#第4日目|愛知川−醒井 平成16年(2004)10月16日(土) 天気:快晴
■恵智川宿から出発 米原駅到着後、近江鉄道に乗り換え。米原から目的地・愛知川駅まで640円だが、週末はフリーキップが使用可能らしく、ちょっとお得(フリーキップ:550円)。約35分で愛知川駅に到着後、さっそく出発!(9:16)。 |
巨大アーチ |
河脇神社 |
二股道標 |
石部神社 |
■歌詰橋
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歌詰橋 |
説明版 |
サイクリングロード |
宇曽川 |
■江州音頭発祥の地 歌詰橋を渡り、300mほど歩くと左手に江州音頭発祥の地碑など、たくさんの石碑が建てられ、東屋などもある。恥ずかしながら、こうした地域の伝統・文化に疎いため、江州音頭というものを初めて知ったのだが、有名なのだろうか。 |
江州音頭発祥の地碑等 |
江州音頭発祥の地碑等 |
又十屋敷 |
西還寺 |
しかし、この道は車の交通量が多く、しかもスピードを落とさない。地方の車依存は仕方ないことだとしても、狭い道で人が歩いていたら減速するとかよけるとかするのが常識なのに、マナーがなってない。教習所で習わなかったのだろうか。 |
金田池 |
ニシキ會舘 |
キンモクセイ |
立派な家屋 |
■伊藤忠兵衛屋敷跡 車の往来の激しさに辟易しつつ、道脇を歩いていると右手に板塀の続く豪邸が見えてきた。日本有数の大手総合商社・伊藤忠商事及び丸紅の創始者である伊藤忠兵衛屋敷跡だ。無料で内部を見学できるとのことで、さっそく拝見させていただくことに。記帳後、入口に誰もいなかったので、「こんにちは〜」と声をかけるも、「おー」という声がどこからかするのみで誰も出てこない。ならばと、失礼してゆっくりと見学させてもらった。 |
忠兵衛屋敷跡を後に先に進むと、右手に伊藤長兵衛屋敷跡石碑、くれなゐ園(忠兵衛の生誕地)など、伊藤家関連の石碑が続く。それらが一段落すると、信号のある交差点にぶつかり、右手には豊郷町役場。一時期話題に上がっていた町長のいる役場だ。そのことは、後で記すことにして、ここは素通りして先を目指す。その途中、「中山道 一里塚の郷石畑 ごんろく通り」と書かれた案内板を発見。何のことかわからず、ここも素通り。 |
伊藤長兵衛屋敷跡 |
くれなゐ園 |
豊郷町役場 |
一里塚の郷石畑 |
■石畑は間の宿だった! 先に進むと、巨木の生い茂る八幡神社。その脇に、先ほどの案内板と同様「中山道 一里塚の郷 石畑」と書かれた石碑がある。その横の説明版を読んで納得した。まず、先ほど通過した役場付近に一里塚があったこと、そしてこの辺り石畑地区は、かつて立場があり、間の宿であったこと。横には、そのことを示す石碑も建てられている。大樹の木立の中、東屋も整備されており、休憩するのに良い所かも。 |
八幡神社 |
一里塚の郷石碑 |
説明版 |
間の宿を示す石碑 |
■豊郷小学校前の松の木 神社を後にしてほどなく、前方に1本だけぽつねんと松の木が。この辺りに松並木が続いていた名残なのだろうか。そして、この松の木の前に、歴史上大変貴重かつ重要な建物がある。豊郷小学校だ。 |
■豊郷小学校解体問題について■
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■恵林寺参拝は叶わず 釈然としないまま小学校を後に先を目指す。ところどころに「豊郷小学校を登録文化財に」「取りもどそう豊郷小の原風景」などと書かれた立て看板が見られる道の途中、長々と板塀の見られる道が続く。その先右手に木造の公民館を見つつ、恵林寺などを見学しようとするも、街道からの入口はなく、あきらめて先に進む。本当は、山梨県塩山市にある武田家の菩提寺と同じお寺名なので、訪れてみたかったんだよなぁ。 |
どこまでも続く板塀 |
木造の建物 |
阿自岐神社へ続く鳥居 |
