |
北野神社 |
神明社 |
和洋折衷建築 |
格子窓の家屋 |
■人で溢れかえる乙津寺(鍋島弘法)
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■街中を抜けるといよいよ加納宿へ 乙津寺を後に、人の流れと逆行する形で街道を進む。岐阜街道との追分で右折。しばらく住宅街をゆく。天満神社や立派な酒屋、干し柿など、街道を構成するものを見ていると、前方に鉄道高架が見えてきた。これをくぐってすぐに左折。鉄道高架に平行に進む道をゆく。その先、Y字路になるので、右へ。車の往来が少なく、落ち着いた住宅街が続く。 |
岐阜街道追分 |
天満神社 |
立派な酒屋 |
干し柿 |
鉄道高架をくぐりすぐに左 |
ここは右へ |
秋葉神社 |
一里塚跡 |
■加納宿をゆく 右手に西番所跡石碑があるところから加納宿。岐阜県の県庁所在地に位置する本宿場町は、現在の繁華街である北側とは反対の南側に位置しており、落ち着いた街並みが続いているが、往時の面影はほとんど感じられない。脇本陣跡、問屋跡、本陣跡、全て「跡」で、碑があるのみである。 |
■加納城跡
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■第7日目の中山道放浪終了
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→第八日目|岐阜−美濃太田 へ |
歩数計 | 18,630歩 |
カロリー | 943.0kcal |
距 離 | 13.04km |
時 間 | 7:37〜11:45 |
支 出 | 交通費|−−円 飲食費|−−円 その他|−−円 |
2004.12.31update