#第4日目|愛知川−醒井 平成16年(2004)10月16日(土) 天気:快晴
■なんと街道が工事中っ! 左手に地蔵堂のある交差点を直進すると、近江鉄道の踏切にぶつかるので、そのまま渡る。渡ってすぐ左手に常夜灯。そこから1kmほど先の石清水神社を目指す。途中、「この先工事中」の案内板があり、その先は車がまったく通らず本日初のゆったりした気持ちでのんびりと歩く。しかも、街道を形成する街並みも良好。ウキウキ気分で歩いていたら、なんと歩行者も通行不可能な工事箇所に遭遇!ぎょー・・・。遠回りしたくなかったので、誘導員のおっちゃんの隙を見て渡る。とりあえず何も言われずにホッ・・。 |
近江鉄道の踏切 |
常夜灯 |
よさげな街並み |
工事中・・ |
■石清水神社周辺 工事箇所からほどなくして石清水神社。周辺には、扇塚、多賀大社への道標、お堂やお地蔵様群などが見られる。境内に至る階段途中にはモミジが植わっていたが、色づくにはもう少し時間が必要のようだ。 |
石清水神社 |
扇塚 |
多賀大社道標 |
床の山石碑 |
■どことなく高麗山を思い出す〜大堀山
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■段々と人里離れてゆく・・ しばらくひたすら落ち着いた道を歩く。国道歩きと違い、街並みを見ながら歩けるのは気持ちよい。そうこうしているうちに、徐々に道は登り坂へと変わる。春日神社のうっそうとした杜を左に見つつ、国道306号を横断したすぐ右手に多賀大社の道標。多賀大社への信仰ぶりが大いに伺える。高速道路高架下通過後、すぐ左手に天寧寺石碑。ここから車のすれ違いも大変な細い道をゆく。 |
多賀大社道標 |
高速道路高架下を通過 |
天寧寺石碑 |
水の流れる集落 |
八幡神社 |
温泉? |
新幹線横の道 |
新幹線高架下を通過 |
小野集落を抜け、一旦開けたところを歩くが、ほどなくして再び家並みの続く集落へ。この辺りが鳥居本宿の入口であろうか。宿場に入ってからすぐ左手に「右 彦根道 左 中山道 京いせ」と書かれた道標がある。朝鮮人街道との追分道標である。 |
朝鮮人街道 朝鮮人街道は、ここ鳥居本宿から中山道沿いの野洲市(滋賀県)の行畑を結ぶ約41kmの街道であり、江戸時代に朝鮮との国交回復後、朝鮮の外交使節が定期的に通行したことからこの名が付いた。街道間には、城下町の彦根や安土、近江八幡など、個人的に訪れたい地域が並んでいるので、いつか歩こうと思っている。 |
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■鳥居本宿 朝鮮人街道との追分を後にすると、そこはすでに鳥居本宿である。新幹線や近江鉄道等の鉄道インフラ、名神高速道路や国道等の道路インフラにはさまれた宿場であるが、それが功を奏して落ち着いた街並みを見ることができる。ここの家屋も、卯だつや連子格子窓の見られる立派な建物があちこちに見られる。その最たるものは、明治天皇も小休止された有川家であろう。赤玉神教丸という薬で昔から知られているそうだ。その他、合羽も鳥居本合羽として昔から知られている。また、レトロな駅舎・近江鉄道鳥居本駅も必見。 |
■松並木の名残
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■中山道モニュメント再び。そして摺針峠へ 松並木の終わりかけたところ右手に、来る途中に見た中山道モニュメントが建てられている。そこには、「またおいでやす」の文字が。それを横目に国道に合流。 |
中山道モニュメント |
中山道モニュメント |
道標 |
摺針峠へ |
■道なき道をゆく
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■今昔木曾街道六十九次−鳥居本− 小スペースにひしめき合う集落の中に、かつて望湖堂があった。ここからの眺めは相当良かったらしく、広重の描いた鳥居本宿の絵も宿場内ではなく、ここを描いていることからも伺えるし、絵の中でも休息をとる大名一行が描かれていることからもわかる。写真では、遠くが霞み気味であるが、琵琶湖もその奥の山並みも見え、往時の様子を十分伺い知ることが出来る。苦労してここまで登ってきた甲斐があるところだ。 |