■一面の秋桜畑(コスモス畑) 交差点を越え、見所もしばらくなさそうなのでここから速度を速めるかと思った矢先、右手に秋桜(コスモス)が見えたので行ってみると、一面秋桜畑!!!実は、近江鉄道に乗っていた時にすでに発見していたので、絶対に見に来ようと思っていたので、ゆっくりと秋桜畑を堪能する。ちょうど見頃で一つ一つの花びらも大きい。こんな素晴らしい景色に出会えて、身も心も清々しくなってきたぞー。 |
秋桜って、とてもやわらかさを感じられる秋らしい花だけど、どこか凛とした芯のしっかりしたものもあって、好きな花の一つです。というより、知ってる花の数少ない中の一つだからだったりして・・。 |
■立派な松並木〜出町地区 街道に復帰。しばらく見所なく歩いていると、米穀会社の倉庫前に「中山道」と書かれた石碑を発見。なんでこんなところに?・・と思いつつも、中山道に対する取り組みが嬉しかったり。 |
中山道と書かれた石碑 |
水車のある公園 |
出町の松並木 |
バス停標識の墓場 |
■おいでやす彦根 松並木の続く道の先には、「おいでやす彦根」と書かれた中山道モニュメントが建てられている。これは、彦根市の取り組みで、どうやら先ほど見た中山道と書かれた石碑も彦根市の取り組みのようだ。モニュメントの上部には近江職人を模したものらしきオブジェが見られる。この辺りは、葛籠(つづら)地区と呼ばれるところ。この地区の取り組みは素晴らしく、自家製の観光案内マップなどを作成しているようだ。 |
■葛籠地区をゆく 雰囲気の良い街並みが続く。裏道を覗いてみると、これまた良い感じの路地が続いている。しかし、写真には写っていないが、相変わらず車の往来は激しいのは追記しておかねば。 |
雰囲気の良い街並み |
良い感じの路地裏 |
産の宮井戸 |
キンモクセイと茅葺き屋根 |
■今昔木曾街道六十九次−高宮− しばらく細い道を進み、道が開けたところ前方、犬上川に橋が架かっている。この橋の部分がかつて広重が描いた高宮宿の風景である。西から橋向こうの高宮宿のある東に向かって描いたものだ。犬上川は、水量の少ない川で、そんな時は橋板がはずされていたようだが、広重の絵はまさにその状態である。現在は、歩車離別の立派な橋が架けられている。 |
歩行者・自転車専用 |
むちんばし石碑 |
横から |
犬上川 |
■いよいよ高宮宿へ 高宮橋を渡り終えた左手にむちん橋地蔵尊。右手には「むちんばし」と書かれた石碑も建てられている。この辺りから高宮宿だろうか。行く先を見てみると、よさげな街並みが続いている風だ。さっそく歩き出した途端、左手に美味しそうなパンを売っているパン屋さんがあったので、立ち寄る。パンを購入後、休憩すべき場所を求めさっそく歩き出すと、早々に昔ながらの街並みらしき風景に出会う。 |
むちん橋地蔵尊 |
地蔵尊横の交差点 |
パン屋 |
よさげな街並み |
■円照寺 予想外に良い雰囲気を醸し出している街中を歩いていると、左手になにやら立派なお寺が現れた。手持ち資料を見てみると、円照寺と書いてある。かつて明治天皇も立ち寄ったらしく、石碑が建てられている。また、境内には明治天皇ゆかりの松や家康の腰掛けた石などがあるようだが、家康の腰掛けた石は見つからなかった。 |
■高宮宿 高宮宿は、訪問前では多賀大社の追分門前宿場町ぐらいのキーワードしか感じられなかったのだが、実際に足を踏み入れてみて、その言葉がものすごい奥深いものになっていくのをあらためて感じた。それは、今でも残されている多くの歴史ある家屋だけではない、例えば郵便局のファサードの統一など、自分たちの町を誇りに思うような空気が感じられるのである。 |
多賀大社の一の鳥居を見ているときに12時を告げる時報が流れてきた。なので、宿場の東の方に位置する高宮神社で30分ほど休憩兼昼食。今日は天気が良くて気持ちよい街道歩きが出来ているが、ここまで3時間で9kmといつもながらのスローペース。まぁ、ぼちぼち行きますか!(12:40) |
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2004.11.4update