■独り孤独に摺針峠を越える 旧望湖堂(現・神明宮)で20分休憩した後、再び歩き始める。峠には、小さな集落があるが、あっという間に抜け、道は一転して下り坂となり、またもや家屋の見られない道となる。この先、鉄道駅は醒井まで行かないとない。なので、高宮宿を出た後少しペースを上げていたのだが、それが良くなかったらしく、左足と右ひざの裏が痛い。それでも、少しペースを落とすと負担がかからなくなるので、だましだまし歩くことに。 |
集落を抜け小摺針峠へ |
道標を左折 |
伊吹山が前方に |
番場宿入口 |
■番場宿 この番場宿、大きな見どころはないが、大きな家の建ち並ぶ街並みが続いている。この番場宿で有名なのは、やはり番場忠太郎だろう。2004年7月、歌手の氷川きよしさんが「番場の忠太郎」というシングルを発売したが、その番場というのが、中山道沿いの宿場ということを、つい最近知ったという有様。元々、番場忠太郎は、長谷川伸の戯曲「瞼の母」の主人公から来たもので、実在の人物ではないが、お地蔵様はおろかお墓まであるというから、そこまで来れば大したものだ。 |
■今昔木曾街道六十九次−番場− 広重が描いた番場宿は、割と平凡な構図で、東の見附(入口)から宿内を描いたものである。往時とはもちろん異なる景色になっているのは仕方ないことだが、逆に今昔の比較がしやすい構図と言える。 |
■傾き始めた西日を背にゆく 宿場を抜け、いよいよ次は本日終着点としている醒井宿である。歩きも思わず力強くなる。小さな集落を抜け、名神高速道路I.C手前に久礼一里塚跡石碑。ここにはベンチとテーブルが置かれていたので、最後のふんばりを見せるべく10分ほど休憩。ちなみに、かつて一里塚は、ここの手前の集落内にあったそうだ。 |
一里塚跡 |
ちょっとわかりづらい所 |
敬永寺 |
樋口地区 |
■実物比5倍
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■西日を受けた街を歩く テクテク歩いていると、右手に茶屋道館と書かれた建物が。中山道400周年を記念して開館した憩いの場だという。この時間じゃ閉まっているよ・・。まぁ、いつものことだとさらっと流しつつ、国道に合流。 |
茶屋道館 |
国道に合流 |
国道を逸れ右折 |
六軒茶屋 |
■今昔木曾街道六十九次−酔ヶ井− 広重の描いた酔ヶ井宿は、宿場の西はずれの六軒茶屋のあたりを、東から西に向かって描いたものだ。絵には、六軒の茶屋と松の木が描かれているが、現在は六軒茶屋は1軒に、松の木は全てなくなっているという状態。構図的に同じようなところを撮影したが、夕刻であったため、建物は全て黒いシルエットとなってしまっている。逆に全てを写さないことが、想像力を掻き立てられて良いかな、と良いように解釈している。 |
■いよいよ醒井宿へ ここで携帯電話で鉄道時刻表をチェックする。全く便利な世の中になったものだなぁ。調べてみると、ちょうど出たばかりなので、このまま宿場をしばらく散策することに。道標を左手に見つつ、すでに日の当たらない街並みを歩く。途中、右手には醒井三名水の一つ・西行水があったが、ろくに予習をしていなかったため、とりあえず全景を写しておく。 |
道標 |
醒井の街並み |
西行水 |
醒井郵便局 |
■夕景の醒井に佇みつつ、本日の旅は終了
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→第五日目|醒井−関ヶ原 その1へ |
歩数計 | 33,652歩 |
カロリー | 1,714.4kcal |
距 離 | 23.55km |
時 間 | 9:16〜17:19 |
支 出 | 交通費|−−円 飲食費|−−円 その他|−−円 |
2004.11.05update